第382話

 寝台には薄手の毛布と枕だけが乗っている。私が前回やった手順を踏まえて、大きな布団などは避けておいてくれたのかな。じゃあそのままこれを使おう。肌に触れるものだし、自分の家の物の方が安心するよね、きっと。

 一旦その毛布を端に寄せて、布製魔法陣を敷いた。前回は固定までしていなかったんだけど、今回は固定しておく。この間、ヘレナが痛みに身を捩った時に少しズレていたから。あの時も効力に問題は無かったし、今回は痛みが無いように処理するので更に何の懸念も無いが、念の為だ。

 その頃、客室の外では最後になるかもしれない家族との会話がされていた。「私は大丈夫だから」とか「万が一の時は」とか。消音しておけば良かったかな。私はともかく、少し目を細めて壁を見つめているリコットには酷だったかもしれない。私が頭を撫でたら、リコットはキョトンと目を丸めた後で、何だか可笑しそうに表情を緩めていた。

「お待たせしてすみません。宜しくお願いいたします」

 言われるほど待っていない。最後かもしれない家族の会話としては、むしろ短すぎるくらいだ。まあ、今日を迎えるまでに色々話はしていたんだろうけどね。

「魔法陣がある場所は、ヘレナと同じかな?」

「はい、此方です」

 ミルヴァは下腹部に手を当てた。私は頷く。ところで私の守備範囲に年齢上限は無い為、出来る限り、目に入らないようにしたい。

 ヘレナの時と同じく、魔法陣が見えるように服を脱いで、毛布でその場所を隠してほしいとお願いした。状態を時々確認するかもしれないが、基本は見なくても解呪できると改めて説明する。多分、事前にヘレナから手順も聞いていたんだろう。戸惑いなく頷いたので、私とリコットは彼女に背を向けた。

 準備が終わると、リコットは前回同様、ベッドに背を向ける形で椅子に腰掛ける。私はミルヴァの顔が見えるように椅子を引き寄せ、座った。

「最初だけ少し魔法陣の確認をするね。失礼」

 毛布を少しだけ引き下げ、模様を確認する。ヘレナのものと確かに同じだ。タグが示す機能にも違いは無い。それだけ確認したら視覚情報は要らないので、丁寧に彼女の腹部へ毛布を掛け直した。

「上から少し触るよ」

 毛布越しに下腹部に手を当てる。魔力探知で内部を探った。直後、私は少しだけほっとした。本当にヘレナのものとほとんど同じだ。年月を重ねることで魔力回路と一体化してしまっていたり、複雑化してしまっていたりする可能性を危惧していたけれど、そんなことは全く無い。

「じゃあ、解呪を始める。眠ってもらうけど、いいね」

「はい。……宜しくお願いいたします」

「最善は尽くすよ」

 一瞬、不安そうな色を目に宿した時の顔はヘレナによく似ていた。私の返答に、ミルヴァが微かに笑みを浮かべる。そして私の催眠魔法を受け、ゆっくりと目を閉じた。

 彼女が完全に眠りに就いたのを見守ってから、下に敷いた魔力減退の魔法陣を起動させる。今回これは順序を逆転させた。ヘレナの話を聞く限り、魔力は減退時と復活時に少し違和感が出るらしいので、戻す際も眠っている間にしようと思っている。ただ、催眠魔法は今ので弱まってしまったので、重ね掛けしておいた。減退の術の起動前にそれを加味して強いものを掛けると身体への負担が大きい為、これは二度掛けしか無かったのだ。まあ、大した手間じゃない。

「じゃ、始める」

「何か要る時は言ってね、傍に居るから」

「ありがとう」

 柔らかいリコットの声に癒されつつも、私はしっかりと集中した。二度目とは言え、油断してほんの少しミスをしたら人が死ぬ。ヘレナを解呪した私の苦労も水の泡だ。私への報酬は『三人を全員無事に解呪する』ことが条件だからね。

 よし。やりますか。

 小さく息を吐いてから。ゆっくりと彼女の体内へ、魔力を注いだ。

 次に私の集中が途切れたのは、隣から「アキラちゃん」と優しい声が掛かった時。瞬きをしたら汗が額から滴り落ちた。

「ああ……ごめん、汗」

「うん」

 リコットが拭いてくれる。ほっと息を吐き出した。彼女が隣で少し動くことで揺れる空気の流れが濡れた肌に触れて、涼しく感じた。

「水は?」

「欲しい」

 此処に居るのがリコットだから、まだ一時間も経っていないのかな。部屋には時計が無いからよく分からない。水を貰って、気を取り直すように少し頭を振った。その時、ちょっと身体に違和感があって、あー、と苦笑いを浮かべる。

「ねえリコ」

「うん?」

「漏れそう」

 何がとは言わないが、流石にこれだけで伝わってくれるだろう。

「えぇ……尿瓶しびんの用意は無いんだけど……」

 めちゃくちゃ困惑した声が返ってきたから、可笑しくって肩を震わせて笑う。

「どうするの?」

「うーん、あとちょっとだから、我慢するよ。いや~盲点だったねぇ」

 つまり別にリコットに助けてくれと言うわけじゃなくて、面白かったから聞いてほしかっただけ。リコットも私の心情に気付いたのか、やや呆れたように笑っていた。また軽く頭を振って、息を吐く。あと少しだが、あと少しだからこそ最後まで慎重にやらなければ。「続きやる」と短くリコットへ宣言して。もうひと頑張りした。

 その後、多分、十二、三分くらい。全ての『足』を引き剥がし、呪いの魔法陣を取り除いた。

「はぁ~、おわり」

「成功したの?」

「たぶん」

 まだ逆を向いているようにとリコットを手振りで促してから、そっと毛布を捲る。魔法陣はもう残っていない。リコットに手伝ってもらって真偽のタグも確認した。特に隠さずこの場でね。前より短い時間で終えられたようだから、ミルヴァが途中で目覚めることは無いだろう。結果、間違いなく解呪は成功していた。

「リコ、少しだけ離れていて」

 ヘレナの時に大丈夫だったから何も無いとは思うが、念には念を。痛みが無くても、何かの違和感で暴れないとは限らないからね。私の女の子達には守護石があるので全く問題ないものの、危ないのはむしろこの人の方。守護石に弾かれたらどうあっても多少は怪我をする。

 リコットが部屋の端に移動したのを確認して、魔力減退と催眠魔法を掛けた時の逆手順で丁寧に解いた。

「……痛みや異変は無い?」

 目覚めたミルヴァは私の問いに何度か目を瞬いてから、「はい」と、やや戸惑った様子で答える。

「解呪は成功したよ。ゆっくり身体を起こしてみて」

 身体を起こしても異変の無いことを確認する。彼女自身の目で、魔法陣が消えていることも確認させた。ヘレナの前例があるので既に顔は背けておいた。ミルヴァもやっぱり、涙ながらに私へ感謝を告げた。

 今更だけど。寝ている間に解呪が終わるから時間の経過がピンと来なくて、始まる前に起きてしまったような感覚なのかも。だから起きた時、ヘレナもミルヴァも、どうして目覚めたのか分からないような顔をするんだな。

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