第377話

 ちなみに私がわざわざテントから出てきたのは、万が一にでも途中でヘレナに目覚められたら困るからである。『魔力減退』の影響下で催眠魔法を使うのは初めてだったから、正直、どれくらい眠っていてくれるか分かっていない。催眠魔法の持続性や効力も今回は実験の範囲だった。私がテントに戻っても寝ていたら、お母さんと妹さんも今回の強さで大丈夫そうかな。

「じゃあ最後に催眠を解いて、痛みが無いことを確認したら終わりだ。もうちょっとだから、待ってて」

 魔力を止めた時点で痛みが止まっていたことと、今タグで『後遺症が無い』と確認しているから、痛みも無いと思う。だけど念には念をだ。まだ消音魔法は解かない。私は急ぎ足で、テントへと戻る。一人でヘレナを見ているナディアも不安だろう。

 そう思った通り、私が戻るとすぐに顔を上げたナディアは、目が合った瞬間にちょっとホッとしたようだった。可愛い。説明もなく放置してごめんね。

「解呪できているみたいだから、これから彼女を起こす。もし痛みが残っていれば暴れるかもしれない。出てる?」

「いえ、傍に居るわ。でも邪魔にならないように少し離れるわね」

「うん」

 ナディアは立ち上がると、椅子と共にベッドから距離を取ってくれた。そうだね、その対応が正解だ。

 まずは催眠を解く。眠るヘレナの額に手を当てて、いつもより丁寧に術を解いた。同時にヘレナの目蓋が震え、ゆっくりと目が開かれる。目覚めは、とても静かだった。

「……アキラ様」

「うん。ヘレナ。痛みは無い?」

 二度の瞬きをしてから、ヘレナは「はい、ありません」と答える。第一段階はクリアだな。

 思わずホッとしたせいで表情が緩み、つい、触れたままだったヘレナの頭を少し撫でた。すると何故か背後のナディアの気配が尖ったのを感じて、反射的に背筋を伸ばす。え、何で怒ってんの?

 それが怖かったのと、特にこれ以上ヘレナに触れている理由が無かったので、額から手を離した。

「今から下に敷いてる魔力減退の術を解除する。痛みが出る可能性があるから、異変があったら教えて」

「は、はい」

 先程の痛みを思い出したのか、ヘレナはシーツをぎゅっと握った。

 それを横目に、彼女のバイタルを先程までと同じように確認する。緊張していることで少し乱れているものの、全て正常範囲内だ。

 静かに一つ呼吸をしてから、「解くよ」と告げ、術を解除した。直後ぴくりとヘレナの手が震えた。しかし、悲鳴は無かった。

「一瞬、脈打った感覚がありましたが、痛みはありません」

「そう、良かった。その感覚は多分、魔力が戻ったからだね」

 彼女の身体を魔力探知で探ってみる。異変は無い。魔法陣の魔力も感知できない。本当に残っていないようだ。

「解呪できたよ、ヘレナ」

 丁寧に告げたら、彼女が目を見張った。ただ、それだけで彼女は固まってしまった。待ってみても続く反応や言葉が無い。

「痛いところは本当に無いね? 身体をゆっくり起こしてみて」

 呆然としている彼女を引き起こす為に肩に触れる。ようやく言われていることに気付いた様子で、ヘレナは慎重に身体を起こして、ベッドに座った。

「あの……」

「痛みは無いね?」

「はい、ありません」

 動かすことで影響が出る可能性も考えていたが、それも無いらしい。しかしヘレナは私の顔を見つめるばかりで、タオルケットを捲って確認しない。少し不思議に思ったが、「ああ」と言って、私は少し離れた。そして改めて、「確認していいよ」と告げる。

 私が身を寄せていたから、タオルケットを捲ると角度的に下腹部を晒すことになる。そのせいか――と思ったんだけど、もしかしたらそういう理由じゃなかったのかも。

 タオルケットを捲るヘレナの手は、酷く震えていて、確認するまですごく時間が掛かった。

 しかし、ほんの少し捲って、呪いの証が消えているのをその目で確認した途端。私達の存在なんか気にする様子無くタオルケットを大きく取り払ってしまった。おいおいおい、下半身が全部出てるよ。私はさり気なく視線を逸らす。

「ほ、本当に……」

「うん。間違いなく解呪できてるよ」

 するとヘレナはボロボロと大粒の涙を零して泣き出してしまった。とりあえずタオルケットをハンカチ代わりに渡しつつ、下半身を隠す。涙で聞き取りづらい「ありがとうございます」が繰り返された。

 私は雑にその声に頷くと、立ち上がって、丸まったヘレナの背を一度だけポンと優しく叩く。

「落ち着いたら、服を着てテントから出ておいで。何かあったら呼んでね」

 彼女の返事が何だったのかも、泣いているせいでよく分からない。だが聞き返すことはせず、ナディアも促して一緒にテントを出た。

「アキラ」

「ん?」

「消音魔法を解除しておいて。私は此処で、中の様子を窺っているから」

 そう言ってナディアはテントの脇で立ち止まった。まあ、そうだね、急に体調が変化する可能性も、ゼロではないからね。

「……分かった。ありがとう」

 言う通りに消音魔法を解除したら、微かにヘレナの泣いている声が聞こえてきた。あんまり聞きたくないので、私はその場に留まらない。多分ナディアはそれもよく分かっていて、自分が付いているって言ってくれたんだと思う。此処は甘えておくことにした。

 傍を離れて、リコット達の居るテーブルの方へ向かう。でもみんなが座る方には座らない。少し手前にもう一つテーブルを出し、そちらの方へと座った。一拍置いてから、リコットが私の傍に歩いてくる。

「お疲れ様。何か要る?」

「いや、今は良いよ」

 答えながら少し俯くと、頭の奥がつきりと痛んだ。私は表情を歪めてしまったんだろうか。リコットの手が私の頬に伸びてきた。熱を測ろうとしたんだと思う。だけど咄嗟に掴んで、止めてしまった。

「アキラちゃん?」

「ごめん。後にして」

「……うん」

 冷たい言い方になってしまったかもしれない。リコットは少し寂しそうに頷くと、私から離れてくれた。本当にごめん。後でちゃんと謝ろう。

 三分ほど経った頃。ナディアが徐にテントから離れて、此方に移動して来た。おそらくヘレナが落ち着いて、そろそろ出てくると思ったんだろう。案の定、ヘレナはすぐに出て来た。

「座って」

 私の座っている方のテーブルに呼べば、小さく会釈してからヘレナも座る。みんなは此方に来ない。ナディアもリコット達の方のテーブルに居た。

 とりあえずついさっきまでわんわん泣いていたヘレナには水をあげよう。コップを差し出すと、それにもまた頭を下げてから、乾いた喉を潤すように三分の一くらい一気に飲んでいる。いや、喋る為に喉を潤したのかも。コップを置いた彼女は改めて私を真っ直ぐに見つめてきた。

「本当に、ありがとうございました」

 テーブルに額でも付けるつもりかってくらい、ヘレナは深く頭を下げた。私は視線を彼女から外して、テーブルの何でもない木目を見つめていた。

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