第300話

 午前中をみんなでのんびりと過ごし、ランチを近くの食事処で取った後、私は部屋に戻る。他のみんなは方々へ出掛けて行った。リコット以外は。

「あ、そうだリコ、丁度よかっ――」

 相変わらず机に向かっていた私は、ふと思い出してリコットに声を掛けようとした。すると同じタイミングで後ろからリコットが緩く抱き付いてくる。おお、私の項に良いものが当たってる。柔らかい。

「どうしたの、リコ」

「アキラちゃんこそ。今、呼んだでしょ」

「そうだけど」

 その前にもうリコットは抱き付く動作に入っていたと思うけど。まあいいか。前に回されている腕をよしよしと撫でた。

「うん。君と二人になれて丁度良かった。今夜みんなに札解除の進捗を聞こうと思ってるんだけどさ」

 昨夜ナディアと話していた、相談会について伝える。

 難易度を勝手に下げると怒られそうだから、今みんながどの程度、進んでいて、何処で躓いているのかを知りたい。でもリコットは本当の進捗を隠したいかもしれないし、今、みんなが居ない内に正確な進捗が聞けるなら、聞いておきたかったのだ。

 そう伝えたら、リコットは短く沈黙して、抱き付いていた腕の力を強くした。

「……今夜は私を誘ってくれないってこと?」

「え」

 破壊力すげえな。びっくりした。いつになく声が甘くて堪らない。背中からざわざわして、鼓動が早くなる。

 平静を装いながら、また腕を撫でて肩口にリコットを振り返った。彼女の口元に笑みは浮かんでいなくって、どうやら揶揄っているわけではなさそうだ。

「明日、誘おうと思ってたんだけど。今日がいい? リコがそう言うなら私は勿論、大歓迎だよ」

 腕を撫でていた手を滑らせて、彼女の指先まで辿る。手を握り締めたら、リコットも弱く握り返してくれたけれど。「んー」と唸る声は何処か幼くて愛らしかった。

「ちゃんと誘ってくれるなら、明日でもいい。待ってる」

 この子は一体今日どうしちゃったのかな。私の方が明日まで我慢できなくなってしまうな。

「リコ、お膝においで」

 誘ったら、素直にリコットは座りに来てくれた。さっきまで机に向かっていたような椅子の位置では少し狭い為、ちょっと後ろに下がって招き入れる。リコットを横抱きにする形で、膝に乗せた。リコットは大人しく座ってくれたものの、何だか拗ねたみたいな表情をしていた。

「私の可愛いリコは今日どうしたのかな。甘えん坊だね」

「キスしたい」

「いくらでも」

 私の問いは完璧に無視されましたが、そんなことどうでもよくなる言葉を頂きましたのでどうでもいいです。噛み付くように口付けてくるのに応えながら、少し強く腰を引き寄せる。可愛いなぁ。愛しいなぁ。

「……癖みたいに、手、入れるよね」

 しばらく堪能していたところで、不意にリコットがそう言って唇を離した。一拍置いてから、何を言われているのかに気付く。

「ああ、癖だねぇ」

「ふふ」

 いつの間にか私の手がリコットの服の中に入り込んで、素肌の背中を撫で回している。おかしいなぁ、いつ入れたんだろうねぇ。私の惚けた回答に笑うリコットは、いつも通りの彼女の顔をしていた。

「無視してごめん」

「ん?」

「札解除の進捗だっけ」

「おぉ。そうだった。もう忘れてた」

 私が言い出した話題だったのに完全に忘却の彼方だった。リコットがくすくすと笑う。だってさぁ。可愛いリコットとキスしてたら何もかも忘れますよ。どうして明日まで抱けないんだっけ今から行かない? って気分だったし。切り替えられるリコットは偉いねえ。私みたいな色魔じゃないってことだねぇ。

 本当にもうすっかり切り替えたらしいリコットは、頬に赤みも残していない。ケロッとした顔で収納空間から札を引っ張り出している。プロだな……いや、そういえばプロだったんだっけ……。

「いいとこまでは行ってる気がするんだけど、同じとこで毎回ダメ」

「ほう」

 そう説明すると同時に、リコットは私の膝に座ったままで目の前でやって見せてくれる。気負わなくても開始できちゃうその感じは、簡単にやってるように見えるけど。

「ぬう……」

「あらら」

 始まりは順調。指定通りの絵柄をすいすいと描いて行く。だけど終盤に差し掛かったところの急カーブに引っ掛かって、外側の線にも色が入ってしまっていた。なるほど、リコットはそこが難しいのか。

「もうちょっとだって思うから変に焦るし、此処で間違ったら今までの分が~って思うと緊張してさー、このカーブかその手前の三本分かれ道のとこでミスるんだよ~」

「そっかぁ」

 出来ないよ~と唸りながら、ぎゅっと首に抱き付いてきた。ぐえ。勢いが良くて一瞬、息が止まりましたよ。まあいいや。可愛いし。リコットを嬉々として抱き返しつつ、彼女が雑に机の上に放り投げた札を手に取った。この分かれ道と、このカーブね。ふむ。

「リコ、これは出来る?」

「どれぇ」

 まだ愚図ってたのか。声がちっちゃい子供なんだよな。思わず口元を緩ませつつも指摘しないで札を彼女に向ける。

「ぐーん、ぐん、ぐーんって」

「え、器用。……ちょ、待って解かないでよ、私の分!」

「まだいっぱいあるから大丈夫だよ。解かないけどさ」

 途中でやめて元の状態に戻し、またリコットに返した。私が今やってみせたのは、魔力を籠めて素早く線をなぞり始めてから途中でピタリと位置を止めたり、速度を緩めたりしてから、また早く進めるというやり方。つまり線を引く速度に、緩急を付ける。難しい場所の手前で止めて、そこだけ慎重にゆっくり。簡単な線はまた早く。

「ぐーん、ぐん……は? 難しい」

「あはは!」

「笑い事じゃない」

「すみません……ふふ」

 勢いを止めようとしたら、魔力供給自体を止めてしまったみたい。すぐに線が消えてしまってリコットがめちゃくちゃ険しい顔をした。そっかぁ、これも難しいかぁ。

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