第371話

 滅入る気持ちを抱きながら、とにかく解呪に必要な術と魔法石の準備に取り掛かる。すると数分後、ラターシャとルーイは姉二人に促されて、お外に遊びに行った。多少なりと暗い空気になってしまったから、気分転換の為かな。

 そう思ったんだけど。

「アキラちゃん」

「何……おぉ」

 呼ばれて振り返るとナディアとリコットが立ち上がっていたので目を瞬く。え、嫌な予感がしますね。詰問されそう。大人の詰問ってこと? ……怖い!

 ちょっと怯えつつ彼女らの動きを待った。しかしのんびりとした足取りで近付いてきたリコットは私に攻撃などすること無く、相変わらずの甘さで腕を回して、擦り寄ってくる。

「大変だろうから、終わったら私が労ってあげる。結果がどうなっても」

 甘い声で耳元に囁いて、それから、頬に軽くキスを落としてくれた。リコットを見上げる私の顔は自然と緩む。こんな風に触れてくれたら、どうしたって嬉しくなるよ。

「うん、ありがとう」

 素直に礼を言って微笑む私に、リコットも少し笑みを深めてまた一つ額にキスをくれた。

「それじゃー、私もちょっと出てくるねー」

 ん?

 リコットはそれだけ言い残し、軽くナディアに目配せするみたいに視線を向けてから部屋を出て行った。

 大人の、詰問は……?

 二人で立ち上がったから二人はセットだと思ったのに。リコットが私にじゃれている間、ナディアはテーブルの傍に佇んだままで余所を向いていたし、彼女が出掛けて行くのもただ見守っただけ。そうしてリコットの気配が遠ざかると彼女は無言で私の傍に椅子を持ってきた。

「……どうしたの?」

「ちょっと、聞きたいのだけど」

 あっ、ナディア単独の詰問か! こっちの方が怖いかも! 私は咄嗟にぴっと背筋を伸ばして緊張する。ナディアがそれを見て何処か呆れたように目を細めた。

「怒るわけじゃないわよ……」

 お、怒らない? 本当に? 嘘だったらこの二十四歳、膝を抱いてさめざめと泣くかもしれないよ?

 大丈夫と言われても怖い私は、緊張を保ったままで、ナディアの言葉の続きを待つ。

「ヘレナさんに要求している見返り、……あれは口約束をさせるつもりなの? 私としては誓約書でも少し不安なのだけど。何かの形で、強く縛ることは出来るのかしら」

 おう。そういう話ね。まあ、その辺の説明は何もしてなかったね。

「んー、まだ考え中。エルフ族がやってた『血の契約』を応用すれば、強制が可能だろうけど」

 魔法を利用した契約。エルフ族は長年に亘って純血に拘ったこともあって他の種族とは違う特殊な血を持っている。だから人族には全く同じようには作用しなくて、ヘレナ一人だけを縛る契約になるはず。今回は逆に好都合だろう。でも、それはそれとして。

「あなたが『考え中』なのは、応用方法じゃなくて、契約させるかどうかよね」

「まあね」

 ナディアさんは相変わらずお見通しですね。そう。出来るかどうかじゃなくて、するかどうかを、私は迷っていた。頷く私に、ナディアの綺麗な眉が少し形を歪める。

「善人になるつもり?」

 咄嗟に、閉口してしまった。

 私の表情の変化を見たナディアはハッと息を呑んで、テーブルの上に放置していた私の手に、自らの手を重ねてきた。珍しく慌てたように見えたし、重なった手が優しくて。それだけで慰めてくれているみたいだと思った。

「ごめんなさい、言い方が悪かったわ。この件で、あなたは『善人』にならない方が良いと思ったの」

 そう思うから、善人のような選択をしそうになっている私を『止めたい』って気持ちが先に立ち、今の言い方になってしまったようだ。手をかえして、触れてくれていたナディアの手を握り返す。

「なろうとしたって、なれないよ」

 どうしたって。そもそも私は根っこが善人じゃないからね。だけどナディアは納得した様子が無い。

「まだね、彼女の用途を決めてないんだ。どう使うか分からないから、限定的な契約が難しい。でも広義に契約を作ってしまって、後から気分の悪い状況に陥るのも避けたい。自分の為だよ」

「……そもそも隷属させることも、あなたにとって気分のいいことではないのね」

「そうだね」

 ヘレナは、彼女自身が何か悪さをして呪われたわけではない。それを、解呪と引き換えに私に隷属させる、それも魔法で強制してしまうというのは、まるで『次の呪い』だろう。一体、何の冗談なのか。

 だけど、じゃあ、解呪の負担を掛けられた私は? 私にはどんな罪や責任があって、それを負わなければならないのだろう。

 説明しなくてもナディアは私の心情を凡そ汲み取ってくれているらしく、一緒に悩むような顔をしてくれた。それがもう充分に慰めになっているよ。空いている手で頭を撫でてみる。ナディアはちょっと煩わしそうに眉を寄せたものの、ちらりと私を見ただけで、何も言わなかった。

「そういえば、ゾラさんからの手紙は読んだの?」

「あー」

 私にヘレナが接触する機会として役立ってしまったゾラの手紙。当然すぐに読んでいたのだけど、みんなへの報告はまだ出来ていなかったね。

「南で魔物の討伐依頼が減ってて、そのせいで冒険者が他の地域に流れているのは事実みたい」

 でもゾラも『言われて初めて気付いた』くらいの変化で、異常なこととは思っていなかったみたいだ。獣の群れが餌を求めて動いたから、それに釣られただけである可能性もあるとのこと。

 つまり現象は事実だが、魔法陣などの人的な要素によって動いているとはまだ言えない。

 人間が結界内に立て籠っている以上、魔物の食糧は主に自然の動植物。季節が変わって植物が変わり、動物も移動するなら、それに従って魔物も移動するのは頷ける。

 ただ、ウェンカイン王国は地球の北半球と同じで北に行くほど気温が低い。冬が近付いてから南を離れるのはやや違和感がある。この国は一年を通してそんなに気候が大きく変わらないと聞いているし、南北の気温差は摂氏十度も無いけれど、それでも南の方が温かいのは確かなのだから。そしてウェンカイン王国の最南端は海に面している為、更に南下したとも考えにくい。

 ゾラも一応、その疑問については私と同意見だった。

 冒険者や魔物の移動が顕著でないだけに、あまり危険視はしていないようだったけれど、変化があると分かった以上は今後も注視しておくとのこと。また魔物の数も、南が減ったなら他の地域で増えているかもしれない。この点はまだ冒険者ギルド内のデータを見ても判断できなかったようだし、分かったらまた連絡すると言われた。

 一通り私が説明を終えたところで、ナディアは難しい顔をしたままで、一つ頷く。

「今すぐヘレナさんに用途が見出みいだせないなら、暫定的にその調査を任せたら?」

「ふむ。なるほど」

 どうして今の話の中でゾラの手紙が出てきたのかと思ったが、それを思い付いたからだったんだね。

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