第373話_ジオレン東の森

 間違いなく街から見えないと確信できるだけヘレナが森に入り込んだところで、私は身を隠していた場所から移動を始める。

「おはよ」

 ガサ~と草木の間から登場したらヘレナが肩を跳ねさせて、大きく一歩、後退あとずさっていた。

「ごめん」

「い、いえ、おはようございます」

 驚くだろうとは予想していたものの想像以上だったので流石に謝った。こんなに怖がらせる気は無かった。これは断じて意地悪ではない。

「じゃあ行こうか、……あれ、ナディ?」

 私が隠れていた場所から、ゆっくりと此方に歩み寄ってくるナディア。合流くらい一人で行くと言ったはずが、彼女だけ見張りに来たのだ。単独行動はこんな場合にも許されない私である。しかし何故かその『見張り』役の彼女の足取りが遅くて、やや俯き加減。何かあったかな?

「ナディ、どうしたの?」

「……毛虫がついてきたから。どうしようかと思っているところ」

「おおぉ素手で触らないで、待って待って」

 変なところに屈んで待機させていたから、毛虫に懐かれてしまったらしい。ナディアの視線の先を見れば袖に小さな毛虫が張り付いている。私は慌ててハンカチを使って毛虫をポイした。毒があるかもしれないし、これ以上ナディアに懐かれては困る。他には何も引っ付いていないな? 私の可愛い女の子に止めてよね。私のせいだが。

 厚手の上着に乗っていただけだから、腕の方には被害は無いようだ。ステータスにも問題ないし、大丈夫そうだね。しかしナディアはこんな場合でも無表情のままで冷静だな。特に毛虫も怖くはなかったみたい。強い。

「待たせてごめん、ヘレナ。行こう、この子の後ろをついてきて」

「はい」

 私が先頭、後ろにナディア、その後ろにヘレナという形で縦一列になって歩く。此処はただの獣道なので、横に並べるほどの幅が無い。ヘレナは私が事前に付けていた目印に従って入ってきたが、普通の人なら此処を狙って入ることはまず無いだろう。ちなみに目印ももう回収済みです。

 更に森の奥へと進むこと五分。大きく開けた場所に出た。二人用テントと、大きなテーブルを出していて、そこでは私の女の子達がのんびりとティータイムをしている。

「こんにちは~」

 最初にリコットが立ち上がってにこやかに挨拶したら、ルーイとラターシャも立ち上がって軽く頭を下げていた。ナディアはそういえばヘレナに全く挨拶をしてないし、今もするつもりが無いようだ。そのまま女の子達の方に行ってしまい、一瞥もしようとしていない。ふふ。可愛い。ヘレナ本人はそのことに気付いているかどうかは分からないが、丁寧に「こんにちは」と挨拶を返していた。朝だけどね。リコットに釣られたんだね。

「とりあえずヘレナ、このテントに入ってくれるかな?」

「私らも良いの~?」

「うん、最初は説明だけだから構わないよ」

 ぞろぞろと連れ立ってテントに入る。二人用のテントとは言ったが、ベッドが二つ入るテントに一つだけしかベッドを置いていないし、中はそれなりに広い。ただ六人もいると少し手狭ではある。

 まずはヘレナを促して奥のベッドに座らせて、私はその傍に椅子を寄せて座った。

「この場所は小さい結界で守ってるから、魔物の心配は無いからね」

「結界が張れるのですか?」

「うん。方法は機密だけど」

 自分が張ったとは言わないでおく。ヘレナには私が何者か知らないままで駒になってもらうつもりだ。

「前回と状態が変わってないか確認するから、ちょっと触るよ、失礼」

 服の上から、魔法陣のあった場所に触れ、魔力探知で探る。よし、数日だけで変化するようなものではないみたい。変わりなし。

「うん、大丈夫そう。じゃあ改めて説明するね」

 収納空間から、布製魔法陣を取り出す。これは相殺用のものじゃなくて、今回の為に特別に作成したものだ。

「これは魔力減退の魔法陣。これで限界まで呪いの魔力を弱めることが出来るはず」

 今回はものすごく繊細な解呪が必要となるので、剥がす為にあまり強い力が必要だと、加減を間違えて変なところに力を当ててしまいそうだ。私ならこの減退術を受けても充分に魔力が余るので、余裕をもって対応できるっていう、私にしか出来ない対処になる。

 勿論、私の魔力量の話は言わず、「私には効かない」「弱めることで私でも解呪できる」という説明に留めておく。

「この呪いは君の魔力回路に深く干渉していて、解呪は簡単じゃない。魔力回路に傷が入れば、死ぬ可能性もある。これは前にも話したね」

 緊張の面持ちでヘレナが頷く。今日まで私も色々滅入って大変だったが、ヘレナだって期待だけを抱いてはいられなかったことだろう。死ぬ準備をした上で来いと言ってしまったんだから。……いやいや、彼女に同情している場合ではない。

「それに、解呪に痛みが伴う可能性も高い。今回の解呪では、どうしても魔力回路に触れてしまうから」

 この方法しかないとは言い切れないが、私にはこの方法しか分からない。私以外に候補が居ればセカンドオピニオンも出来ただろうに――だから同情しないんだってば。一度小さく咳払いをした。女の子達、いや、少なくともナディアには今の咳払いが何だったのかバレてそうだなぁ。

「でも君は『実験体』だ。お母さんと妹さんを助ける為の。そうだね?」

 敢えて卑怯な言い方をしたが、ヘレナは嫌な顔をせずに頷いた。

「だから痛みが出るまでは対応をしない。痛みがあるかどうか、君の身体で確かめたい」

 それでもこの言い方には流石にやや恐怖を感じたらしく、表情が強張り、ほんの少したじろいだ。けれど最後には、しっかりと頷いた。

「一応、色々試そうと思って持ってきたんだけど」

 そう言いながら私は二つ、形の違う魔道具を取り出した。どちらも、今回は全く必要ない虫除けと鳥除けの魔道具だ。私が使う魔法を、魔道具の機能としてカムフラージュする為だけに持ってきました。

 一つは、麻痺魔法を発動するもの。ということにしてヘレナに説明する。解呪の時に痛みが出たら、局所麻酔のように、腹部だけを麻痺させるつもり。

 もう一つは、催眠魔法。麻痺が効かずに痛みが継続するようなら、完全に眠ってもらう。全身麻酔のようなものかな。

「全部が終わって起こした時にも激痛を伴う可能性がある。これも君の身体で確認したい項目の一つ。そこまでが確認できたら、君のお母さんと妹さんには同じ痛みを与えることが無いように色々と対処できると思ってる」

 丁寧にそう伝えれば、ヘレナは私を真っ直ぐに見つめ、頷いた。

「二人が無事なら、それで構いません」

 その言葉に頷き返しながら、そう言えばさっき毛虫に懐かれてしまったナディアに虫除けの魔道具を持たせてあげたら良かったんだな、なんて。ちょっとだけ別のことを考えていた。

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