第310話
今度は謝る暇も無いって言うか、リコットが起きない。私がすっかり身支度を終えても尚、目覚めてくれる気配が全く無く。もう起こすのは諦めた。というか、可哀相になっちゃった。このまま寝かせてあげたい。
そんなわけで。
「あ、えーと、ただいま!」
「……何があったの」
みんなが私達の帰りを待っている部屋に直接、転移魔法してやったぜ。
突然、部屋に現れた私達に驚くのは勿論だけど、以前にナディアとも転移魔法で直接帰ったことはあったから、それだけならまだ受け止めてくれたと思う。問題は、リコットが寝間着のままで眠っていることだ。とりあえずそんな彼女をベッドに寝かせて、布団を整えた。
「いやー、まだ眠いみたいで、起こすのが可哀相だったからさ。あ、私は一旦戻って、宿をチェックアウトしてくるね」
何か言いたげにしている三人は、それでもまだ戸惑いが飲み込めないのか、沈黙が落ちる。
「リコ、部屋に帰ったからね、好きに寝てていいよ」
「うん……」
「私は少し出てくるね、ついでに朝ご飯も買ってくるから」
「んー」
むにゃむにゃしてるけど多分、分かってくれていると思う。そう思って立ち上がろうとしたら、リコットが私の袖を握った。
「リコ? すぐに戻るよ」
「んん。……ってらっしゃい」
「はは。うん、行ってきます」
またむにゃと口を動かして、リコットは手を放した。もう一度布団を掛け直して、口を噤んだままのみんなに一言告げて、私は元の宿へと転移。
そのままチェックアウトをすべく部屋を出ればいいのに、起き抜けにばたばたした分、妙に不安になって部屋の中を確認する。忘れ物は無いよな。浴室やベッド周りも入念に見回して、ようやく一階ロビーへ。
良かった。今も受付には人が居ない。ベルを鳴らす。「はーい」と何処かで声が聞こえて、三十秒ほど待ってから年配の女性が出てきた。お金はもう払っているので、鍵を渡して退室を伝えれば、台帳に名前と時間を記入するだけで終わりだ。
「お連れさんは?」
「先に出たよ。もう誰も居ない」
そう言うと女性は軽く頷くだけだった。この宿は常に誰かが受付に立っている形じゃなかったので、それだけで信じてくれるのだ。だから今の質問は私が一人であることを何か不審と疑ったわけじゃなく、「部屋はもう片付けて良いのか」という確認である。案の定それ以上は特に何も言わず、女性は私に台帳を差し出した。もっときっちり出入りを管理している宿だったら流石に今回の措置は取れなかっただろうね。
無事にチェックアウトを終えると、足早に朝ご飯を買いに行く。帰り道の途中に美味しいパン屋さんがあったはず。
「たっだいまー。待たせてごめん!」
ダッシュで帰宅。するとリコット以外はもう着替えて、テーブルでのんびりお茶をしていた。口々に「おかえり」と言ってくれる。テーブルに紙袋を置いたら、各々動いて朝食準備をしてくれた。私はそれを横目に、まだ眠るリコットのベッドの傍へ、いそいそと移動する。
「リコ、ただいま。もう少し寝てる?」
「んんー……おなかは、すいた……」
「ちゃんとリコの分もあるし、誰も取ったりしないよ」
私がそう言うと、むにゃむにゃ言いながら、リコットはまた寝返りを打つ。起き上がらない。このまま寝ちゃうなら、そっとしておこうかな。それにしてもこんなに眠たそうなリコットは珍しくって可愛いよ。私のせいだが。
「アキラちゃん、コーヒー?」
「あ、うん。ありがとう」
ラターシャがコーヒーを淹れてくれるらしい。わーい。リコットも普段は毎朝コーヒーだけど、どうだろう。起きてからでも良いかもな。
「おっと」
私の為にコーヒーの準備をしてくれているラターシャを見ていたら、リコットにぐっと腕を引っ張られてバランスを崩す。倒れはしなかった。リコットも別に私を引き摺り込もうとしたわけじゃないみたい。私の腕を手摺の代わりにしてよじ登るみたいに起き上がってきた。しかし身体を起こした勢いのまま私の肩へと倒れ込み、ぐにゃりと座る。
「起きるの?」
問い掛けに返事は無かったが、頷いたみたい。それならと私は手伝い気分でリコットが肩口にまとめていた髪を勝手に解き、収納空間から出した櫛で少し整えてあげる。ほとんど要らないんだけどね、この子の髪、寝癖も何も付かないから。羨ましい。私は少し癖毛の為、毎朝大変ですよ。
「はい、オッケー。着替えも手伝う?」
「殴るわよ」
「お姉ちゃんが怖いので止めておきますね」
いつだって鉄壁の防御。テーブルの方から即座に低い声で威嚇された。怖いねぇ。リコットも私の肩に凭れたまま、くすくすと笑っている。それから数秒後、リコットが私から離れた。
「ふあ。もう起きた。アキラちゃん、先に食べてていいよ」
「そう? 分かった」
ようやくちゃんと座ったリコットがそう言って、欠伸を一つ。もうすっかり覚醒したらしい。私はお言葉に甘えてテーブルの方に歩く。リコットはのんびりと立ち上がって、洗面所へと入っていった。
「それで。あの子に何したの?」
「ひえぇ」
扉の向こうにリコットが消えると同時に低い声をナディアが浴びせてくる。お姉ちゃんが怖いっ。
「うーんと……あんまりにも可愛くてつい、夜が長引いて、それで」
「その話、私が居ない時にして」
私の前にコーヒーを置いたラターシャが慌ててそう言い、頬を染めた。あらー。可愛い。彼女がそう言うからか、ナディアは長い溜息の後で「もういいわ」と言った。詰問が終わりました。ラターシャありがとう。そう思ったのも束の間。
「それもあるけど~」
顔を洗い、着替えを済ませて洗面所から出てきたリコットが何故か蒸し返す。取調室へと戻された気分である。
「ちょっと飲み過ぎたかも。昨日、私どれくらい飲んだ?」
あ、ベッドの方の話じゃなかった。ホッとしつつ、リコットの質問に応じて記憶を辿った。
「えーと、赤ワインを、グラス十杯だったかな?」
私は途中からボトルに切り替えてどんどん注いでいたので正確な杯数が分からない。リコットはずっとグラスで色んな銘柄を試していて、最後一回だけ私の頼んだボトルから欲しがったので注いでやったと記憶していた。その説明に、ワインをそんなに飲むことなど無いナディアが眉を寄せる。リコットも少し、苦笑いを見せた。
「途中から何杯とか分からなくってさ~、ちょっと飲み過ぎてるかなーとは思ったんだよね。美味しくて、つい」
「此処のワインは確かに、いつもより飲んじゃうかもねぇ」
本当に美味しいから仕方ないよね。種類も沢山あったけど、どれを頼んでも外れが無かったもんなぁ。昨日の美味しいワインを思い返して、うんうんと深く頷く。
「でもリコは別に酔ってなかったと思ったんだけど。本当はしんどかったの?」
「ううん、全然。お風呂で抜けちゃったくらい。でも朝になると、何かね」
「あー」
後になって倦怠感が襲ってきたようだ。彼女の身体は、沢山のアルコールの処理に頑張っていたってことかな。
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