第375話

 テントに三人だけになると、唐突に広く感じるな。とにかくリコットも座れるようにと追加で椅子を出す。するとリコットはそれをくるりと逆向きにした。

「私はこっち向いてるね、特にヘレナさんを見張る気は無いからさ」

 私の傍に付いていることが理由であって、解呪自体は見ていても分からない。見る必要は無いってことみたいだ。まあ、ヘレナに対する気遣いでもあるだろう。良い子だなぁ。

 さて。解呪しますか。一度ヘレナに立ち上がってもらって、さっき見せた魔力減退の布製魔法陣をベッドに敷く。

「下を脱いで、呪いの魔法陣が見える形で仰向けに横になって。それからこのタオルケットをお腹のところに掛けてね」

 見せろとか隠せと言うのでややこしいかもしれない。ちょっと言葉を付け足そう。

「解呪は基本、タオルケットを掛けた状態でやるよ。見なくても出来るから。ただ、進捗や状況を確認するのに見ることもあると思う」

 そこまで言うと理解できたのか、ヘレナが頷く。一旦、彼女が準備を整え終えるまで私とリコットは背を向けて待った。そして彼女の準備が終わると、私だけがヘレナに向き直る。リコットは、逆側に向けた椅子へ腰掛けていた。

「じゃあ、始めるよ。痛みがある時はすぐ教えてね」

「はい」

 すぐに教えてくれても、すぐに痛みを取ってあげるとは言わないが。実験なので。

 タオルケットの上から、魔法陣がある場所に手を添える。一度、魔法陣の魔力を探ってから、ベッドに敷いた魔力減退の術を起動。

 よし、ちゃんと作動している。ヘレナの魔力と呪いの魔法陣の魔力が小さくなった。でも私の魔力に対しては誤差で、影響がほぼ無い。此処までは予想通り。

 状態を入念に確認しながら、早速、解呪をするべく呪いの魔法陣の魔力を辿って行く。

 すると魔力回路の付近まで私の魔力を介入させたところで、ヘレナの身体がぴくりと震えた。

「痛い?」

「い、いえ。ざわざわと……くすぐったい、感じです」

 私は眉を少し顰める。まずいかもしれないな。まだ剥がしにも掛かってないのに感覚があるってことは、おそらく。

 最初の魔法陣の『足』をヘレナの魔力回路から剥がした瞬間、ヘレナが悲鳴を上げた。予想はしていたものの、想像以上に痛みがあるらしい。一度、魔力の動きを止める。

「あっ、ぐ……」

 身体を強張らせ、ヘレナには既に脂汗が滲んでいる。私は彼女の様子と、彼女のステータスをじっと観察するように眺めた。

「今、供給を止めてる。まだ痛みがある?」

 声には優しさが微塵も乗らなかった。もうちょっと優しく囁いてあげた方が良かったかな。でもヘレナはそんなことに意識を向ける余裕もないらしい。何度か頼りなく目を瞬いた後で、震える声で応える。

「いえ、今は、無い、です」

「分かった」

 痛みは剥がす瞬間だけだったようだ。解呪の処理を一度止めて、魔道具を一つ取り出した。

「早速、麻痺の術を掛けて様子を見よう」

 カムフラージュ用の虫除け魔道具をベッドに置いて光らせながら、彼女の腹部に麻痺の術を掛けた。さっきの痛みであんまり余裕は無さそうだから、多少のタイミングのずれなんかは見付からないだろう。割と雑なカムフラージュである。

「今、脇に触ってるけど、感覚はある?」

「え? あ、いいえ、全く」

 脇の辺りに手を当てていたが、ヘレナは少し驚いた様子で身体を見下ろし、私が触れている場所を凝視してから首を振った。全く感覚が無くてびっくりしたらしい。とにかく麻痺は正しく効いているってことだね。

「この状態で進めるよ」

「……はい」

 また魔力を流入させる。同時に、ヘレナがシーツを握った。ああ、感覚があるんだなと、冷静に思った。その時点で予想は出来ていたが、二本目の『足』を剥がしたら、ヘレナは一本目と変わらないくらいの反応を見せた。腹部が麻痺しているから身体は捩れなかったようだけど、足を突っ張って、身体中を強張らせる。

「また供給は止めたよ。痛みが落ち着いたら、言って」

 私は淡々とそう告げて、ヘレナの呼吸が整うのを待った。少しして、ヘレナが「大丈夫です」と言った。何も大丈夫ではないだろうけどね。

「今は痛くないね?」

 私の問いに、ヘレナは無言で頷く。多分、「はい」って答えたつもりだったようだが、声が出なかったみたいだ。でも嘘ではない。一時的であれ激しい痛みに耐えた心身が恐怖などで強張っているんだろう。

「一回目と二回目で、痛みに差はあった? 分かる範囲で良いよ」

「……いえ、明らかな差は、無かったように思います」

「具体的にどこが痛いか、場所は分かる?」

 少し考えた後で、ヘレナお腹の奥の、背骨に近い位置だと説明した。

 ふむ。腹部には含まれる場所みたいだけど、魔力回路の痛みと、普通の神経の痛みは別か。

「ヘレナ」

 少し身を乗り出して、ベッドに寝そべる彼女の顔を覗き込む。

「麻痺の魔法では意味が無いみたいだ。この状態で解呪は続けられないから、催眠の魔法で君には眠ってもらう」

 不安そうな目が、私を見つめる。

 このまま眠って、その間に私が解呪に失敗したら、彼女は何も知らずに眠ったままで死ぬことになる。もしかしたら今が最期の、意識ある瞬間かもしれない。

「怖いだろうとは思う。だけど催眠状態なら耐えられるかどうかを君の身体で確かめないと、お母さんと妹さんの解呪が安全にできない。分かるね」

 少し間を置いて、力無くヘレナは「はい」と答えた。

「じゃあ、このまま眠ってもらうよ」

「アキラ様」

「ん?」

「……おねがい、します」

 私はカムフラージュ用の鳥除け魔道具を取り出してから、ヘレナの額に手を置いて、軽く頷く。

「最善を尽くすよ。……おやすみ、ヘレナ」

 術を掛けたら、静かにヘレナは眠りに就いた。

 しかし続けるにあたって、ヘレナに意識が無いと、身体の状態が分からないな。彼女の脈とか基本のバイタルが監視できれば良いんだが。

 そんなことを考えながらステータスを確認すると、タグが気を利かせて出してくれた。体温、脈拍、血圧、呼吸速度の四つだ。気を利かせたのかはさておき、出たならそれでいい。医学知識があるわけじゃないのでどの値がどうなったら異常なのかも知らないが、横に「正常」とまで表示してくれているので助かる。

 あとは解呪中に大きな変化が出ないよう、これを見張りながら進めるだけだね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る