第273話

 だがその願いが今この瞬間に叶ってしまうのもまた『違う』のだと、分かっているから、ルーイは悔しい。

「アキラちゃんが私を大切にしてくれてるのは、ちゃんと分かってるけど」

 子供であるルーイやラターシャをそのような目では全く見ず、身体を求めることが無いからこそ、アキラの愛情は優しい。だからもし今、望むままに注がれたとしたら。それはルーイが求めていた形の愛ではなくなってしまう。

「それでも、私も大人になったら。アキラちゃんに抱いてほしい」

 一連の彼女の発言は、衝立の向こうの女の子達――少なくともナディアには、全て聞かれているだろう。アキラだけにこっそり伝える術が無かったわけではない。つまり、ルーイは自分のこんな願いの全てを、みんなにも聞いてほしかったのかもしれない。

「うん、そっか」

 戸惑うような顔で聞いていたアキラだったが、そう言ってルーイの頭を撫でる頃にはいつもの優しい笑みを浮かべていた。その手はいつも、今この瞬間も、ひたすらに優しいだけの温度をしている。だからこそ、やっぱりルーイは、この人に抱いてほしい。

「確かに私は今のルーイをそんな風には見られない。でも大人になった時にも同じ気持ちだったら、もう一度誘ってみてよ」

 ふふっと短い笑い声が入り込む。顔を上げたら、お風呂の熱で少しだけ頬を上気させたアキラの微笑みがあって、何処か楽しそうな色を含んでいた。

「君ほど愛らしかったら、きっと歳の差なんて関係なく、誘惑されちゃうだろうね」

 頬を滑る手は変わらず優しく、色を深める瞳は魅惑的に見えるのに、ルーイへの欲を含まない。けれど言葉の中にも瞳の奥にも、少しも嘘を滲ませなかった。

 アキラは、ルーイが子供だからと、この場凌ぎの嘘を吐かなかった。ルーイが十八歳を迎えた時、同じ望みを彼女が口にすればアキラは必ず応じるだろう。この言葉の中で彼女が『保険』として残したのはただ一つ、その時に同じ心と意志があるかどうか。その点だけだった。

「……上手い返しをするものね」

「言われ慣れてるかんじ?」

 衝立のすぐ傍からナディアとリコットの声が聞こえて、ルーイとアキラは目を合わせてちょっと笑う。聞いているだろうとは思っていたが、どうやら思った以上に近くで聞き耳を立てていたらしい。むしろ聞く為ではなく、何かあった時に突入してくる気だったのだろうか。

「それからね、ルーイ」

「うん?」

「ベッドが不安だったら、いつでも一緒に寝るよ。お姉ちゃん達もそう言ってくれると思う」

 抱いてほしいという言葉の印象が強い話だったが、最初に告げた『嫌な思い出ばかり』という言葉をアキラが聞き流すはずもない。それも確かにルーイの本心だった。時折、少し前まで現実だった時間を思い出して身が強張る。不安になる。怖くない思い出が自分にも一つくらい欲しいと願ってしまう一因だ。

「……うん」

 甘えるようにルーイがきゅっとアキラの頬に額を押し当てたら、音を立てずにアキラはその額に静かに口付ける。

 今までアキラから、軽く触れるようなキスすら贈られたことが無かったルーイは、少し驚いて顔を上げた。アキラは悪戯っぽく笑い、「お姉ちゃん達には内緒だよ」と示すように人差し指を唇の前に立てている。ルーイも、「内緒だね」って応えるつもりで同じポーズを取って笑った。


* * *


「ルーイさあ~~~」

「うん?」

 入浴も寝支度も終え、三人用テントに入った後。ルーイが横になる直前、リコットが何やら低い声で唸る。

「いつか抱いてほしいって言うなら、一緒にお風呂入らない方が良いんじゃないの?」

 少しの溜息を挟んでからリコットはそう言った。アキラと一緒にお風呂に入るという行為は子供のそれであり、下手に繰り返せば『女性として見てもらう』という目的から遠ざかる、という意味だろうが――。これを告げる時、リコットはルーイから目を逸らしていた。おそらく本音ではただルーイに、アキラと一緒にお風呂に入るのをやめてほしいだけだ。今の言葉は建前だろう。とは、ルーイも指摘はしないけれど。

「だって成長からアキラちゃんに見てもらえるの私だけだもん」

「この十二歳が怖いよ~~」

 枕を抱き抱えてリコットが突っ伏す。ナディアは「今更なことね」と小さく言っていたが。その見解については、やや心外なこととルーイは思う。姉二人からはもう少し『子供らしい』と思われているはずだったのに。しかしルーイが生きてきた環境を現実として知っている二人からすれば、子供らしい子供が育つはずもないことは、どうしたって分かることだ。

「私も大人になったら、お姉ちゃん達みたいに大きくなるかなぁ」

 さておき、見てほしい『成長』に大して変わりが無ければ意味が無い。それが今のルーイの小さな悩みだった。

 身長は勿論、胸とか。手足とか。胸とか。一番の本音が何度も頭を過ぎり、ルーイは胸辺りを押さえて憂いを含む溜息を一つ。その仕草を見つめたリコットは、ちらりとナディアを窺ってから、またルーイへと視線を向けた。

「ルーイは……あんまり育たないと思うけど」

「えっ、酷いよリコお姉ちゃん! どうして?」

 この瞬間のルーイの表情は十二歳らしい素直なものだった。心からショックを受けている。訳を問われたリコットが揶揄からかうような顔ではなく言い辛そうにしているものだから、ルーイからすれば更にショックだった。

「身体付きがそもそも細いから……あー、ナディ姉、ルーイくらいの時、胸どうだった?」

「どうって……」

 悲しそうなルーイを見ていられなくなったのか、リコットは正直な考えを告げながらも決定打を避けて、ナディアに投げた。当然、ナディアも困り果てた顔でルーイを見て、そして視線を彷徨わせる。

「……私は、もう少しあった、わね。あ、いえ、でも成長時期も個人差があるのよ、ルーイ」

 後半、明らかにフォローされている。それが分からないルーイではない。「ええ~」と不満いっぱいの声を上げながらベッドに身体を投げ出した。

「嫌だ~ナディアお姉ちゃんくらいほしいよ~」

「それは流石に高望み過ぎない?」

 噴き出すようにリコットが笑う。ナディアは標準よりずっと大きな胸をしている。標準くらいほしい、という望みを越えたものを求めていたのであれば、確かに今の話はショックなのだろう。

「だってアキラちゃんが大きいの好きそうなんだもんー」

「それは分かる」

 急に同意をし始めた二人がナディアへと視線を向ける。するとナディアは無表情のままで首を傾けた。

「以前、『女の子の胸は全サイズが好き』と言っていたわよ」

「それはそれでアキラちゃんらしい!」

 ルーイとリコットは声を揃えて笑った。この笑い声は、噂されている本人が居る隣のテントにまでは届かなかったのに。同じタイミングでアキラがくしゃみをしたのを、ナディアの耳が聞き取っていた。

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