第386話

 呆れた私がさっさと請求書を作ってしまうのを見て、ヘレナは何処かおろおろした顔を見せた。

「ですが、改めて解呪のご様子を見て、どれほど大変なものなのかを知って」

「――知らないわよ」

 その時、割り込むようにヘレナの言葉を遮ったのは、ナディアだった。明らかな怒りを含む彼女の声に、ヘレナが閉口する。

「知らないわ。どんなに大変かなんて、あなた達は少しも」

 不愉快そうな顔を隠しもせずそう告げると、ナディアはヘレナと家族らを睨み付ける。

「だからこれ以上アキラを煩わせないで。私達は一刻も早く帰りたいの」

「そ、のようなつもりでは……申し訳ございません」

 私はナディアの威嚇に小さくなってしまったヘレナを一瞥して、「そっちに座って」と着席を促す。ヘレナは何も言わず従い、私の正面に腰掛けた。書類を取り交わすなら立たれていても困るのでね。

 解呪の最中は眠ってもらっているから、全部終わった後の疲れ果てた私の顔しか知らない。それだけでも、楽な作業じゃなかっただろうとは予想していたんだろうけれど。付添人として解呪中にドバドバ汗をかいている私を見たヘレナが、思っていた以上に大変なことなんだと感じてしまったんだろう。そして家族にもそれを話し、相談した結果、もっと払いたいって話になったのね。いや、分からん。もっと払いたいとか分からんが。

「君らが感謝してくれている気持ちは伝わってるから、これ以上は要らない。折角、呪いから解放されて未来があるんだ。自分達の為にお金も時間も使って」

 丁寧に告げたというか、もうあんまり力が入らないから勝手にのんびりした口調になっただけなんだけど。優しく聞こえたらしく、ヘレナは涙で目を潤ませながら噛み締めるように「はい、ありがとうございます」と言った。

「じゃあ、これ請求書。私も同じ控えを持つから、問題ないか確認して」

 渡したものを、家族全員できちんと確認してもらう。了承を得たら、控えだけを私が回収した。

「次は誓約書。これは全員が書いてね。今回の件を外部に秘匿すること。私が使った魔道具、術も一切、口外しないでほしい。国に見付かると『お招き』されちゃって、今みたいに自由な旅人やってられないからね」

 肩を竦めながらそう言って笑うと、家族らも「なるほど」と少し表情を和らげる。

 魔法関連が貴重な知識と技術であるって話は、何処でも通用するみたい。お陰で言い訳にしやすくて助かるよ。

 四人分の誓約書、これも控えがあるので二枚ずつ渡した。それぞれサインしてくれる。四枚を回収し、こっちは控えの方を相手に渡した。

「じゃあ最後にヘレナ。魔法の契約をしてもらう」

「はい」

「内容は前に話した通り。私に嘘を吐けない。そして私が君を探そうと思えば居場所が分かる。此処に記載してある」

 記載内容を再び確認してもらう。ヘレナがしっかりと頷いた。

 発動方法も事前に伝えてあったが改めて説明する。直筆で指定の箇所にサインをしてもらって、且つ、指定の箇所に血を一滴落としてもらう。

 問題ないと頷く彼女に、早速サインをしてもらって、指先を出してもらった。針はこっちで用意した清潔なやつを使用します。「一瞬だけ我慢してね」と断って、ぷすり。今回は回復魔法をしてあげられないけど、小さな針だから許してね。血を落としてもらった後は、消毒して、傷を守るテープを貼っておいた。

「数日で治ると思うけど、清潔にね」

「はい、ありがとうございます」

「じゃあ、発動」

 私があんまりに魔力を使うと不自然なので、完成一歩手前まで、事前に魔力は籠めてあった。

 最後のほんの少しだけ魔力を籠めて完成させて、羊皮紙と、ヘレナの身体が微かに光を帯びるのをみんなで見守る。

「契約完了だ。じゃあ今日はこの辺で。君にお願いしたいことは、後日また連絡するよ。今のところ大したお願いは無いけどね」

 連絡方法は任意で。今後は接触を極端に誤魔化す必要も無い。ヘレナに目立った犯罪を依頼するつもりは無いし、わざわざ接点を隠すことも無い。だから用があったらギルドか家に直接会いに行くこともするだろう。ヘレナもそれで了承してくれた。

 支払いはまあ、支払える時に呼び出してもらおう。

 今日は一時金として家族の貯金から金貨三枚分を渡されたので、その明細もちゃんと交わしておく。うん、これも今度、テンプレート作らなきゃね。

「アキラちゃん、宿まで歩ける? 近くの宿、取っておこうか?」

「いや、帰れるよ。ありがとう」

 立ち上がる時にリコットが小さく声を掛けてくる。一瞬、その手もあるな、と思ったけど。もう色々面倒くさい方が勝ってしまった。

「ああ、二人の身体に後遺症が出ないことは注視して。何かあったらまどろっこしいこと無しで、うちの宿に駆け込んで来ていいから」

 それだけ言い含めて、私達は彼らの家を辞去した。

「お人好し」

「……ただのアフターケアだよ」

 見送ってくれる彼女らの目が無くなってすぐ、ナディアにそう囁かれて笑っちゃった。

「でもナディ、怒ってくれて、ありがとう。話が早く済んで助かった」

「私個人として腹が立っただけ」

 黙っているなら付き添わせてあげるって約束をヘレナが破ろうとした時も、ナディアが止めてくれたし。憎まれ役なのに請け負ってくれるこの子の優しさが好きだ。よしよしと撫でる。煩わしそうに揺れる猫耳も好きなので、不機嫌な顔をされても私の頬は緩んでしまう。

「お昼は部屋で食べるよね。寝る前にも何か少し食べる? 果物とか」

「ああ、良いね」

「じゃあ私達が買ってくる。先に果物だけ」

 そう言ってルーイとラターシャの二人が急ぎ足で、市場の方に行った。

「背中が可愛い」

「分かるけど、アキラちゃん前見て歩いて」

「はい」

 怒られちゃった。ちっちゃい子供か? いや介護だなこれは。リコットにしっかり手を繋がれている。それからものんびりと歩いて、無事に宿に到着。前回同様、私はお風呂に入ると言い張って汗を流す。出てきた頃には子供達が沢山の果物を買ってきてくれていた。

「重たかったでしょ、ありがとう」

 子供達の頭をぐりぐりと撫でて、用意してあった果物を頬張る。あ~美味しい。汗をいっぱい流して渇いた身体に染みますね。

「は~、身体いってぇ~」

「めちゃくちゃ反動出てるじゃん……」

 横になる時にそう唸ったら、リコットは呆れた顔をした。私の上掛けを整えてくれながら、優しい手が私の頬と額を滑る。冷たくて気持ちいい。

「冷たくて気持ちいいって顔してるけど、アキラちゃんが熱いんだからね」

「へへ」

 バレてら。呑気に笑って返すことにも、また呆れた顔をされた。

「お昼に起こす?」

「んー、うん、起こして」

 お腹が減りそうだから。と続けるつもりだったんだけど、リコットが撫でてくれる手が気持ち良くて力が入らない。口は微かに動いたと思うけど、もう声にはならなかった。私はそのままストンと眠り落ちた。

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