第333話
眠るアキラを横目に、四人はテーブルを囲んで静かに本を読んでいた。特別、彼女へと気を遣って静かにしていたわけではなかったものの、彼女らが本屋帰りであることが一番の理由だったのだろう。
だが幸か不幸か。静寂だっただけに、アキラの起き抜けの行動は彼女達にとって衝撃的だった。ぐっすりと眠っていたはずのアキラが何の前触れもなく、唐突に勢いよく立ち上がったのだ。その動きに弾かれた椅子が床に倒れ、大きな音が鳴る。女の子達は全員が一様に驚き、肩を震わせた。
しかし彼女らのそんな反応に、背を向けているアキラが気付くはずもない。ひどく焦った様子で自らの腰回りを探った後、アキラは収納空間から短剣を引っ張り出し、右手で柄をしっかり握り締めた。そこで、ようやく、静止した。
ゆっくりと息を吐き出しているところを見る限り、落ち着いたらしいが――、女の子達の心臓は全く落ち着かない。リコットは自らの胸に手を当てながら、恐る恐るその背に声を掛ける。
「ど、どうしたの」
「うおッ――痛だァッ!」
リコットの問い掛けはアキラの騒がしい目覚めに比べればひどく静かだったはずなのに、アキラは彼女らに全く気付いていなかったらしい。先程の彼女ら以上に激しく驚いて、飛び上がっていた。そしてその反動で机に強く右腰辺りを打ち付ける。唸り声を上げたアキラは、机にしがみ付くようにしながら、ズルズルと床へ、膝から崩れていった。
「みんな、帰ってたんだね……おかえり……痛い……」
「あなたは一体何をしているのよ……」
呆れたようにそう言う前に、ナディアは一つ溜息を挟んでいた。再三のアキラの暴れっぷりに、女の子達の心臓は今も騒がしい。
「アキラちゃん大丈夫?」
「かなしい……」
「うん、悲しそうだね、分かるよ」
みんなは少しおろおろしながら、その様子を見守る。その後しばらくすると、項垂れていたアキラはのんびりとした動作で倒れていた椅子を起こし、みんなの方に身体を向ける形で座り直した。痛みは引いたのだろうか。顔はまだ少し落ち込んでいる様子だが。
「はー、おかえり。あ、これみんなが掛けてくれたの? ありがとねぇ」
落ちてしまっていた毛布を拾い上げて自分の肩に掛け直す一方で、アキラはそのまま流れるような動きでズボンのベルトに手を掛けて外し始める。ラターシャはその動きにぎょっと目を見開いた。
「ちょっ、どうして脱ごうとしてるの!?」
「ん? 打ったところ、痣になってないか確認するー」
「洗面所とか浴室でやってよ! そっち向くとか!」
「みんなしか居ないじゃん」
騒ぐラターシャに手を止めつつも、アキラはきょとんとしている。何が問題なのか全く分からない、という顔だ。リコットは苦笑しながら、見兼ねて口を挟んだ。
「ラターシャ、あっち向いときなって」
「うう、何で私が……」
不満そうにそう唸りながらも、結局ラターシャは大人しくアキラに背を向ける形で座り直した。実際ラターシャは全く悪くないのだが、言うことを聞かせるならラターシャの方が楽だったせいだ。アキラはそんなラターシャに向けられる同情を含んだ視線、そして自らに向けられる呆れた視線も知らない様子で、座ったままズボンを少し下ろし、打ち付けた場所を確認していた。下着まで同じく引っ張り下ろしてしまっている。ラターシャは顔を背けていて幸いだっただろう。
「うぇ、もう色が付いてる。こりゃ駄目だ。
三姉妹が遠目に見ていても明らかに色がおかしいのは分かるほどだった。本当に強く打ったようだ。回復魔法によってその色が本来あるべき色に戻るのを、三姉妹は特に羞恥も無く眺めていた。治ったのを確認したアキラは「よし」と小さく言って、改めてズボンを履き直す。彼女の肌が完全に隠れたところで、リコットがラターシャに「もういいよ」と教えてあげていた。
「それで、短剣なんて取り出して、どうしたの?」
「あー」
収納空間から取り出されたそれは、アキラが痛みに崩れる折に机の上に放置されていた。
寝惚けてしまったのだろうとは察せられるものの、この場所を危険と思って剣を取り出したなら、魔力探知を伸ばさなかった、つまり女の子達の気配に全く気付かなかったことが不自然だ。伸ばしていたら、振り返らなくとも女の子達が帰っていることなんて分かったはずなのに。
「いや、寝惚けたのは確かなんだけどね」
アキラはそう言って少し気恥ずかしそうに笑う。
聞けば、やはり敵と対峙するような怖い夢を見て飛び起きたようだが、収納空間から短剣を取り出す頃にはもう自分が寝惚けただけであって、何の危険も無い場所に居ることは分かっていたらしい。だから魔力探知を伸ばすほどのことはせず、とりあえず気分が落ち着くだろうと思って短剣を手に取った、という経緯だった。
「いやはや。本当にお騒がせしました」
女の子達に向けて軽く頭を下げると、アキラはまた机の方に身体を向ける。製図の続きでもするのだろうか。机に広げられている紙を手に取る流れで、傍にあった救世主の手帳に触れる。その瞬間だけ彼女が不自然に静止したのを、ずっと手帳を注視していた女の子達が気付かないはずもない。
「アキラちゃん」
「うん?」
リコットが呼び掛ければ、何事も無かったかのように穏やかな表情でアキラは振り返る。
「それ、読んでたの?」
「……ああ。うん」
手帳へ視線を向けることを理由にするみたいに、アキラは女の子達から視線を逸らし、顔を元の位置に戻した。手帳は既に机の端へと避けられ、アキラは机の上に広がる紙を整理したり確認したりしている。アキラはそれ以上、手帳については何も語ろうとしていない。それに気付くと、リコットは立ち上がって彼女へと近付き、背後からそっと腕を回してアキラを抱き締めた。
「何か、嫌なこと書いてあった? 私らは心配してもいいのかな」
囁くように問うリコットを見上げ、アキラは目尻を下げる。そして自分の身体に回されたリコットの腕を優しく、慰めるかのように撫でた。
「心配しなくていいよ。でも、そうだね、気分の良いことは書いてなかったかな」
そう言う頃にはまた、アキラは視線を机の方に向けていた。小さく漏らした息は笑ったのか、ただの吐息がそう聞こえたのかも曖昧だ。リコットは思わず、アキラを抱く腕に少し力を籠めた。
元よりアキラは、救世主が幸せいっぱいであっても悲しみに暮れていても気分良くは思えなかったのだろうから、この結論は分かり切っていた。けれどそれが予想を超えて不快だったのか、予想の範疇であったのかはどうだろう。今の言葉からは全く読み取れない。
アキラはぽんぽんとリコットの腕を優しく叩く。放すことを求めていたのだろうけれど、リコットは放さなかった。むしろ更に深く抱くようにして、一層、身体をアキラの方へと倒した。
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