第282話

 夕食も入浴も終えてから、私は今日買ってきたワインを取り出した。

「ナディも飲む?」

 リコットは飲みたいと言っていたけれど、そういえばナディアには聞いていなかったから改めて問う。彼女は短く「ええ」と答える。私は軽く頷き、ワイングラスを三つ、テーブルに置いた。

「はい、どーぞ」

 丁寧にワインを注いで二人にグラスを渡すと、彼女らは全く同じ動作でグラスを軽く回して匂いを確かめ、ほぼ同じ角度で傾ける。可愛いんだけど。つい自分の手が止まって、ニコニコと見つめてしまった。

「うっわ、すっごく甘くて美味しい!」

「シロップでも入っているのかと思ったわ」

 驚いた様子の二人はまた同じ動きでボトルを引き寄せると、顔を寄せ合って表記の確認をしている。シロップは入ってないですよ。これはデザートワインの一種だろう。私も試飲させてもらった時に感動した。この国に来てから、デザートワインを見付けたのは初めてだった。もしかしたらこの地域でしか生産されていないかもな。

「ルーイ」

「うん?」

 一緒にテーブルには座っているが飲むことができないルーイは、ちょっと口を尖らせながらお姉ちゃん達が盛り上がっているのを眺めている。その顔が可愛くて頬を突きたくなるけど、今回は我慢だ。

「ひと口だけだよ」

「えっ! いいの!?」

 持っていたグラスを、口を付けないままでルーイに手渡す。目をきらきらさせて、彼女は私のグラスを両手で受け取った。それからお姉ちゃん達と同じように、慣れない手でグラスを少し揺らしてから、小さな一口を慎重に味わう。そして、目をぱちぱちと瞬いた。

「おいしい! こんなの飲んだの初めて! わあ、でも、強いね……」

 じわじわアルコールが来たのか、さっきとは違う様子で目を瞬いている。は~可愛い。

 今までにルーイもお酒を飲んだことはあったようだが、たっぷりの炭酸で誤魔化すくらいの軽いアルコールで許してくれる客が多かったらしい。だからお酒を飲むことがあっても、泥酔させられるようなことは一度も無かったようだ。少しだけホッとした。まあ、小さい子にあまり飲ませてしまうと事故が怖いだろうし、流石にそんなリスクを冒すバカは居なかったんだね。怪我をさせる奴は居たみたいだけどね。やっぱり探して殺すか……。私の心が黒く染まりそうになったところで、隣に座るラターシャが、軽く首を傾けて私の顔を覗き込む。

「アキラちゃん、あの、私も飲んでみたい……」

「ふふ、いいよ。どうぞ。ラタも、ひと口だよ」

「うん」

 おずおずとお願いして来るラターシャも愛らしいねぇ。ルーイから返してもらったグラスをそのままラターシャに手渡すと、彼女も両手で丁寧に受け取っていた。

「本当、すごい。こんなに甘いワインがあるんだね」

 お? この反応は、飲んだことがあるな?

 私の苦笑いの意味が分かったのか、ラターシャが軽く肩を竦めた。

「神事がある時に、少しだけね……」

 エルフの里にもワインはある。里で育てた果物で作っているようだ。でもデザートワインはおろか、やや甘口のものすら、おそらく作られていない。少なくとも私が持つ知恵の中には製法が無かった。同じ白でもきっと辛口のものが好まれているんだろう。そもそも色んな種類を作るとなると大掛かりになるから、仕方がないのかもしれない。閉ざされた世界で嗜好品があるだけ、充分に凄いことだ。

 ちなみにグラスを回す手付きはラターシャが一番ぎこちなかった為、多分、回すのはみんなの真似をしただけだね。エルフらがワインを飲む時はおそらく木製のコップだろう。そこまで細かいことは知恵に入っていないのだけど、里の中でガラスが貴重であることだけは知っている。ワイングラスが存在したとしても、未成年で立場の悪かったラターシャにまでそれが渡されていたとは思えなかった。

 さておき。ひと口ずつ飲んだラターシャとルーイが「美味しかったね」と可愛く感想を伝え合っているのを横目に、ようやく私も飲む。あー、最高。いいワインだわ~。この街に来て良かったなぁ。今日買ったデザートワインはこれ一本だけだけど、これから色々と試してお気に入りを見付けたいね。

 その後二時間ほど、のんびりと晩酌をして、リコットとナディアはグラス二杯を飲み、残りは私が飲んで一本を空けた。でもそれだけ。早くも晩酌を終了しようと片付けを始めた私を見て、付き合ってくれていた二人がやや変な顔をする。

「ん?」

「普通なら気にならないけどさぁ」

「アキラがその程度で済ませると、奇妙でしかないわね」

 食べる量も飲む量も規格外の私にしては、ボトル一本は『少な過ぎる』ということみたいだ。まあ、確かに私も満足したとは言い難いけれど。

「はは。昨日も夜更かししたからね、偶にはね」

 なお、ルーイとラターシャの二人は、一時間ほど前に迎えた就寝時間にきっちりと布団に入らせている。今、起きているのは三人だけだ。

「……具合が悪いわけではないのね」

 眠る子供達を確認するように少し視線を外していたけれど、静かな問いに振り返る。ナディアは窺うような顔で私を見つめていた。優しいねぇ、心配してくれたんだね。嬉しくなって、つい頬が緩む。

「うん。問題な――イテッ」

「よーし、平熱だね」

 また勢いよくリコットが私の頬に触れてきた。だからそれはビンタだって。俯いているナディアの肩がめちゃくちゃ震えてる。めちゃくちゃ笑ってるでしょ。こっちを向きなさい。まあ、今の光景を真正面から見てしまったら堪らなく面白かったことだろうけど。くそう。赤くなるほどの衝撃ではないものの、軽くひりひりとする頬を自分でも撫でる。一方、叩いた本人はのほほんと素知らぬ顔で水を飲んでいた。別に、いいんだけどね。

 そういえば、明日の朝食用のスープ、また用意するのを忘れちゃった。明日は少し早く起きて、厨房を借りて作ってしまうことにしよう。

 ちなみにこれを明日誰にも断りを入れずに一人で済ませてしまうことで、私は再びナディアに怒られてしまうのだけど。この時は全く思い至ることなく、呑気に朝食の献立を思い浮かべていた。

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