第383話
ミルヴァはヘレナほど号泣しなかったが、やはり長年こんなものを抱えて苦しんできた分、容易く涙は止まりそうにない。
「まだ妹さんが残ってる。少し休憩したら彼女の解呪に入るから。声を掛けてあげて」
「は、はい」
私の声が聞こえてそうなタイミングを見計らってそれだけ告げると、私は立ち上がった。
「アキラちゃん」
「トイレに行きます……」
「ああ、うん」
もう限界だ。リコットが堪らず笑った声が聞こえた。
私達が客室から出ると、正面にあるリビングで待っていたヘレナとその家族が立ち上がる。
「成功したよ、着替えたら出てくる」
短くそれだけ軽く告げて、「トイレ貸して」と続けた。「ありがとうございます」を慌てて告げた後、ヘレナがトイレに案内してくれた。ふう。危ないところだった。
「十五分だけ休憩したら、次、妹さんね」
「はい。よろしくお願いいたします」
シルヴィが緊張しながら頷いて、ヘレナとダニエーレは彼女の肩に手を添えていた。心をケアするのは家族。私じゃない。心配しそうになる気持ちを押し込めて、一旦、女の子達の待つ応接室に入る。
リコットは私がトイレに駆け込んでいる間にもう合流していて、のんびり紅茶を頂いていた。
「今の内に尿瓶、買ってこようか?」
「ふふ。いや、多分、大丈夫」
悪戯っぽく笑いながらリコットがそう言って、思わず私も笑い声が漏れる。他のみんなも一緒に笑っていたから、もう聞いていたみたい。そうだね、私がトイレに駆け込んだせいで一緒に応接室に来なかったんだから、その理由の説明が必要だね。
「はー、十分経ったら、起こして」
水を飲んだ後、私はソファのひじ掛けに項垂れるように凭れた。隣のラターシャから「え」と戸惑った声が聞こえたけど、眠いのでもう顔を上げない。力を抜いたらすぐに意識が飛んでいった。
だけど私は、起こされる前に一度、目を覚ました。
「……ん?」
「あはは、アキラちゃん、混乱してる」
ルーイに笑われてしまった。でも私はその混乱のまま、目を何度も瞬く。寝た時と景色が違うのだ。数秒後、膝枕してもらっていることに気付いた。見上げたら、ラターシャだった。ちょっと恥ずかしそうに目を瞬いている。
「あの、ごめん、リコットがね、その」
その説明だけで何となく察する。座ったまま変な形で寝ようとしている私を見兼ねて、横にさせてあげた方が良いとリコットが言い出し、隣に座っていたラターシャの膝の上に私を転がしたんだな? 恥ずかしがり屋のラターシャが自らこんなことを望むわけがないからな。
ちらっとリコットに視線を向けたら、ニコニコしていた。も~可愛い顔しやがって。
「ごめんね、ラタ。重たかったでしょ」
「ううん、それは平気」
優しいラターシャはそう言ってくれるけど、人の頭って結構重たいし、ラターシャみたいに細い子の脚には辛かっただろうと思う。私は早々に身体を起こした。するとまた、「え」と戸惑う声が聞こえる。
「ん?」
「えっと、まだ、十分も経ってないよ」
「ああ、うん……もうちょい、ねる」
ちらりと時計を見れば、寝たのは七分くらいかな。一瞬だったが、寝ないよりはマシな感じ。行儀が悪いのは分かっているが、私は改めてソファに深く腰掛けて、背凭れに後頭部を預けるようにぐでっとした。
「しんどいなら、もう少し休憩させてもらっても、良いと思うけど……」
うとうとしていて、ラターシャの優しい声には応えられなかった。
三分後、私がお願いした通りに起こしてくれたのはナディアだった。多分、ラターシャは起こしたがらなかったんだなって、眠り就く寸前に言われたことを思い出しながら想像する。
「んー、ありがと。顔、洗ってくる」
そう言って私はサッと立ち上がり、応接室を出た。
ヘレナに断りを入れて洗面所を借り、顔を洗う。ジャバジャバと冷たい水を直接、顔に掛けた後は、自分の収納空間から引っ張り出したタオルを濡らして、首周りを拭いた。
「リコ」
「うん?」
誰か後ろから付いて来てるなーとは思っていた。顔を洗い終えて、俯いたままで少しだけ後方を確認したら、足がリコットだった。
「ちょっと外に出てて」
「……うん」
不満そうだったけど。何も言わずに出てくれた。扉が閉じた音がしてから、顔を上げる。目の前の鏡に映る私はやや疲れたような、情けない顔をしていた。
タオルは収納空間にとりあえずポイ。新しいタオルで顔などの水気を取って、それもまたポイ。
「よし」
自分の胸辺りに両手を当て、深呼吸を一つ。
「
効くかどうかは五分五分だったが。鏡の中の私はさっきよりずっと顔色が良くなった。うむ。今の不調はただただ体力的なものであって魔法の反動じゃないし、回復魔法も少し効くみたいだ。後から疲れがドッと出そうだけど、今はまあいい。仕方がない。
「じゃー、次やろうか~」
洗面所から出て、ちょっと呑気な声でそう宣言する。ヘレナ達は緊張の面持ちで「はい」と言い、いつの間にか応接室から出てきていた女の子達は、私のことを心配な顔で見つめた。
「あ、あの、アキラ様」
「ん」
準備の為に客室の方に向かおうとしたら、ヘレナが少し焦った様子で私を呼び止める。
「付き添わせて頂けませんか? 決して邪魔は致しません。妹はまだ子供なのです、どうか」
「お姉ちゃん」
妹さんがヘレナを窘めるように呼ぶが、ヘレナは私から目を逸らさない。子供と言っても。確か十八歳だろ。
いやまあ、十八歳は、子供でもあるわな。
「私が許すまで一切、喋らない、大きな音を立てない、集中を妨げるような動きをしないこと。守れるなら、一人だけ入って良いよ」
「はい、お約束します。ありがとうございます!」
結局、ヘレナが入ってくるらしい。私の付き添い係を交替するナディアがちょっと嫌な顔をしたのは分かっていたが、それはそれということで。いつも気苦労を掛けてすまない。不満は後で私が聞くからね。
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