第272話

 いつになく甘えるルーイのことをどう思ったのかは知らないが、アキラは一層柔らかく目尻を下げて、小さな肩を撫でる。甘えるようにアキラに寄り添いながら、ルーイは疑問を口にした。

「じゃあどうして大きいお風呂を作ったの?」

「あー、それ、聞いちゃう?」

 何処か弱った様子で笑うアキラに、ルーイは首を傾けた。アキラもそれに倣うみたいに首を傾けたけれど、言い辛そうに頻りに視線を彷徨わせている。だがアキラは彼女からの無垢な問い掛けに滅法弱い。渋々ながらも、正直な回答を口にした。

「お、大きいお風呂を作ったら、もしかしたら未来の私の女の子達が、一緒に、入ってくれるかもしれないって……思って……」

 しょんぼりと頭を下げて小さな声で語るアキラの言葉に、ルーイは噴き出すようにして笑ってしまった。

「笑うなんてひどいよ~!」

 更に項垂れるアキラに、ルーイの笑いは止まらなくなる。堪らず身体が震え、次第に目尻に涙も浮かぶほどだった。

「それで、わ、私達に断られた時、すっごいショックな顔してたんだね、ふふ」

 初めて木風呂を出した時にアキラはきらきらの目で「一緒に入る!?」って尋ねていたが、全員から「一緒には入らない」と言われ、それはそれは驚いて凹んでいた。しかし誰もその訳までは聞いていなかった。

 誰かが一緒に入ってくれることを夢見て、手ずから作った木風呂だったらしい。ルーイはあの時のアキラの様子を思い出すほどに可笑しいらしく、落ち着いたと思ってもまたくすくすと笑い出すということを、何度も繰り返した。

「もー、ほらお湯できたよ。ルーイ、お風呂の用意して」

「今日はアキラちゃんと一緒に入るから、最後で良いよー」

「えっ」

 目を大きく見開いてルーイを見下ろすアキラの顔は、普段なかなか見られないくらい無防備なものだ。それを見ただけでルーイは少し得をした気分になった。

「ルーイ、そんな下らない夢を叶えなくても良いのよ」

「下らなくないよ!!」

 衝立の向こうから険しい顔を覗かせて割り込むナディアに、切実な声でアキラが反論する。その様子も楽しくて、また肩を震わせてルーイは笑った。アキラは時々、誰よりも子供みたいな反応をする。

「ううん、私は別にアキラちゃんとお風呂、嫌じゃないもん」

「ルーイ~~~! 私の天使~!!」

「わぁ」

 突然、ひょいと高く抱き上げられて、抱き締められる。驚きながらも、アキラの首に腕を回して、ふふふとルーイは笑った。傍で聞いていたナディアはまだ眉を寄せているが、ルーイが言い出したことに異を唱える彼女ではないのだ。それ以上の言葉は無い。

「じゃあ今日の順番はラターシャが最初~」

「う、うん……」

 アキラと一緒に衝立を越えて外側に出ると、相変わらず顰めっ面のナディアと、戸惑った顔をしているラターシャと、苦笑いのリコット。ラターシャはルーイに何度も視線を向けていたけれど、結局は何も言わず、お風呂の用意を持って衝立の中へ入っていく。ルーイはどれも気付いていて、でも、気付かない振りをした。

 そしていつも通りの順番で入浴がアキラに回ってくると、服を脱いで、仲良く二人で洗い場に立つ。

「髪洗ってあげる、こっちおいで」

「わーい」

 促されるまま小さい木製の椅子に座れば、同じく椅子に座ったアキラが後ろから髪を洗ってくれる。優しい指先の動きが気持ち良くて、ルーイの頬は自然と緩んだ。誰かに髪を洗ってもらった記憶は、ルーイの中には一つも無い。覚えてもいないほど小さい頃ならあったのだろうけれど、物心付いた頃にはもう自分の身の回りのことは自分でやっていた。だからルーイにとって家族にも似た温もりある触れ合いは、組織に買われてしまったことでナディアとリコットから初めて得たのだ。それが幸か不幸かの判断は難しい。

 髪を流してくれた後、アキラはふわふわに泡立てた石鹸でルーイの背中を丁寧に洗った。背中がもこもこになっていく感触が気持ちいいけれどくすぐったくて、何度もルーイは笑い声をあげる。自分で泡立てるとこんなに泡立たないのに、アキラの手は何が違うのだろうかとルーイは不思議に思った。

「よし、背中も完璧だよ~。後は自分で洗ってね、私がお姉ちゃん達に殺されるからね」

「ふふ。はぁい」

 いくらアキラにやましい気持ちが無くとも姉達は許さないだろう。今もきっと衝立の向こう側でそわそわしているに違いない。そんな二人を想像し、ルーイは笑いながら頷いた。

 アキラはその時点から自分の髪と身体を洗い始めたのに、泡立てることにチャレンジしていたルーイの方が洗い終わりは遅かった。結局、アキラがルーイの手と自分の手を使って、もこもこの泡を作ってくれた。やっぱり、魔法みたいな技だった。

「アキラちゃん、抱っこして」

 二人で湯船に身体を浸けた直後、ルーイはそう強請ねだった。おそらく彼女のその言葉に、衝立の向こうで聞き耳を立てているナディアは眉を寄せているだろう。流石のアキラも目を丸めていた。けれど瞬きを一つ終える頃にはいつもの優しい笑みで、「いいよ」と腕を広げる。

 引き寄せられるまま身体を預けたら、胡坐をかいたアキラの脚の上に、ルーイは横向きに座る形で落ち着けられる。アキラの肩へ頭を預けながら見上げると、アキラも見下ろして微笑んでくれる。その優しい瞳の中には、ルーイのお姉ちゃん達に向けるような色は少しも無い。ルーイは内心、嘆息していた。

「ねえ、アキラちゃん」

「ん?」

「大人になったら、私もアキラちゃんの相手になれる?」

 ルーイの言葉に、アキラはまた目を丸めていた。衝立の向こう側にも聞こえていれば、もう形容しがたい状態になっているだろう。分かっていたけれど、ルーイはそのまま言葉を続けた。

「お姉ちゃん達ばっかり、ずるい。私は今も、ベッドは嫌な思い出ばっかり」

 拗ねたように口を尖らせて言う様子は十二歳の少女らしいけれど。彼女の持つ『嫌な思い出』は十二歳が抱くには残酷すぎるものばかりだ。アキラが酷く悲しそうに眉を下げたのも見えていた。でもルーイは視線を落として、知らない振りを続ける。

 時々ルーイは、ナディアやリコットがアキラの夜の相手をしたことを『アキラちゃんに甘やかしてもらっている』という表現をしていた。あれは無垢なラターシャの為に行為を暗喩しているだけではなく、本当にそう感じているから。姉達はアキラの世話をしているのではなく、甘やかされているのだと、ルーイはそう思っていた。二人が日に日に穏やかになり、美しくなっていくことが。ベッドで注がれる愛情によるものであると思えてならない。

 だから自分も、今まで重ねてきた嫌な思いや怖い思いを上書きしてもらえるくらい、アキラに愛されてみたい。ルーイは日ごと強く、そう願うようになっていた。

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