第307話_姉の愛
一杯目にリコットが頼んだのはフルボディの赤ワインだった。私も同じものにした。
「リコは重い方が好き?」
「うーん、どうだろ。飲み慣れてるから頼みやすい、かな。でもこの間アキラちゃんが飲ませてくれたデザートワインみたいに甘い白も、軽めの赤も好きだよ」
娼館に居た頃も組織に居た頃も、彼女にはお酒が好きな客がよく付いたらしい。そんな客が好んで飲む酒に口当たりが軽いようなものはほとんど無く、だからリコットが飲み慣れている酒も自然と重いもの中心であるみたいだ。と会話する間にもう提供されてきたグラスワインで乾杯し、互いに一口ずつ飲む。リコットはきゅっと目を閉じて嬉しそうに口元を緩めた。
「ん~おいし! あの頃は安酒ばっかりだったし、一言で『重たいやつ』って言っても此処のとは全然違うよねー」
「それだけ美味しそうに飲んでくれると、一緒に飲んでて楽しいよ」
愛らしい反応をじっくり眺めた後、私はまたグラスを傾ける。可愛い子の可愛い表情を前にすると、更に美味しくなるよね。リコットは逆に私が機嫌よく傾けているのを眺めてから、可笑しそうに目尻を下げた。
「ナディ姉はしかめっ面してる?」
「ふふ、いや。そうは言わないけど」
思わず笑い声を漏らした。誰かと比べて今の感想だったわけじゃないんだけど、しかめっ面で飲むナディアを想像してしまった。
「まあ表現はちょっと違うかな。あ、でも美味しいカクテルを飲んだ時はご機嫌で可愛いよ」
「あはは、分かる」
尻尾の先がふよふよと揺れたり、目尻が少し上気したり。普段はあまり表情を変えないナディアだからこそ、些細な喜びの表現は愛らしい。リコットも思い出しているのか、目を細めて笑っていた。
「普段さぁ」
「うん?」
「ナディ姉と二人で出掛けて、どんなこと喋るの?」
唐突な問いに私は目を丸めて、首を傾けた。リコットだって彼女と二人では出掛けているはずなのに、どうしてそんなことを疑問に思うんだろうって。でも彼女の疑問はナディア単体のことじゃなかった。
「みんなと一緒の時、アキラちゃんとナディ姉が穏やかに雑談してるのってあんまり見ないし」
「あー」
私との『組み合わせ』で何を喋るかってことか。うーん、言われてみたら確かに、みんなの前ではあまり多くを喋っていないかもしれない。私の方は意識していないものの、ナディアはどうだろうな。いや今はいいか。私と二人の時のナディアね。うーん、結構、簡単に想像できると思うけど。
「基本的には、私が一方的にぺちゃくちゃ喋ってるのを、ナディが静かに聞いたり相槌したり冷たい目で見つめたり鋭いツッコミを入れたりしてるよ」
この説明に、リコットは堪らない様子で笑い声を漏らした。意外性は無いものの想像が付くからこそ面白かったのだろう。
「じゃなきゃ、みんなの話とか」
「えー? 私らの話って何さ」
あれ。これは意外だったのかな。ナディアなら、可愛い妹達の話を引っ切り無しにしそう、って思わない? まあ実際は引っ切り無しと言うほどでもないんだけど、突いたら幾らでも出てきて面白いんだよね。今までに話したことを思い返しつつ、どれから告げようかと少し考えた。
「一昨日は、みんなが安全に過ごすにはこの街で何を気を付けようかって」
「親かな?」
端的な反応に口元が緩む。保護者会みたいな感じは、確かにあるかもね。
「リコの話で言えば、少し前に、辛い物があんまり得意じゃないんだって教えてくれたり」
「えっ、何で知ってるの!?」
ワインが零れそうになるくらいの動揺を見せたリコットに、今度は私が目を丸めた。この反応、『ナディアが』知っていることに驚いているようだ。聞けば、自ら告げたことなんて一度も無いと言う。流石ナディア。私はそう思うんだけど、リコットは難しい顔で「いつバレたんだろう」って小さく言った。
「隠してたの?」
「いや、隠してたっていうか……食べられないわけじゃないから言うまでも無いし、そんなことで気を遣わせていい状況じゃなかったしさー」
なるほど。娼館や組織に居る頃、食べるものに好き嫌いが言えるわけも無い。アレルギーなら迷惑を掛けない為にも言うだろうけど。
「でも今は教えてくれて良かったんだよ」
「む、うーん」
ありゃ。今も話したくなかったのかな。リコットは更に困ったように眉を寄せて腕を組み、首を大きく傾けた。
「いや、ほんと、言うほどじゃないんだよ。アキラちゃんのごはん、いっつも美味しいし」
その言葉は本当に嬉しいし、リコットは毎日のように美味しいって言葉にして教えてくれている。けれど。
「もうちょっと辛さが控え目だったらいいのになって思ったことはある?」
「そんなの別に無っ、……いや、ある……ごめん」
言葉途中でリコットはぎゅっと眉を寄せて回答を反転させた。私に真偽のタグが見えていることを一瞬、失念していたらしい。今回は『嘘』と出したくはなかったんだろう。言い直した後は、軽く項垂れた。
「でも嫌いなわけじゃないんだよ。辛さが強すぎると、ちょっとつらいってだけで」
「うん。今度、リコの好きな辛さの度合いを教えてね」
「……だけどさ。私に合わせたら、ラターシャが可哀相じゃん」
ラターシャの辛いもの好きはもう周知のことである。だけど逆にラターシャには誰も合わせられないから。私でもそれは無理だから。
「その辺りも調整できるように考えるだけだよ。大丈夫。私はみんな幸せなのが良いんだ」
「充分に幸せだってば」
苦笑しながら言ったその言葉に、『本当』が出ていた。つくづくリコットは良い子だな。隣に座っていたらわしゃわしゃに頭を撫でるんだけどなぁ。ちょっと届かないな。代わりと言わんばかりにただニコニコして見つめたら、リコットはちょっと照れ臭そうに視線を逸らした。
「それで、他にはー?」
更には話まで逸らすように、ナディアとの話題の『次』を促すから。瞬間、私の悪戯心がむずむずっとした。
「そうだな。リコの可愛い寝言とか」
「待って、嘘だ」
凍り付いたリコットの顔を見ながら、私はにっこりと微笑む。残念ながらこれは、事実だった。
「夜中に時々リコが零す愛らしい寝言がナディは大好きなんだって。あんまりにも可愛くて誰かに言いたかったみたいでね? 沢山教えてもらっちゃったよ。私が一番気に入ってるのは『ナディ姉、ばか』」
「嘘だよ、そんなこと言わないから!」
「本当なんだって。ナディね、『私の夢を見ているのは可愛いけれど、私は何をしたのかしら』ってちょっと眉を下げててさ、もう最高だった」
自分の夢をリコットが見ているだけで嬉しくなっちゃうところも可愛いが、夢の中の話だって分かってるくせにちょっと気にしているところがナディアらしくて可愛い、最高のエピソードだと思う。勿論この話に嘘偽りは一切無い。リコットは数秒間、固まっていた。
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