第337話
昨日は泣いてしまったせいで、随分と女の子達に気を遣わせてしまった。
自分としてもそんなに泣くつもりじゃなかったんだけど。声に出すって、結構、こう、込み上げてくるものがあるよね。
その後は出来る限り平気な顔を保つよう努めていたつもりだったのに、夜には寝かし付けられる始末。いや、あれは嬉しかったけどね。存分に尻尾を吸っても怒られなかったんだもん。
そして今、ナディアは私の隣でぐっすり眠っている。私が少し身体を動かす程度じゃ、猫耳も全く反応しない。可愛いなぁ。そうしてのんびりと寝顔を眺め始めてからどれくらい経っただろう。
「ん、……うん」
まず眉を寄せたナディアが身じろぎ、声を漏らす。起きたのかな。最初に眉を顰めるのが可愛い。眠いんだろうね。目は開かない。だけど手が何かを探すように動いて、私の腹部を探し当てる。既視感――と思ったのと同時くらい。ナディアが私の身体に腕を回して、ぐっと引き寄せてきた。
「うお」
寝起きの力だろうと油断していたら思いのほか強くて驚きの声が漏れてしまった。夜中に起きた時もこうして引き寄せられたんだよな。何処かに行くと思われているらしい。行かないのに。もしくは朝の暖を取られている。苦笑しながらやんわり抱き返して頭を撫でていると。
「あはは、ナディ姉は寒がりだからねー」
柔らかな笑い声と共にリコットがそう言った。私達のベッドのすぐ傍で。すると寝惚けていたはずのナディアはぱっと覚醒して私から素早く離れ、ベッドに両手を付く形でがばりと起き上がる。彼女の肩までをしっかりと包み込んでいた上掛けが、ふわりと落ちた。
「起きちゃった」
「ナディ姉、そんなに慌てなくてもまだ大丈夫だよー」
私とリコットの言葉に、ナディアは項垂れながら微かに唸る。
「……おきるわよ」
さようですか。溜息まで吐いている。まあ気持ちは分かるんだけどね。実はもう全員、起きてるからね。私とナディア以外はもう朝の身支度中です。
普段は誰かが起きると気配で目を覚ますのに、みんながうろうろしてもまだぐっすり眠っているナディアを、「珍しいねー」「可愛いねー」って言いながらみんなで眺めていたのです。リコットの声だけで即座にそんな状況に気付いたらしい。あと私に引っ付いたところを見られたのも嫌だったんだろうな。可愛いね。ちょっと悲しいけど。
さて、眠り姫様が起きるらしいので、私も起きても怒られないかな。身体を起こし、まだ項垂れているナディアの頭をぽんと軽く撫でてから、ベッドから下りる。何も言われなかった。
昨日のこと、というか救世主の手帳のこと。
もうすっきりしたとは、到底言えないんだけど。あまり考え込んでいると女の子達にまで伝播する。それに、私らしくもないだろう。今は頭の片隅へと追いやって、やるべきことを先にやりましょう。
今日も朝食を終えた後、私はコーヒーを作業のお供にして机へ向かっていた。
「ふん~、ふーん……」
「アキラちゃんがまた歌ってる」
「歌うと元気ないんだっけ?」
「えぇー何その判断基準! そんなことないよー」
何気なく零した鼻歌と同時にルーイとリコットが何やら悲しい噂話を始める。雨の日に歌ったせいだね、酷い紐付けですよ。心配してくれてるんだって分かるけどさ。
「これはエルフ族の子守唄だよ!」
「え?」
戸惑った声で応えたのは、悲しいかな、エルフ族の中で生きていたラターシャだった。私は振り返って彼女の表情を確認する。声が表した通り、それは困惑の色を見せていた。
「あれ? ラタは知らない?」
「うーん、私のお母さんが歌ったのは、違う曲だった気が……」
「あぁ、こっちかな?」
エルフ族の中で歌われる子守唄は幾つもあるが、ポピュラーなのは二曲だ。もう一つの方をワンフレーズ歌うと、ラターシャがぱっと明るい笑みを見せる。
「それ!」
いつになく無邪気な顔だった。可愛くて思わず頬が緩む。みんなも私と同じような顔でラターシャを見つめていたが、彼女はそんな視線にも気付かないままで、目尻を下げて笑みを深めている。
「懐かしい、そんなものまで、知恵で貰ったんだね」
「うん。歌っていうのは大事な文化で、時には貴重な情報だよ」
歌詞に時代背景や思想などが盛り込まれることもあるからね。今の歌はこれと言って有益な情報が入っているわけではないけれど。さておき、折角ならラターシャが知っている方にしようと思って曲を変更して、続きを歌う。
でも一番を歌い終えた辺りで、ふと頭を過ぎった思考に歌を止めた。
「あ、ラタ、寝ちゃう?」
「ふふ。寝ないよ」
ちょっと真剣な思いで言ったのに、笑われてしまった。だってお母様が歌ってくれていたものなら、条件反射で眠くなるかもしれないじゃん。だけど返ってきたラタ―シャの声に眠気は全然含まれていなくって、それならいっかー、と私は嬉々としてその子守唄をのんびり歌い続けた。すると。
「あ」
「うん?」
リコットの声が聞こえて、また歌を止めて振り返る。彼女は私じゃなくて、隣を見ていた。
「……ナディ姉が寝た」
全員の視線が集中しても反応無く、ナディアはリコットの隣で俯き加減のまま目を閉じていた。寝てるな。うん、これは確実に寝てる。可愛い。え? 子守唄で寝ちゃうナディア、可愛すぎない?
椅子にはいずれも肘掛けが付いてるので、うっかり倒れてしまうことも無いだろう。今のところ揺れてもいないようだし。それにしても器用に寝る子だな。
「珍しいねー」
言いながらリコットは自分のストールを手に取り、眠るナディアに掛けてあげていた。それでもナディアが起きる様子は全く無かった。
「アキラちゃん、ナディ姉に何かした?」
「えっ、何もしてない……」
子守唄を歌ったことではないと思うのでそれは置いておいて。こうして眠そうにしているのは疲れているのではないかとリコットは疑っているようだ。しかも私のせいで。ええ。何もしてな――。あ。
「夜中に一回、起こしちゃった……」
「有罪~」
「えっ」
罪みたいです。不可抗力だったんだけど、多分そういう問題でもないね。うう。
「じゃあ、罪滅ぼしにナディの安眠を願いながら続きを歌うね?」
「いやもう寝てるから静かにしよ」
「あ、ハイ。すみません」
歌うことも止められたので、しょんぼりです。仕方がないので私は静かな動作で身体を机の方に戻し、黙って製図の続きをすることにした。しかし同じテーブルに居るルーイとラターシャはくすくすと笑ってるし、三人は引き続き雑談をしている。静かにしろと言われたのは私だけのようだ。悲しい。まあ、突然しーんとなっても雰囲気の違いに起きるかもしれないもんね。悲しみは飲み込んで、私は作業に集中しましょう。
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