第292話
小柄なルーイは椅子に深く腰掛けてしまえば足が床に付かない。普段は不便なことだと口を尖らせているけれど、今のようにご機嫌に足を振ることは、足が付かないからこそ容易に出来る振る舞いだ。
「アキラちゃんってすごいよねー。ナディアお姉ちゃんも、アキラちゃんと寝た後はちょっと機嫌いいもん」
「え、そう?」
「ちょっとだけね」
ラターシャはその変化に気付いていないようだが、ルーイの口振りは確信めいている。すると突っ伏したままだったリコットは少しだけ頭の位置を変え、珍しく照れ臭そうな顔を垣間見せた。
「……そりゃ、あれだけ甘やかされれば、どうしてもね」
つまり少なくとも彼女にとってアキラとのベッドはそれだけ甘いのだと告げる言葉に、ラターシャがまた頬を染める。一方、ルーイはやけに大袈裟な溜息を吐いて、天井を仰いだ。
「いいなー! あ~私も早くアキラちゃんとえっちしたいよー!」
「こ、こらルーイ、声が大きいって!」
ラターシャは慌てて彼女を止めようと手振りする。宿の壁はそんなに分厚くないし、もうすっかり夜は更けている。こんな言葉が外まで聞こえてしまったら堪らない。リコットは二人のやり取りにちょっと楽しそうに笑った。
「だってー。私は六年もあるんだよ? ラターシャなんて二年だけじゃん!」
「いや、ちょ、ちょっと待って、私は、別に、その」
「えー?」
「こらルーイ、止めなって。ラターシャは純粋なんだから」
今夜は子供らの夜更かしを強く止める者が居ない。話に盛り上がって気付けなかった三人は、いつもより少し遅くまで、賑やかな夜を過ごした。
* * *
ナディアと一緒に宿を出た時。少し夜風が冷たく感じた。やや冬っぽくなってきたかな。軽く振り返ったナディアはいつもより暖かそうな上着を羽織っている。身体を冷やしてしまわないかと心配したんだけど、大丈夫そうだ。
「別に、リコットでも良かったのよ。あの子が良いと言うのだから」
「うん?」
すぐには、何を言われたのか分からなかった。一拍遅れてから意味を理解して、思わず苦笑を零す。
「寂しいこと言わないで。勿論リコの言葉は嬉しかったけど、今夜はナディと過ごしたかったんだ」
さっきのリコットは確かに可愛かったが。じゃあリコットで~と切り替えられるほど私は器用な
「あなたがそう言うなら、私は構わないけれど」
「うん、ありがとう」
手を繋ぎたくなって、彼女の方へと差し出す。少し間を置いてから、ナディアが握り返してくれた。半歩後ろを歩く彼女を引いて、酒場のある明るい道の方へと進む。
「あまり人前で触れるのは、避けた方が良いと思うけれど」
「んー、あー、まあ大丈夫だよ、手を繋ぐくらい。女同士だしさ」
この国は同性愛に対して寛容だ。ただ、異種族間での性愛はおおよそ存在しない為、基本、ナディアとの関係は隠すようにしている。だけどナディアとルーイだって手を繋ぐし、偶にリコットとも手を繋いでる。私と繋ぐのとは確かに意味が違うんだけど、あり得ないならそれこそ周りからは『親愛』の範疇に見られるはず。夜だし、危ないから繋いでるだけって風に見えるでしょ。
それでも少し腑に落ちない顔をしている彼女へ、「外ではこれ以上、触れないから」と伝えておいた。前はこっそりと裏路地でキスしたけどね。もうしませんので。
目的の酒場に入って注文を終えたら、即座に飲み物が出て来た。最初のお水みたいな勢いで出てくるワインが面白すぎる。勿論、色んな種類のお酒が豊富に揃えてあるけど、やっぱり此処は他の街に比べてワインの数が圧倒的に多い。
「この街はどう? ナディ」
「……何よその大雑把な質問は」
「はは。いや、私以外の所感も聞きたくって。ナディなら一番、女の子達のことを考えた意見をくれるだろうからさ」
他の子に聞いたらきっと、その中に私のことも含めて意見を言うだろうし、私に気を遣って言えないこともあるだろう。でもナディアなら『私を除いて』、みんなの為だけに意見を言ってくれる。もうちょっと私のことも考えてほしいなーって気持ちが無いわけじゃないが、こういう時、彼女がくれる遠慮の無い意見はとてもありがたい。
意味するところを汲み取ってくれたナディアが一つ息を吐き、考えるように首を傾けた。
「街の人が親しみやすいのはいいけれど、一人歩きは少し不安ね。日中から酔っている人が多いわ。店主まで飲みながら接客しているのだから」
「あはは」
この街、ワインが生活に浸透し過ぎている。
ワイン片手に商売をする人が普通に居て流石にちょっとびっくりした。特に市場のお店や食堂には多いね。客と一緒に飲んで気安く喋る。それが文化なのかもしれないけど、そうじゃない文化から来ると驚いてしまうし、ラターシャやルーイが酔った人に話し掛けられたら困るだろうなって思った。いや、ルーイはもしかしたら上手にあしらうかも。だけど生真面目なラターシャが心配だ。酔ってるだけで悪い人じゃないって分かるから、特に困ってしまうだろう。
ただその分、人々がみんな気安い。女性からも男性からも「美人さーん、見て行かないかー」「一緒に一杯どうだー」と声が掛かるし、街に慣れない私が話し掛けると親切に色々教えてくれて、すごくありがたい。嘘を言う人もそんなに居ない。というか、お酒が入ってるから緩んでいて余計なことまで言っちゃう始末だ。
「けれど、市場を離れると大人しい印象かしら。逆に他の街より、声を掛けられない気もするわ」
「ああ、確かにそうかもね」
社交的な人は全員、市場に居るんじゃないかってくらい、市場の外は静かだ。いや、もしかしたら意図的に『市場の外では騒がないようにしてる』かな。大聖堂の存在が理由かもしれない。敬虔な信者もこの街を多く訪れるから、酔った勢いで変に救世主を茶化すことを言うと怖いのかも。救世主信仰って、王族が主体だもんな。現実的な話をすると神より怖いね。
「みんな自衛が上手いから言うまでも無いけど、市場は二人以上でって感じかな」
「そうね」
「ありがとう。また何か不安があったらいつでも教えてね」
真っ直ぐに目を見つめて丁寧に礼を述べたつもりだけど、ナディアは私を一瞥しただけでそっぽを向いて、素っ気なく頷いた。でも何かあったらちゃんと教えてくれるって分かってるからね。みんなの為ならね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます