第294話
店に訪れた時よりも少し冷たく感じる夜風が頬を滑るけど、私の頭を冷やしてくれはしなかった。
「あなたね、あんなところで騒ぎを起こさないで」
「ナディを触られるのは無理」
「どうせ肩を引くとか、その程度のことでしょう」
「だめ」
未だふつふつと湧き上がる怒りと不快感に、苛立ちを隠しもせずに唸る。ナディアは隣で、呆れた溜息を吐いていた。
だけどこっちにばかり行動を改めさせようとする店員も気に入らなかったし、正直に言えばもっと暴れて店員も男共もビビらせたかった。でも。一応ちょっとだけ、今回は、ナディアの制止を聞いたつもりです。どんなに怒っていてもみんなを無視しないって、この間ラターシャと約束したから。
「悪いお店ではなかったけれど、客層は良くなかったわね」
次に口を開いたナディアは、怒った声じゃなくて、優しい声だった。
「まだお腹いっぱいじゃないんでしょう。もう少しお酒とおつまみを買って、今夜は部屋で飲みましょう。ワインくらい、私が注ぐから」
「……うん」
慰めるみたいな言い方だ。あと、腕を絡めてきた。む、胸を当てられたからってご機嫌にはならないんだからね! でもナディアがこんな風に引っ付いて歩いてくれることは普段なら無くて、特別な感じはします!
どう受け止めたらいいか分からなくて口を尖らせて黙ったら、私の腕に寄り添うナディアが、微かに笑った気がした。
その後、別の店でもう一本のワインと、食べるものをいくつか包んでもらって、適当な宿を取って部屋に入る。
「時々、子供のようね」
部屋に備え付けられた簡素なテーブルに食べ物を並べた後、ナディアがワインを注いでくれた。「ありがとう」と受け取って、先の彼女の言葉に改めて首を傾ける。
「自分のものを触られたくないと拗ねてみたり」
「じ、自分のものと、主張したいわけでは、なかったんだけど……」
いや、うーん、でも、さっきのは、それに近いのかな。自覚してなかった。私はナディア達を、自分のものだと思っていたのか。みんなが傍に居てくれるから、自分が腕の中で守っているから、ちょっと調子に乗ってしまったのかもしれない。
「……ごめん」
「何が」
「ナディはナディのものです、勝手なことをしました」
少し沈黙してからナディアは「そうね」と静かに言った。
「実際、あの男に触られたかったわけではないし、その点は助かったわ。ただこれからは、私が意志表示してからにして」
「うっ、はい、そうですね、分かりました」
エルフの里でもラターシャの意志を確認せずに勝手にエルフ側の提案を断ったんだった。あれは良いよってラターシャは言ってくれたものの、『これからも』良いよとは言われていない。良いわけがない。反省、再び。落ち込んで項垂れる私を笑ったのか、呆れたのか。ナディアが短く息を吐いた。
「もういいわ、折角の美味しいワインだから。飲みましょう」
「うん」
改めて乾杯して、ワインを傾ける。さっきの店、ご飯もワインも美味しかったし、価格もお手頃だったけど、やっぱりあまり客層は良くなかった。お手頃価格なのが良くないのかもしれない。聞けば、かなり下品な会話があちこちから聞こえてきてたって言う。すぐに言ってくれたらいいのに! そんなの聞かせたらナディアの可愛くて美しい耳が汚れてしまう! 一瞬その下品な客共を消したくなってきらっと目を光らせてしまった私に、まだ何も言ってないのに「もういいから」とナディアが笑った。
でもやっぱり、ナディアやリコットを連れて飲みに行く時は、高い価格帯の店を選ぼう。店員も教育が行き届いていて、何かあったら私が手を出すまでも無く来てくれるような場所が良い。
「ところで、アキラは」
「うん?」
徐に話し出したナディアは、少しだけ間を空けてから私を見つめる。
「リコットの魔法のこと、いつから気付いていたの?」
「あー」
みんなと一緒の時や酒場では出来ない話だね。もしかしたら宿に来たら聞こうと思っていたのかも。うーん、でも「いつ」と言われると、はっきり言うのは難しいな。言葉を選んで、私は首を傾ける。
「毎日みんなの魔力残量を確認してたから、リコだけやけに増えていくなぁとは思ってたんだ。十日程度でかなり顕著に差が出てた」
魔力残量を毎日きちんと見るようにしたのは、生成魔法を教えた日から。みんなが消費し過ぎて倒れてしまわないように気を付ける目的だった。
練習を重ねるみんなの魔力量が日々で少しずつ増えるのを見て、こうして魔法って成長するんだなぁと呑気にニコニコしていた。中でもちょっとリコットの増える量が多いかな、と思う程度だったのが、十日もすれば「いや明らかに多い」という確信に変わる。
「数値にすると、ナディは合計で二百くらい増えたんだけど」
「二百……」
「いや、充分に大きな成長だよ。今の最大魔力量が1400くらいだから」
短期間で一割を大きく超える成長をしているって本当にすごいことだ。ルーイとラターシャも同じくらい増えている。ただ、リコットは群を抜いていた。彼女だけは当初の倍以上まで魔力を増やし、今や2600を超える最大魔力量を持っている。
順調に行けば、今年中に三千も超えるかもしれない。レベル4程度の魔法を使える魔術師ですって自己紹介されても真偽のタグが無ければ私は全く疑わないと思う。だって、宮廷魔術師の中にも魔力量が三千台、四千台の人が結構居たからね。
「そんなに……」
宮廷魔術師を引き合いに出して説明したら、ナディアも目を見張っていた。実はまだこういう数値的なことは、リコットにも伝えていない。
「みんなと一緒が良いって悲しんでいたからさ。宮廷魔術師級だなんて伝えるのは、正直、心苦しかったんだ」
「……そうね。私も今はまだ、話さない方が良いと思う」
教えて三か月程度でこの魔力量だ。成長率は流石に落ちていくだろうけれど、一年、二年と練習を続ければおそらく彼女は、現役の宮廷魔術師に匹敵する。
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