第322話

 彼女らに用意された敷地は広いが、屋敷は三つだ。配置を知ってもがよく分かっていない為、自分達の屋敷の広さが目で分かりはしない。それに、そもそも拡大された敷地は図面が引かれるより前に『予想』で設定されたもの。これよりも実際は大きいかもしれないし、小さいかもしれない。

 アキラはナディア達に渡した間取りの寸法をちゃんとウェンカイン王国の単位で書いてくれているので、ある程度の想像は出来ている。しかし直接目で見て得られる感覚とはまた違うだろう。その辺りはやはり、せめて土台が仕上がってからでなければ分からないだろうと三人は話していた。

「高さもよく分からないわ。私達の屋敷は二階建てでしょう? すぐ後ろの……こっちの建物の陽を遮らないのかしら」

「東側に建てるから、うーん、影響なしにはならない気がする」

 この国は太陽が東から昇って西へと沈み、やや南側を通る。東側に高い屋敷が建てば、午前の光が断たれてしまうだろう。ナディアの懸念に、ラターシャも難しい顔で頷いた。改めて、ナディアが溜息を零す。

「私達の建物の方を東側にすればいいのに。アキラの屋敷は一階建てなのだから、流石にこの建物には影響しないわ」

「でも、それだとアキラちゃんの屋敷が陰らない?」

「それは別に。陰ればいいわ」

「ナディア……」

 慈悲の無い、いやむしろ悪意をも含むナディアの言いようにラターシャが項垂れる。流石にそれは可哀相だと思うらしい。優しいラターシャに少し笑い、ナディアはその頭を撫でた。

「下見をしていたのか」

 そこへ不意にケイトラントが現れた。瞬間、ナディアが表情を強張らせると、歩み寄ろうとしていた足をケイトラントが止める。

「悪い。居ない方が良かったか」

「……いいえ、別に、構いません」

「そうか?」

 答えとは裏腹にナディアの表情は硬く、続けて「何か」と問う声も、緊張を孕む。ケイトラントは首を傾けるも、あまり気にした様子なくそのまま彼女らへと歩み寄った。

「東側の窓は、陽を入れる用途じゃないから構わない。むしろ窓や扉の隙間から入る光が減ってよく眠れそうだ。私が寝るのは午前中だからな」

 その言葉の意味するところを三人が汲み取るまでに、そう時間は掛からなかった。ラターシャが目を瞬く。

「此処って、ケイトラントさんのお家なんですか」

「ああ」

 アキラは知っていたのだろうか。そんな思考で一瞬黙った彼女らに、ケイトラントは少しおどけるような仕草で肩を竦めた。

「それにしても、隣の屋敷まで気に掛けてくれるとはな。あいつの連れにしては細やかな気配りが行き届いていていつも驚かされるよ」

「……アキラの傍は安全ですが、アキラの振る舞いには逆に神経を使いますから」

「ははは! それは全く、大変な役割だろうな」

 酷い言われようだが、ルーイとラターシャも苦笑しつつ否定はしない。アキラの言動にハラハラしたことが無いとは、とてもじゃないけど言えないのだ。

「ああ、それからこれは、ただの雑談なんだが」

 徐にそう話し始めるケイトラントがまた軽く肩を竦める。声も、何処かわざとらしく思うほど、抑揚を付けていた。

「アキラは叱っても堪えないだろ」

 先に『雑談』と前置きしただけあって、表情や声こそ何気ない様子だったけれど、目だけはやけに真剣で、ナディアをじっと見つめていた。ナディアは視線に軽く応えたものの、すぐにそっぽを向く。

「『子供』に『お願い』させておけ。幼いほどにいいな」

 近くに立っていたルーイの頭を撫でながら、ケイトラントはそう続ける。彼女がルーイに触れる瞬間だけナディアがまた目を向けたが、唇を引き締めたままで特に言葉は無い。

「悪さを自覚した後なら特に、優しくされた方が堪えるだろう。あいつは周りに『我慢されたくない』と思っているようだ。敢えて分かる形で我慢をしてやれば、大いに反省する」

 ルーイとラターシャは軽く目を合わせた。

 思い返せばアキラは、みんなに怒られる時に怯えた顔を見せたり逃げようとしたりと、『怒られたくない』という行動を取るわりに、みんなから優しくされる時の方がずっと戸惑っていて、その後が大人しくなる。記憶を辿って「なるほど」納得している横でナディアだけは、表情を固めたままで黙り込んでいた。

「まあ、気付いているんだろうけどな、お前は」

 頑なな横顔に軽く笑って、ケイトラントはナディアの頭も一度だけポンと撫でる。

「あまり背負うなよ。子供が心配しているぞ」

 いつの間にかナディアの尻尾は彼女の身体にきゅっと巻き付いていた。緊張している時に見せる動きだ。ルーイはその尻尾に一度視線を落としてから、ナディアを見上げる。その目が確かにナディアを心配しているのだと、視線に答えるまでもなくナディアには分かるから。ややバツが悪そうに、静かな溜息を落とした。

「……あなたのそういうところが、私は少し苦手です」

「だろうな」

 ケイトラントは少しも気を悪くした様子無く、むしろ楽しそうに笑うと、そのまま軽く手を振って立ち去って行った。今はまだ、門番の時間ではないらしい。またモニカの屋敷に向かっているように見える。

 それなら彼女は何をしに此方へ来たのか。今の言葉を彼女達――主にナディアに、聞かせる為だったのだろうか。

 ナディアが厳しくアキラを叱り付けるという行動は、他の子らの為でもあり、アキラへの優しさでもある。そして彼女自身、それをちゃんと自覚していた。

 例えばラターシャがアキラに泣かされた時。ナディアがきちんと彼女を責めなければ。ただ許されてしまうだけだったなら。アキラはもっと酷く後悔を引き摺っていたかもしれない。二人が互いの気持ちを打ち明け合う切っ掛けも掴めなかったかもしれない。そんな『きちんと責める』という形の愛情を、認めたくないとまでは言わなくとも。ナディアは敢えて指摘されたくなかった。しかもわざわざ、子供達の前で。

 結果、アキラが戻った後。いつものように強く注意するのを少し、ナディアは躊躇ってしまうのだった。

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