第279話

 みんなで市場に戻って、めぼしい店の『店主のおすすめ』であるワインを四本購入してから、揃って宿屋へと帰る。流石にまだ飲み始めない。まずは真面目な話をしますので。

「改めて、救世主の話をしましょう」

 お酒じゃなくお茶やコーヒーを淹れて、みんなでテーブルを囲む。ナディアが今言った『救世主様』は私のことではなく、過去の、彼女らにとって『信仰対象』だった救世主らのことだ。

「私ら三人が持ってる感覚と認識があれば、少なくとも奇妙に思われることは無いよねー」

「じゃあ、私から!」

 こういう時はナディアが先に話すことが多いんだけど、今回はルーイが一番手をやってくれるらしい。張り切って上げられた手が可愛くて抱き締めたい。今じゃないね。ぐっと堪える。

「私は小さい頃のこと、あんまり詳しくは覚えてないんだけど――」

 ルーイが持つ最初の記憶は、この国の北部、セーロア王国との国境近くにある町だったという。ただ、正確な位置や町の名前を、幼かった彼女は今も知らない。

 曰く、その町はレッドオラムやエーゼンのように城塞都市でない代わりに、全ての建物に地下があった。長年に亘って某国とは何度も戦争をしていて、国境付近は不安定だったこと、そして町の付近に魔物が多いことも理由だったのだろう。とにかく町では、地上で生活するのは日中だけ、日が暮れた後は必ず地下に入るのが当たり前だった。

 そしてルーイが暮らしていたのは、孤児院のようなところ。当時のルーイには判断できなかったようだが、ある程度、物事が分かるくらいの歳になってから思い返して「そうだったのかも」と思ったそうだ。

 夫婦と思しき「おじさん」と「おばさん」が居て、十五歳以下の子供が十名ほど共に暮らしていた。

「毎日ね、ご飯の時にお祈りするの。『私達が今日も生きてご飯が食べられるのは救世主様のお陰です。今日も平和をありがとうございます』って」

 ほう。思った以上に強烈に神様の位置だな。初っ端の情報からびっくりしている。目を瞬いている私に気遣うことなく、そのままルーイの思い出話は進んだ。

 その町での生活はそう長く続かなかった。ルーイが五歳になる少し前、「おじさん」が病で倒れてしまった。「おばさん」だけでは子供達を見ていくことが出来なくて、全員そこから離れることになった。ルーイと共に別の街に移されたのは四人だけ。他の子らが何処へ行ったのかは分からない。

 次の場所は東の方にあり、海が見える街だった。年老いた女性が一人で住む広い屋敷の下働きとしてルーイ達は引き取られた。屋敷にはメイドが居たが侍女はおらず、貴族だったという話も聞かなかったそうだ。ただ、下働きでは主人である彼女とあまり顔を合わせることも無かった。黙々と、騒がずに掃除や洗濯や炊事の手伝いをして、四人で一つ与えられた物置のような部屋に下がる。それだけの日々。

「その家ではお祈りが無くって、最初はちょっとみんな戸惑ったんだけど。その内に忘れちゃった」

 まだ五歳くらいなら、そうだろうな。むしろ五歳頃の記憶にしてはよく覚えている。彼女からすればまだ七年くらい前のことであることと、小さい頃から大人に甘えられない生活をしていたことで、気を張っていたせいか。

「だけど一年に一度、『勝利の日』の祝祭があって、数日は賑やかな音楽が聞こえてたなぁ。あれは最初の街には無かったかな、多分」

「勝利の日?」

 聞き慣れない言葉に首を傾ける。エルフの知識の中にも存在しない言葉だった。

「これはねえ、結構色んな町であるよ。初代救世主様が、魔王に勝利した日を祝ってるって話だったと思うけど」

 リコットはそう説明しながら、ちょっと不安そうにナディアを窺う。彼女の口振りでは『とりあえずお祭り』って感覚で、起源についてはうろ覚えだったようだ。でもナディアも頷いていた。

「私もその認識よ。ただ、実際に勝利した日は曖昧だそうだから、どの街も淡紅あわべにの月、一日目から五日目あたりで、祝い事に適した日を選んで祝っているわ」

「あんまりにも雨が酷かったら延期されたりもするから、日程は割と緩いよね」

 淡紅の月は、二番目の月だ。私が経験するにはあと三か月くらいは待たないといけないね。

 そして初代救世主となるともう二千年以上前になるはず。騒乱時のドタバタで、勝利した日が曖昧なのは仕方がないだろう。当時にそもそも真っ当な暦があったかどうかも怪しい。

 元々は各地で祈りを捧げるなど、厳粛な祝い事だったそうだけど、彼女らの知る限りはみんなが飲んで騒いで、平和ありがとう救世主様ありがとうって言うだけのお祭りなんだとか。

 なお、ルーイは二つ目の街も二年ほどしかおらず、女主人が亡くなると、彼女の三番目の息子という男性に『相続』されて、ナディア達が働いていた娼館へ売られた。また、その娼館が買い取ったのは四人の内、ルーイだけ。他の子らはそのまま男性に連れられて行った。その後どうなったのか、何処か別の娼館に行ったのか、これもまた何も知らないらしい。

「その後はお姉ちゃん達と一緒だし、私だけの知識は、ここまでかな」

「じゃあ、次は私かな。年齢順で」

「そんなこと決めていないけれど……どうぞ」

 次はリコットが話してくれるようだ。まずはルーイに「ありがとう」と告げて頭を撫で、リコットに「お願いします」と丁寧に言った。

「私の生まれた村も東の方だけど、ちょっと南寄りの内陸部だね。海なんか欠片も見えない。畑だらけ」

 以前にも聞いたがリコットは大家族の生まれで、口減らしの為に思春期を迎えた頃に娼館へ売られている。つまりルーイのように、娼館に行く前に点々としたような経験は無いそうだ。

「村の真ん中に教会があってね、春頃になると魔物が増えるから、収穫したものを備えて、『救世主様どうぞ私達の村をお守りください』ってお祈りする行事があるよ」

「神様は祀られていないの?」

「うん、祀られてるのは救世主様。争いや、魔物に関する危険があると必ず救世主様にお祈りするんだ」

 なるほど。やっぱり、神様の位置に救世主が入ってる感じだな。

「災害とか豊穣に関しては神様に祈ったりもするけど、救世主様ほど立派な場所で祀られてるのは見たことも聞いたことも無い。せいぜい、町の片隅に小さい祠があるかな」

 リコットの言葉にルーイとナディアも頷いていた。生まれが異なる三人が同じ認識なら、おおよその国民が似た認識をしているだろう。神様という言葉があり、祈る先でもあるのに、救世主の方が信仰対象として強いってことだ。

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