第376話

 再びヘレナの腹部へと手を翳して、再度、魔力を流し込んだ。バイタルに変化なし、ヘレナも反応しない。そのまま同じ要領で三つ目の『足』を剥がす。

 ――反応は、無い。

 バイタルも変化しない。よし、催眠中なら痛みを伴わないようだ。魔力回路の痛覚は普通の神経とは別とは言え、おそらく所有者の『意識』と繋がっているんだね。だから意識を奪えば、痛覚とも繋がらない。安堵で一度、小さく息を吐いた。

 これなら続けられそうだ。このままミスをしないよう、解呪に集中――。ああ。その前に。

「リコ」

「うん?」

 隣にずっと座っていたリコットへと、声を掛ける。

「眠っていれば、処置をしても痛みは感じていないみたいだ。辛かったでしょ。彼女を起こすまではもう大丈夫だからね」

 ヘレナが悲鳴を上げる度、リコットも耐えるようにぐっと目を閉じて眉を寄せていた。人の苦しむ声は、聞いているだけでもすごく苦しかったよね。リコットが少し笑って、吐息を漏らした。

「私のことまで心配しなくていいんだよ。でも、ありがとう」

 彼女の言葉に軽く笑みを返して、私は再びヘレナの魔法陣と向き合う。此処からはひたすら、根気だな。細かい作業は嫌いだけど、こればっかりは代わりが居ないので文句を言っていられない。頑張ろう。

 それから、どれくらい時間が経ったとか、あんまり感覚が無くなった。

 一つずつ慎重に解いていく中、他に何も考えていなかった。時々ヘレナのバイタルが安定していることを確認するくらいで、リコットが傍に居ることも、いつの間にか忘れていた。

「アキラちゃん」

「……ん?」

「ごめんね、汗だけ、拭くよ」

 不意にリコットがそう言って、私が少し彼女の方へ視線を向けたところで、頬にハンカチが当てられた。ああ。言われてみれば、私の頭や頬から、汗が流れている。集中していて気付いていなかった。

「視界、邪魔になるかな?」

「ううん、視覚は要らないから」

「じゃあ少し、前ごめんね」

 リコットは軽く身を乗り出すと、目蓋の上とか鼻先、額も丁寧に拭ってくれた。少しすっきりした。気付いていなかったわりに、拭われたら楽になったということは、無意識下でも汗が鬱陶しかったんだな。「ありがとう」と言えば、リコットは柔らかく微笑んでくれた。

「飲み物は?」

「ああ、水を、少しもらえたら」

「すぐ持ってくるよ」

「うん」

 一旦リコットが離れて行く。その気配がテントから消えると同時に、大きく息を吐き出した。

 魔力供給は止めているが、気は抜けない。言うなれば海の中、足の付かない場所で立ち泳ぎしてる状態かな。留まるにも、ある程度、神経を使う。

「――あと十五分ね」

「うん、分かった」

 そんな短い会話がテントの傍で聞こえて、リコットが戻ってきた。水を入れたコップを私の口元に近付けてくれたけど、大丈夫、片手くらいなら放せます。自分の手でコップを受け取って、水を飲んだ。

 手を翳すのも、集中する為に取るポーズであって必須ではない。外科手術とは違って、使っているのは魔力だけだからね。あんまり距離があると魔力制御が弱まってしまうので、流石にこの場を離れることは出来ないけど。ちょっと休憩~って散歩に行くわけにはいかないのだ。

「十五分したら、ナディ姉と代わるね。一時間交替」

「ああ、うん。もうそんなになるのか」

 水を飲み終えて、ぶは~と息を吐いていたらリコットが言った。

 あと、どれくらい掛かるだろうな。よく分からない。魔法陣が体内にしっかり絡まってるからなぁ。うーん、いや、あんまり先を考えると途方に暮れるかもしれないので、地道にやろう。

 もう一度大きく息を吐いて、再び解呪に集中した。その後リコットが話し掛けてくることは無くて、十五分後にナディアが入ってきてリコットと交替したみたいだけど、私は反応しなかった。というか、集中していて気付いていなかった。後から、そういえば交替したんだっけ、隣にナディアが居るなぁって思った。

「ナディ、ごめん」

「なに」

「水、ちょうだい」

 言ったらすぐに渡してくれた。用意してたみたい。ありがたい。飲んで、長く息を吐いたら、私の集中が途切れるのを待ってたみたいに、汗も拭ってくれる。

「ありがと」

「他には何か必要?」

「いや、平気」

「そう」

 返事は素っ気なかったけど、声は、冷たくなかった。小さく頷いて、また集中しようとした寸前。

「何か要るならいつでも言って。此処に居るから」

 事実を口にしてくれただけだったと思うのに、何でだろう。妙にほっとして、口元が緩んだ。

 それからまた、しばらく黙々と解呪を進めて。最後の一つと思われる『足』を引き剥がしたら、呪いの魔法陣の魔力をひと纏めにして身体から慎重に引っこ抜く。見落としがあったらまずいので、バイタルを何度も確認しながら引き上げた。魔力を身体の外側まで移動させても、ヘレナは安定していた。彼女の身体から五センチほど引き離した後、私の魔力で圧し潰して消し去る。頭の奥が一度だけずきんと痛んだ。

 彼女の身体に掛かるタオルケットを捲る。痣のように浮かんでいた魔法陣は無くなっていた。ナディア達の身体にあった焼印とは違い、内側から魔力の影響で浮かび上がっていたものであって実際の傷ではない。魔力を取り除くだけで消えてくれた。

 再びタオルケットで患部を隠して、彼女の身体を魔力で探る。問題箇所は見当たらない。

 ふと見れば、隣に座ってるのはまだナディアだった。二時間経ってないってことかな。

「ナディ、ちょっと、彼女を見ていて」

「え?」

 椅子から立ち上がると、ずっと同じ体勢で座っていたせいで、少しふら付く。

「アキラ」

「ん、大丈夫。足が固まっちゃったな」

 とんとんと太腿を叩いた。不安そうに見上げてくるナディアに、「長くても二分で戻る」と告げて、一旦テントを出る。

 私一人だけがテントから出てきたことに、リコット達がぎょっとして立ち上がっていた。いや、立たなくて良いよ。軽く手を振って、座ることを促す。

「どうしたの?」

「一応、解呪が済んだ。ごめん、誰でも良いから私の問いに『はい』って答えて」

「私がやる」

 タグでの解呪確認だ。ラターシャがすぐに気付いて応じてくれた。

 私は元から準備していた確認用の言葉を淡々と述べる。「ヘレナの魔法陣は完全に解呪できた」「今の彼女の寿命は普通の人族と同じだ」「二十五歳で亡くなる未来は確定してない」「あの魔法陣による後遺症も、解呪の後遺症も無い」など、出来るだけ細かく、一つずつ確認して、タグの抜け穴に引っ掛からないように気を配る。

 ラターシャが「はい」と答えてくれる全てに『本当』が出たのを確認して、私は深く頷いた。

「成功したっぽいね」

 みんなが安堵の表情を浮かべ、それぞれ静かに息を吐く。私も一度空を仰いで、ふっと短く息を吐いた。

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