第338話

「――お、ナディ姉、起きた」

 次に集中が途切れたのは、リコットのその声が聞こえた時だった。私は丁度、定規を使って線を引いていたので手が離せなくて、意識だけを後方に向ける。

「私、……どれくらい」

 ナディアの声が戸惑っている。少し眠気も帯びて頼りない。その愛らしさに思わず口元が緩んだ。

「三十分も寝てないよね?」

「うん、多分」

 女の子達の言う通り、彼女が眠っていた時間は短かった。椅子で座ったままという不安定な状態だったことも理由だろうけれど。そんな会話に耳を傾けながら私は一本の線を引き終えて、インクを引っ掛けないように気を付けながら新しい線を引こうと定規の位置を動かしていたら。

「アキラちゃん続き歌って良いよー」

「あはは! 何処まで歌ったっけ?」

 まさかそれを蒸し返されるとは思わない。声を上げて笑ってしまった。線を引いてる最中だったら絶対、ペンが揺らいで大変なことになっただろうな。

 ラターシャが「ここかな?」って少し歌ってくれたので、ああ、そこだったかなと思い出して続きを歌う。時々ラターシャも小さな声で一緒に歌ってくれていた。ナディアは今度こそ眠ることなく最後まで聞いていたけれど、振り返る度に眉間の皺が深まっているようにも見えた。眠かったのかな。私の歌が不快だったわけではないと思う。断じて。

「歌いながらでも製図って進められるの?」

「んー、まあちょっと歌うくらいならね」

 今の作業は魔道具の仕組みを考えるようなものじゃなくて、既に決まっている内容を書き出すだけなので頭はそんなに使っていない。力強く熱唱してしまうと流石にペンが揺れるかもしれないけど、フリーハンドで描くイラストじゃなくて図面だし、定規などの道具を使って引くところばっかり。ちゃんと固定さえしていれば静かな子守唄を歌う程度は何ともなかった。無理に歌う必要も無いんだけどね、何となく今日は楽しくなっちゃったからね。

「ところで今は何の製図を?」

「まだ魔道具を増やすつもり~?」

「あはは。まあ、うん、まだあるけど」

 ナディアが立ち上がって近くへ見に来ると、それを皮切りにして他の女の子達も私の背後をうろうろと歩き回って机を覗き込んでくる。何がそんなに気になるんだか。唐突に机の周りが大渋滞した。もしかしたらナディアは眠気覚ましに立ったついでに来ただけだったのかも。我慢しないで寝ればいいのに。

「これはエルフ族の知恵にあるものじゃなくて、私が新しく作ろうとしてるだけ」

 書きかけの図面を見せる。が、書きかけの上に部品の図面だったから流石によく分からないだろう。女の子達は首を傾けている。みんな同じ角度だ。可愛い。

 元々、私は王様へ渡す通信用魔道具を作る為に色々と調べていたから、エルフ族の知恵を得る前からある程度の魔道具の知識があった。その上でエルフ族の知恵も追加されたので、更に応用して便利な魔道具を生み出せそうだ、と思ってのこと。

「どんどん抱えるねぇ」

「いやいや、楽しいんだって。大丈夫だよ」

 確かに思考としては「この魔道具がみんなやスラン村の役に立つんじゃないか」だから、まるで『他人の為』に頑張っているように見えるんだろうけど。結局はそんな考えより何より、新しいことをあれこれと考えるのが楽しくて好きなだけ。

 ああ、でもリコットから借りた本も読むんだったな。救世主の手帳で忘れちゃってた。明日はそっちにしよっと。試したくなることが目移りするほどあって、嬉しいなぁ。

 新しい知識と好奇心、夢中になれる何かっていうのは。悲しいことや不快なことを思考から追いやれるので丁度いい。この日以降も私は机に齧り付くようにして図面ばかり引いて、休憩の時はリコットから借りた本や新しい魔道具の本を読み込んで。何度もみんなに「ちゃんとした休憩を」と促されるのだった。


 そんな穏やかな日常を繰り返していたところで、数日後の午前、城から連絡が入った。お願いしていた資材が全て城に届いたそうだ。

「今から行くの?」

「うん。受け取るだけ。すぐ帰ってくるね」

 上着を羽織りながら、リコットの問いに答える。その隣でナディアも私をじっと見つめていた。何でしょう。首を傾けたら、応えるみたいに口を開いてくれた。

「その後はスラン村?」

「んー、どうかな。受け取った後に、訪問していいタイミングをモニカに確認するよ」

 前は唐突に訪ねて慌てさせてしまったからね。最近は行く前にメモを転送して、訪問していいかを尋ねるようにしている。閉ざされた村だからほとんどの場合はいつでも大丈夫って言ってくれるけど、前みたいな例外がいつ起こるか分からないので。勿論すぐでも構わないって言われたら、今日もすぐに行くつもり。

 それにしても――、一緒に来るつもりなのだろうか。大型照明の納品時はみんなも設置されるのが見たかったらしくて勢揃いでスラン村に行ったけど、今回は金属線などを渡すだけだ。別にみんなが楽しいイベントは無いだろうに、やけに予定を気にしているのが不思議だった。

「せめて、誰か一人はね」

 疑問をそのまま口にしたところ、ナディアのこの回答である。なるほど。警戒されているんですね。私が。悲しみに少し項垂れた。まあ、スラン村では既に散々やらかしたから、仕方ないんだけども。

「何にせよ一度戻ってくるし、行くならモニカに聞いてからだ。のんびり決めておいて」

「うん、気を付けて行ってらっしゃい」

 ラターシャがそう言ってくれる。行き先が城だと、どうしても少し心配に思うらしい。出来る限り柔らかく微笑んで、「行ってきます」と告げた。

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