第302話
まだちょっとびくびくしながら背後の音を窺っていると、ナディアがテーブルの上に何か重そうな荷物を置いた。もう出て行かないらしい。
「そういえば、アキラちゃん。何か言う途中じゃなかった?」
同じく私の傍を離れようとしていたリコットが、ふとそう言って立ち止まる。何だっけ。ああ、そうだ、ナディアが帰って来た気配がして途中で言葉を止めたんだった。
「うん、えーと。今夜みんなに進捗を聞く時は、正直でも嘘でもいいからね」
「あはは。うん、ありがと」
札の解除の件ね。さっきは帰ってきたのがナディアだって分からなかったから、この言葉を聞かせるのは不都合かもしれないって止めたんだよね。でもナディアならもう知ってるし大丈夫。
「さっきさー、アキラちゃんにちょっと見てもらって。一枚だけ解けたよ」
軽く振り返ると、リコットはテーブルの方へ移動し、ナディアの隣に腰掛けていた。
「そう……私はまだ半分くらいだわ」
「私もぎりぎりだったし、まだまだ安定しなさそう。あれ難しいよー」
二人が札について何やら話しているが私の後頭部はまだ痛い。でも回復魔法を掛けたら怒られそうで怖くて出来ない。この痛みがお仕置きなんだと思うので、我慢します……。軽く頭を撫でてから、再び、図面に向かう。
「ところでナディ姉。二人は? 一緒だったでしょ?」
「隣のお菓子屋さんよ。買ったら真っ直ぐ帰るって言うから」
この宿の隣は警備隊の詰め所だが、逆隣りはお菓子屋さんである。ほのぼのしている。そこから宿に帰るまでに何があることもないだろうって、ナディアは先に帰ってきたらしい。道中で買った本が重くて早く帰りたかったんだって。子供達、お菓子を前にするとちょっと時間が掛かるもんね。可愛い。
結局、ラターシャ達が帰ったのはそれから四十分後だった。重い荷物を持って付き合うには辛い時間だ。英断だったね。
さて、全員が揃ったところで。私は一度、製図の手を止めてみんなを振り返った。
「今日はお風呂の後、札解除の相談会をしまーす」
「相談会?」
ナディアからの提案があって、解除の何処が難しいとか、各々感想を持ち寄って私が相談に乗る会を開催することにした――と伝えると、首を傾けていたラターシャとルーイも理解して頷いてくれた。
「お姉ちゃん達はもう見てもらったの?」
「いいえ、私はあなた達と一緒に見てもらおうと思って」
「私はさっきちょっと見てもらった。あと少しだったから」
ナディアの後、リコットが続けた言葉は少し意外だった。「あと少し」のところまで進んでいることを打ち明けると思わなかったのだ。ナディアも軽く目を瞬いていた。一枚解けたことは知っているので、驚きは私と同じく『打ち明けたこと』に対してだろう。しかしルーイとラターシャの驚きは違う側面であり、そして段違いである。
「えっ、出来たの!?」
興奮気味にそう聞く二人に、リコットは渋い顔で「ギリギリ、一回」と答えていた。「まぐれかも」と付け足している彼女の声も掻き消す勢いで、二人は「すごい!」と色めき立った。
「とにかく、お風呂の後ね」
「はーい」
盛り上がるテーブルの会話の隙間で私が告げれば、みんな一旦は私を振り返ってくれる。まあ、言いたいことは伝えられたので。私は会話には入らず、また机に向かうことにした。
「何処で詰まってるって言うか、色んな所で躓いてるんだけど……上手く相談できるかなぁ」
「私も似たようなものよ。とりあえず、直接見てもらえば良いのではない?」
最終の相談相手が此処に居るのに、不思議なプレ相談会が開催されていてちょっと笑った。
そうしてこの日の夜。私以外の全員がお風呂を済ませて落ち着いた頃。相談会の開始です。テーブルの方に座るの、何気に久しぶりでは? 五人でテーブルを囲むのは一家団欒っぽくて良いですねぇ。呑気に笑みを浮かべ、開始しない私にナディアが怪訝な目を向けたので、背筋を伸ばしました。もう引いたはずの後頭部の痛みが蘇った気がした。
「さてと。じゃあ、まずはルーイ」
「はーい」
「今どんな感じかな?」
「うんとねぇ」
可愛い。うんとねぇ可愛い。
ニコニコしながらルーイの手元を見つめる。札を持ったルーイは、まず口頭で説明してくれるらしく、札の一部を指差した。
「分岐点とか曲がる所はどこも難しいけど、調子が良いと、この辺りまで行けるの」
三分の二くらいまで進んだところか。ルーイも結構、魔力操作は上手だもんね、かなり後半には来てるね。
「でもどんなに調子が良くっても、この、十字路になってるところで、両側にも少し魔力が入っちゃう」
ふむふむ。
カムフラージュとしての不要な線は、実際の線と入り混じる形で引いてある。リコットも分かれ道について言っていたけれど、そういう、不要な線と必要な線が交わるところがネックになるようだ。
「手前の方にある十字路は抜けられるんだよね?」
「そうなの。でも此処まで来ると、線が太くなっちゃう感じで……魔力を注ぎ過ぎなのかなぁ?」
「いや、量じゃないだろうね、これは」
私もこの難点には、ルーイの説明を聞いて始めて気付いた。
「要は自分から『離れた』魔力を、どれくらい制御できるかってところなんだ」
私の言葉がルーイにはよく分からなかったみたいで、じっと私を見上げながら首を傾ける。どう伝えたらいいかなと言葉を選ぶ私の隣で、ラターシャが気付いた様子でハッと顔を上げた。
「……そっか。開始場所が起点で、魔力の線が長く伸びるほど、『遠い』んだね」
「その通り」
うん。上手な表現。この絵柄は、一筆書きで完成させるようになっている。毛筆と炭で描く場合と違って炭切れにはならないものの、引けば引くほど筆の先が乱れて広がってしまう感じかな。つまりルーイの場合、魔力量の多さで線が太くなっているのではなく、制御が緩んで魔力が広がっているのだ。今回の場合、線を引き終える最後の瞬間まで、筆の先は常にきゅっと締めておかなければならない。
私はかなり遠くまで魔力を飛ばせる分、手元で魔法陣を描くくらいは一息のようなもの。だからこの辺りの感覚を分かってあげられていなかった。この札の解除くらいならもう出来るだろうと思ったのは、これを『近い』範囲での魔力制御として捉えていたからだ。
思った以上に難しかったのは理解した。これは私の判断ミスだね。ということを丁寧にみんなに伝え、「ごめん」としっかり謝った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます