第293話

 私が大量に注文した料理が続々とテーブルに並び始める。勿論ナディアはいつも通り、ちょっとつまむ程度であんまり食べない。

「このソース美味しい。うーん、でもこの街じゃないと出せない味だな」

「ワインが使われているの?」

「いや、果物」

 私が指したのは、お肉に添えられたソース。興味深そうに見つめて、ナディアが小首を傾げる。その仕草が本当に猫ちゃんなんだよな。食べるかなってお皿を差し出したら、フォークを伸ばしたナディアがほんの少しだけお肉を切り取ってソースを付け、小さなひと口を食べている。直後、「本当」と漏れる素直な声が愛らしい。

 この領地でワイン産業が活発なのは、新鮮で美味しい果物が豊富に採れるからだ。他の街で同じ種類の果物を使ってこのソースを作ろうとしても、きっとこの街のものを用いるほど爽やかな風味には作れないだろう。

「あの本に出てきた、汽車……というものがあれば、もっと容易く貿易できるのかしらね」

「おー、確かにねー」

 ナディアが言う「あの本」は二代目救世主が持ち込んだ文庫本のこと。あれからも何度か音読しているが、いつも沢山の説明が必要になる為にまだ半分も進んでいなかったりする。物語としてみんなの心にどれだけ残ってくれているのか、甚だ疑問だ。

 っていうか、「汽車」もそうだけど。二代目救世主から日本の当時の技術を聞いていれば、彼女自身に専門的な知識が無くても発想は得ていたはずだ。千年以上も時間があれば開発できていそうなものなんだけど。うーん、課題は、魔物かなぁ。

 結界の外で線路を敷くという作業の為にもまず魔物を避ける手段が必要だし、敷き終えてからも魔物に壊されたり襲われたりしないような工夫が必要だ。これは大昔の日本でだって、対象が「獣」であれば直面した問題なんだろうけれど、「魔物」と「獣」は似てるようでいて大きく違う。

 獣なら火や電気で遠ざけることも可能であるものの、魔物を『絶対的に』遠ざけるには結界が必須だと言われている。火や電気を嫌う魔物は多いけれど、全てじゃない。魔物が持つ属性によってはそれらが無効化されたり、逆に元気なっちゃったりするらしく、火や電気を置いたせいで大惨事。なんてことも起こり得るのだ。

 更に、魔物は人に対する攻撃性が獣とは比較にならないくらい高く、人を食べない・襲わない魔物なんて存在しないんだって。うーん、怖すぎるね。つまりそれは『音』に必ず反応して襲ってくるってわけだから、線路の建設なんて呼び込みしてるようなものだ。

 大体、町の結界維持がそもそも大変なのに、線路まで全部結界を張って維持するのは無理だろうなぁ。その結界を張る為の魔術師が、足りていないのだろうから。

 燃料も悩ましいところだね。電気はまだ難しそう。石炭か、軽油か。魔力ってのもこの世界ならアリに思えるものの、魔法石は貴重だし、やっぱり魔力不足って話に帰結する。

「人間から魔力を引き出すような研究に行き着いて、倫理の問題でひと悶着――まで想像できるね」

「貧困層の子供から燃料として消費されそうね」

「……私より残酷な発言はやめてください」

 ナディアの想像は、想像の域というより、ほぼ事実に基づいている。彼女やリコットはお金の為に売られたその『貧困層の子供』だ。売る先が娼館になるか、魔力燃料製造施設になるかの違いだろう。人間から魔力の抽出なんて技術が確立されたら、きっと現実になる。

 胃がキリキリと痛んだ。項垂れる私にナディアはふっと意地悪く笑うけど、気を悪くしたようではない。自分の未来だったかもしれないようなことを想像させた私を、もっと怒ってもいいのにね。私はやっぱり、どうしても。残酷な世界を知らない平和ボケした人間だ。彼女らの痛みを、根底から理解できていないのだと思う。だけど傍に居るのだから、少しずつでも歩み寄りたい。……なんて。そんな考えすら、平和に生まれ育った私の勝手な感傷なんだろう。

「ナディ、次は――」

 彼女のグラスが残り少なくなってきたから、お代わりを聞こうとした時。私達のテーブルへ近付く少し大きな影。

「お嬢さん達、一緒に飲まないか? ああ、やっぱり此方のお嬢さんも美人じゃないか!」

 無遠慮にテーブルの脇に立つ男は、ナディアの背後から歩いてきた。そして私達に身を寄せるようにして男がテーブルに手を付いたから、ワイングラスが少し揺れる。更にはナディアの顔を覗き込むような動きを見せて、イラッとした。

 美しいナディアが店内側に顔を向けたら無駄に注目されると思って敢えて背を向ける形で座らせていたのに。ここまで無礼なバカが来るとは思わないよ。

 ナディアはあからさまに不快そうに眉を寄せる。見れば、男の仲間がもう三人、中央近くのテーブルに居るらしい。楽しそうに此方を見ていた。面子に獣人族も混ざってるからナディアにも興味を示したみたいだ。

「今日は遠慮しとくよ。ごめんね」

 それでも穏便に済ませようと、ニコッと笑ってお断りしたんだけど。男はその程度の返しは想定内と言わんばかりに前のめりになる。

「まあまあ、そう言うなよ、いい夜じゃないか! 奢ってやるからこっちに来な!」

 少々しつこいくらいなら私も許してやれたかもしれないが。男がナディアに手を伸ばした瞬間、立ち上がって腰の短剣を数センチ抜いた。視界に入り込んだ刃の輝きに、男は息を飲んで数歩下がる。近くで成り行きを見ていた他の客らからも微かに悲鳴が上がった。

「指一本でも触れたらその腕、切り落とすよ。髪先に当たっても許さない」

「アキラ!」

 制止するようにナディアが私を呼んだ。一方、男は両手を軽く挙げながら、更に数歩後退した。

「お、おっかないお嬢さんだな、ちょ、ちょっと誘っただけだろ」

「誘うまではいい。触るなって言ってんだよ」

 じりじりと男に歩み寄り、ナディアから離れるようにと威嚇する。男は私の意図を理解したかは分からないが、望んだ通りにナディアから離れた。

「お客様! 争いは困ります、店内での刃物の扱いも」

 店員が慌てて駆け寄ってきた。男性二名。彼らは得物を半分抜いている『私を』止めようとしていた。それが、癇に障った。

「言う相手が違うんじゃない? 私は自衛してるだけだ」

「アキラ、もう良いから。すみません、残っている食事を包んでもらえますか? それと」

 ナディアが立ち上がり、私の左腕を引いた。そしてそのまま店員にワインボトルを一本、追加で注文している。残っている食事と共に持って帰るからと早口で説明してから、改めて私を見上げてきた。

「もう出ましょう」

 懇願するようにそう言って見つめてくる金色の瞳。数秒それを見つめ返してから、私は一つ息を吐き、短剣を鞘に納めた。

 店員が持ってきてくれた食事とワインを受け取って、請求額を見ずに金貨一枚を投げるように渡す。ぎょっとしていた店員を置き去りに、釣りも無視して店を出た。当然、出る直前に邪魔をした男共をひと睨みするのも忘れない。そんな私を見止めたナディアがまた、緩く腕を引いた。

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