第360話

 女性との約束には真摯な私。約束の時間の十分前には、待ち合わせ場所に到着していた。大きな広場で、街灯の真下にあるベンチに腰掛けている。私のように待ち合わせしている人もチラホラ見掛けるが、女が一人というのは他に無い。きっとヘレナはすぐに私を見付けられるだろう。

 さておき。現在、二十一時を既に五分過ぎていて、私は待ちぼうけを喰らっている。手にしていた懐中時計を丁寧に閉じて胸ポケットに入れた。

 こっちの世界では懐中時計って結構お高い。だけどやっぱり、時計があると便利なので、レッドオラム滞在中に購入していた。召喚されてすぐの頃は時間なんて分からなくてもいいや~と、置き時計すらまともに持たずにいい加減な気持ちだったけど。旅の連れ、しかも子供が居ると流石にね、起きる時間もごはんの時間も寝る時間も、ちゃんとしないといけないと思って。

 そんなことを言いながら私は夜遊びも夜更かしも繰り返していて「ちゃんと」しているとは言い難いが。まあ、気持ちだけはあるってことで。

 宿に残したみんなのことを考えながら更に待つこと十分弱。慌ただしい足音が近付いてきた。

「も、うしわけ、ございませ……」

「あらら」

 猛ダッシュしてきてくれたらしいヘレナが、肩を大きく上下にしながら私の傍で立ち止まり、乱れた呼吸で必死に謝罪した。

「大丈夫だから、とりあえず座って、息整えて」

 私は自分が座っていたベンチに少しスペースを空け、座面をぽんぽんと叩く。このまま倒れてしまわないか心配だわ。ヘレナは素直に従ってくれた。っていうか、本気で疲れていたんだと思う。なかなか呼吸が整わない。背中を撫でながら、落ち着くのを待った。

「大丈夫?」

「はい、失礼いたしました……」

 額に浮かぶ汗も気になってハンカチを出そうとしたけれど、先にヘレナが自分のものを取り出して拭っていたので止めた。でも私の動きは見付けていたらしくて、「お気遣いありがとうございます」と弱く言う。今はそういうのも良いから、自分を大事にして。

「こちらからお誘いしたのに、遅れてしまい申し訳ありません」

「そんなに待ってないよ。何かあったの?」

 可哀相なくらい凹んでいる。遅れたのは十五分も満たない時間なので気にしないでほしいな。そしてきっと事情があるのだろうと思って訳を問い掛けた。こういう真面目な人は、自ら言い訳なんて出来ないだろうから。ヘレナは静かに頷く。

「お客様同士が揉めているところへ、果敢にも同僚のリーゼルが立ち向かってしまって、騒ぎが更に大きくなりまして……」

「ふふ」

 ちょっと想像して笑ってしまったが。あのリーゼルという女の子は随分と勇敢らしい。冒険者ギルド内で揉め事を起こす『お客様』なんて、多くの場合が屈強な男達だろうに。ヘレナは流石に客に対して詳しい説明をしなかったものの、『果敢にも』と付け足したことからその可能性は高いと思えた。

 結果、総動員で止めたり宥めたり後始末したりという羽目になったそうだ。本当にお疲れ様だ。

「動けそう? 身体が冷えちゃう前に、お店に入ろうか」

「はい」

 ウェンカイン王国は一年を通してそこまで寒くならない国みたいだけど、それでも時期的に今は冬。走って少し汗ばんだ身体でこんなところに長居すれば風邪を引いてしまう。私が促すと、ヘレナはすんなりと立ち上がる。ふら付く様子は無かったので、少しホッとした。

「アキラ様、何かお店の好みはございますか?」

「うーん、お手頃すぎて治安が悪いところは避けてる、くらいかな」

 私の言葉にヘレナは数秒考えてから、三つのお店を候補に挙げてくれた。その内二つは既に行ったことがあったので、開拓する為にも残りの一つに行くことに。ヘレナに案内される形で、並んでのんびりと歩き始める。

「ところでヘレナ、お酒はいけるの?」

「強くはありませんが、少しは」

 躊躇なく返してくれた言葉にあっさりと『嘘』って出るから笑いそうになる。どうやらお酒には強いらしい。

 潰れる心配が必要かを気にしただけなので、回答が嘘でも構わない。それに女の子は余程強い子じゃない限り、自ら「お酒が強いです」とは言わない方がいいもんね。無茶に飲ませても大丈夫だって思われたら困るだろうし。言うとしても「お酒が好きです」くらいかな。特にヘレナみたいにナンパ被害に遭いそうな子は気を付けた方が良い――とか、どちらかと言えば警戒される側に居る私が考えることではないな。

 歩くこと五分少々。落ち着いた雰囲気のお店だった。うん、いい感じ。さっき挙げてくれた三つのお店の内、私が知っている二つもお気に入りなので、ヘレナが選ぶところは今後も信頼できそうだ。

 テーブルに着いて最初にそれぞれワインをグラスで注文。すると、注文前にナッツとドライフルーツが置かれた。サービスらしい。良いねぇ。そしてワインの提供速度は相変わらず何処の店も早い。店員がカウンターに行ってそのまま戻ってくるくらいの速さで出してくれた。毎回面白い。

「まず乾杯~」

 特に何の名目も無いが軽く互いのグラスを鳴らし、一口。

「うーん、良いねぇ。この街のワインは本当に何処の店も外れない」

 私の言葉にヘレナが微かに目尻を下げながら頷く。彼女もジオレンのワインが好きであるらしい。

「さて、とりあえず食べるものを注文しよう。あ、ヘレナ」

「はい」

「此処の勘定、私が持ってもいい?」

「えっ? いえ、私がお誘いしましたので、私が……」

 そんな感じのことを言いそうだなぁって思ったので、情緒は無いが食べる前に勘定の行方をはっきりさせておきたかった。

「いやー、気持ちは嬉しいんだけど。私さ、めちゃくちゃ飲むし食べるんだよね。何処の店員にも引かれる量を」

「……そのようには見えませんが」

「だから引かれるんだよ~」

 見た目がガロみたいだったらみんなもそんなに驚かないし引かないと思うんだけどね、一見するとそこそこ華奢な普通の女なので。

「まあそういうことで、気兼ねなく食べたいから」

「ですが」

 奢られることをヘレナはすんなり受け入れられないようだ。仕方なく、私は折衷案を出した。ヘレナには銀貨五枚だけ払ってもらって、残りは私が払う。普通、銀貨五枚だと一晩の飲みとしてはちょっと多め。それを折衷案として私が提示したところで、薄っすら私がどれだけ飲み食いするのか察してくれたんだと思う。色々と飲み込んだ顔で、受け入れてくれた。

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