第271話

「ルーイこれは?」

 気を逸らしている間に他のページを覗いていたラターシャが、黒地のスティックパンツを指差していた。男性用のスラックスに似ているシルエットだが、女性らしい身体のラインも強調される細身のパンツだ。

「ラターシャに? 似合うと思うよ」

「違うよルーイに」

「えー、私? 流石にこれは大人っぽい気がするなぁ。リコお姉ちゃんがずっと似合うよ」

「確かにリコットは似合いそうだね。でも私は、ルーイが着ても素敵だと思う」

 ラターシャはそう言って微笑むけれど、ルーイは同意しかねていた。ラターシャが示すものは普段のルーイとはかけ離れて大人っぽく、シックな装いだ。着たことが無いこのような服を身に着ければ驚いて、ともすれば心配するのではないかと――自らに似合うかどうか以前に、そんなことを考えた時。不意に、手元に影が差した。

「髪をアップにして、色の濃い髪飾りと合わせたら、ぐっと雰囲気が変わって良いかもね」

 後ろから覗き込んできた影の主を見上げる。アキラだった。目が合うと、アキラはルーイに優しく微笑んだ。

「そんな素敵な格好をされたら、きっと十八歳を待たずに口説きたくなるよ」

「あはは、お姉ちゃん達に武器を持って追いかけ回されるよ?」

「そりゃ間違いない。怖い怖い」

 肩を竦めたアキラは、すっと二人から身体を離した。

「雰囲気が変わっても似合うと思うよ、ルーイ」

「ふふ。ありがとー」

 お礼で返すルーイにまたふっと微笑んで、アキラは歩き去っていく。何をしに来たのかと思ったら、テントとかまどの中間地点に二人が居たから立ち寄っただけのようだ。竃の前に立ったアキラは、余熱が取れた鍋を収納空間へと仕舞い込んでいた。今は昼食後の休憩時間。もう少ししたら、また馬車で移動するだろう。

「あ、この帽子、ラターシャに似合いそう~」

「帽子はもういいよ……」

「あはは」

 引き続き雑誌を捲り、目に付いた帽子をルーイが指差した。ラターシャが頭と、その上に乗る帽子を抱えるようにして項垂れる。

 今日のラターシャは薄手のニット帽を被っている。彼女が同じ帽子を二日と続けて被ることはほとんど無くて、この帽子を被るのは何日ぶりだろうと数えようとしても思い出すのは難しい。つまり、ラターシャはそれだけ多くの帽子を持っているのだ。そして一つとして自分で買っていない。全部アキラが「これ似合うと思って!」と買い足してきていて、どんどん増える。当然ラターシャの収納空間に入る量ではなく、そもそも帽子は嵩張るものなので全てアキラが保持していて、毎朝「今日はどれがいいかな?」と、三つほどから本人に選ばせている。選択肢はあるが、その『三つ』の選別はアキラだった。

 揶揄うように、「じゃあこれは?」「これもー」と帽子ばかり探して見せ付けていたら、「絶対それアキラちゃんに見せないでよ!?」とルーイは怒られてしまった。そんな風に遊んでいる内にアキラが馬車を整え始め、みんなは声が掛かるより先に空気を読んで移動の準備を始める。

 馬車の中では大体、誰が何処に座るかが決まっている。でも普段ナディアと並んで座っているルーイは、今日は正面のリコットと交替して、ラターシャと並んでいた。まだ二人で雑誌を見ている最中だったからだ。時々その雑誌をナディアやリコットにも向けながら、四人はお喋りを楽しむ。

 馬車を走らせている間、馭者であるアキラはほとんど会話に入って来ないし、半分以上は聞こえてもいないのだと思う。

 その背中へ、各々が時折目を向けている様子を眺めながら、ルーイも軽くそちらへ目を向ける。馬の尻尾が揺れるのと同じ動きを見せるアキラの結い上げられた髪に、こっそりと笑った。

「――お姉ちゃん、この服がね」

 呼んだら、アキラの方を見ていた二人が振り返った。すぐに瞳が柔らかくなって、優しい笑みをルーイに向けてくれる。

 組織に入って間もなくしてから。呼ぶ度、彼女らは同じように振り返ってくれていた。当時は心配そうな顔や申し訳なさそうな顔もしていたけれど、今はそんな色は全く無くなって、穏やかな顔が多くなった。憂いを取り払った二人はどんどん、綺麗になっていく。少なくともルーイにはそう見える。

 それを、「いいな」と思うことも、増えていた。

「……お。どうしたの、ルーイ?」

 夜になって、夕食も終えて。アキラが木風呂の準備をしているところにそっと近付くと、気付いたアキラが振り返って微笑む。

「なんにも」

「そう?」

 首を振りながらも、ルーイはアキラの身体に腕を回し、正面からぎゅっと抱き付く。アキラは自然にルーイの背に腕を回して、あやすように、優しくぽんぽんと背を叩いた。ルーイはこういう甘え方を、アキラにしかしない。ナディアやリコットが抱き締めてくれたことは今までに何度もあったし、そういう場合であればルーイも腕を回して甘えてきた。けれど自ら求めたことは一度も無かった。

 ずっと、「お姉ちゃん達の方が大変だから」と思っていた。日中に働きながら、夜にも身体を売るのは並大抵のことではない。流石に毎夜は客があるわけじゃないにしても、あの頃の二人は日々、疲れ果てていた。傍で見ているほどにそんなことは分かるものだ。

 そんな状況でも、ナディアとリコットはルーイを愛し、気遣い、守ろうとしてくれた。その心を嬉しく思う一方で、それ以上をルーイは決して望めなかった。心配も掛けたくなかった。

 あの日々が今も少し、ルーイの心と身体に残っている。

 一方、アキラに対しては、甘えていい人だと手放しに思える。お姉ちゃん達ですら甘えている人なんだから、小さな自分だったらもっと甘えてもいいはずだと。

 改めてぎゅっと身を寄せたら、アキラはくすくすと笑いながら頭を撫でてくれた。

「お風呂大きいよねー。アキラちゃんの世界はこんな風なの?」

「あはは。ううん、これは私の世界でも大きい部類のお風呂だね」

 話している間にも、アキラが木風呂に並々と水を注ぎこんでいた。大きいから、溜まるまで時間が掛かる。一度アキラが横着をして一気にドバっと入れたら勢いが良すぎてあちこちに飛び散り、アキラがずぶ濡れになっただけでなく傍にあった衝立も簀子すのこも流してしまって大惨事だったので、反省して最近はゆっくり注いでいるらしい。

「でも私の国だと、大体は蛇口を捻ればお湯が出てたから、温かいお風呂は当たり前だったなぁ」

「へぇ~、すごい」

「すごいねぇ。こっちの世界に来て改めて、豊かで恵まれたところだったと思うよ」

 そう語るアキラは笑みを浮かべているのに、眉は少し下がる。

 前の世界を語るアキラはいつでも何処か寂しそうだ。数か月という時間は、失ったことを諦め、悲しみを払拭するにはあまりにも短い。日頃アキラが笑顔を湛え、この世界で傍若無人に振舞っているから、どうしても読み取り難いけれど。

 それにアキラはきっと慰めの言葉なんて求めていないし、どんな言葉を使っても彼女の悲しみを癒す力など持たない。ルーイはただ黙って、アキラに抱き付く力を強めた。

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