第364話
「詳しいことは、分かりません。代々受け継がれています。分かっているのは、五十歳までしか生きられないということです。母は、……今年で四十六歳なのです、もう、時間が、なくて」
ヘレナの声が震えた。目に涙が溜まったが、彼女はぐっと呼吸を飲み込み、それを零さぬように堪えた。
「代々、そうして亡くなっていきました。祖母も、伯母も、そうして亡くなりました。だから母は、仕方が無いと言うんです。けれどもし、生きていてくれるなら」
涙は堪えているけれど、テーブルの上で握り締められている彼女の手が小刻みに揺れる。私はあんまり直視しないように、何でもない空中をぼうっと見ていた。
「何か少しでも、ご存じのことがあれば教えて下さい。もし解いて頂けるなら何でもします。でも」
此処から、彼女の言葉は少し早くなる。隠し切れない焦りと、ずっと抑え込んでいたらしい感情がわっと外に噴き出したかのようだった。
「以前、解呪できると言う貴族の方に騙されてしまい、貯金を全てお渡ししてしまって」
オイ、貴族。その親分の王様。お前ら本当にいい加減にしないと国ごと吹き飛ばすぞって何回も言ってるでしょ。いや言ってないわ。心の中で思ってるだけだ。でも一回ちゃんと言った方が良さそうだな。
「待って頂けるなら、生涯を掛けてお支払いしても構いません。私の身体なら、好きにして頂いても結構です。それ以外も、私に出来ることがあれば、どのような、」
「はいはい、事情は分かったからちょっと落ち着いてヘレナ」
懇願フェーズに入ったところで事情は一通り聞き終えたと判断し、私は彼女の言葉を止めた。ヘレナは少し呼吸を震わせながらも、数回頷いて、口を閉ざす。
お金が無い、か。ガロをすっ飛ばした理由は此処だな。
正式な依頼なら、正当な報酬が必要だ。ツケで払うようなことは出来ないし、まして身体で払うとか何でもする、なんて取引はまかり通らない。少なくともガロを知っているなら言えないだろう。あの正義感に溢れる彼が、そんなことを許すはずがないんだから。
「だけどさ、そもそも私がその呪いに対して何も出来ないってなったら、話が成り立たないでしょ」
「ですが、確認して頂くにもまず、報酬が」
「いや要らないけど……え、貴族様とか魔術師様はそんなもん請求すんの?」
話の流れから察してしまって私がこめかみを押さえると、ヘレナはむしろ私の疑問の方に戸惑いながら、そういうものなのだと教えてくれた。へえ。そうなんだ。あこぎな話だね。頭が痛いわ。
いや、これが弁護士の相談費用か? ちょっと違うか?
私にとって『魔法に関する技術』は全て苦労せず手に入れたものであるだけに、どうしてもこの辺りの考え方が違ってしまう。本来は途方もない時間を使って努力して得た技術なんだから、無限にタダで相談に乗れって言うのも、考えてみれば酷だよな。
そう思う一方で。魔法に長けているほとんどが貴族、って前提があるからさ。必ず『貴族が平民から吸い上げている』構図になっていて、イラッとするんだよね。しかもヘレナに限っては騙し取られてるわけでしょ。タグもその件を『本当』と示しているし、やっぱり気分の悪いことだ。
「まあいいや、その辺は。私は相談だけでお金を取る気は無いから。とりあえず見せてくれない? 話はそれから」
「あの、はい、ええと」
「ん?」
「此方に、ありまして」
気を取り直すつもりで口にしたコーヒーを噴き出しそうになった。ヘレナが『此方』と言って示したのが下腹部だったせいだ。
普通そこには、その、毛とかあると思いますが、その辺どうなってんだろう。そんな下らない疑問を抱いたことが顔に出ていたのか、……いや、そんな疑問が顔だけで出せるか? とにかく私が何も言わなくてもヘレナはその点も説明してくれた。
「その、生えないんです、魔法陣の影響かは分かりませんが」
「……そう」
反応しづらいわ。勿論ヘレナも言いにくそうだわ。悪かったよ。
「最初にさぁ、ヘレナ、私が『男性じゃないから』って言ってたけど、これ?」
そんな場所を見せなきゃいけないから、同性に対応してほしいってことだったのかな。するとヘレナは小さく頷いた後、ひどく言い辛そうに表情を歪めた。
「関係は、あります。その、以前に見て下さった貴族の方は、男性でしたが」
嫌な予感がする話だなー。聞かなきゃ良かった……。再びコーヒーを口にしてみたが、どうしてかさっきまでより苦くなっているように感じた。
「明らかに下品な目が向けられていましたし、触らないと分からないとか、上も脱げと言われ」
淡々とした口調で彼女は告げているものの、相当、不愉快な思いをしたのだろう。声は怒りに震えていた。当然、少しの恐怖も混じっている。
結局その貴族は意味の無い痴漢行為を繰り返した末に、前払いで身体まで求めてきたらしい。だがヘレナも黙ってそれに従うほど愚かではなく、解呪後の『後払い』になら応じると告げた。解呪できるなら、どれだけ不愉快でも応じようと、それだけの覚悟で言ったそうだ。しかし男は途端に興味を失った様子で「解析結果を後日連絡する」と、つまらなそうに言ったのだとか。
「不審に思い、ジオレンのギルド支部に所属しているからそちらに伝言してほしいと申し上げますと、以降のご連絡はございません」
「ゴミだな」
貴族や王族も、ギルドに介入はしにくいみたいだ。市民団体として規模が大きいからね。ギルド所属者に性暴力を働いたとなると、容易く揉み消すことは出来ないのだろう。脱がせたり触ったりはされているようなので私からすれば充分な性暴力と思うが、最後の部分は拒んだから、ヘレナはもう問題にする気は無いと言った。しかし、既に支払ってしまったお金に関しては、回収する術が無いと言う。
「どうしても際どい部分をお見せすることになりますし、前の貴族様のことを思うと、女性であればと思っておりました。母と妹も、同じ場所にあるので」
さっき言っていた同じ呪いを持つ『家族』って、お母さんだけじゃなく、妹さんもか。
「……対象、何人いるの?」
親戚一同とか言われたら流石にちょっと今からでも逃げたいんだけど。そんな不安を抱きながら尋ねると、ヘレナは一瞬何のことか分からない様子で目を瞬いて、二拍置いてからハッとして答えてくれた。
「解呪をお願いしたいのは、私を含む三名のみです。父は呪いを持ちません」
「そう」
良かった、これ以上は増えなさそう。三人分の解呪ってだけで充分に重たいが、大量に出てこないだけマシだ。
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