第270話_ルーイ
アキラが惜しみなくお金を掛けて整備している馬車は、平民が使うものとしてあり得ない程に丈夫で揺れが少なく、走行中の音も小さい。遠目に見る限りは何の変哲もない幌馬車でしかない為、目立つものではない。けれど、毎日乗っている女の子達はその違いがよく分かっていた。
それでも停車時にキイキイと車輪が擦れる音が響いてしまうのはご愛敬だ。
耳の良いナディアはそれを嫌がって、停まる直前に毎回、自分で両の猫耳を押さえ込んでいることを、必ずその時は前を向いているアキラだけは知らない。伝えれば何か対応を考えてくれる甘い人だからこそ、ナディアは敢えて伝えていないらしい。一瞬だけのことだ。そこまでしてもらう必要は無いと思っているのだろう。
「ルーイ」
「うん、ありがとう」
いつも最後に馬車を降りるルーイは、ほとんどの場合、アキラにその身体を抱き上げてもらう。
他の三人は一六〇センチ以上の身長がある為、自分の足で降りるのに困るほどではない。過保護なアキラはそれでも全員に手を貸し、いつも傍に付いているが、リコットとラターシャなどは時々横着をしてタラップを使わずに飛び降りているほどだ。しかし標準的な十二歳よりも更に小さく、一四〇センチと少ししかないルーイには、タラップがあっても容易く降りられる高さではない。アキラがそんなルーイに手を貸すだけで満足するはずもなく。必ずその小さな身体を抱き上げ、下ろしてやっていた。
勿論これはアキラらしい過保護であり、そうしてもらわなければ降りられないわけでもない。ちょっと他の子達よりも、大変なだけだ。でもルーイはそれを指摘しない。アキラが伸ばす腕に身を任せて、抱き上げてもらう。甘えることは嫌いではないし、何より、甘やかすことが大好きなアキラに対してその対応が正解だということを、ルーイは良く知っていた。
そしてルーイに限り、「甘やかすことが大好き」なのはアキラだけじゃないことも。
「ルーイ、届く? 取りたいものがあったら言うのよ」
「うん」
食卓に着く時、ルーイの隣にはいつもナディアが座る。身体の小さなルーイが不便をしないよう、常にルーイを気にして食べており、少しでも困ってナディアを見上げたら、大体のことは言葉で願うより早く解決してしまう。
そしてもう一人。ルーイが同じく「お姉ちゃん」と呼ぶリコットは、アキラやナディアなどのあからさまな甘やかしはしてこないけれど。
「リコお姉ちゃん」
「うん? どうしたの」
ルーイが呼び掛けた時に、聞き落とすようなことは決して無い。生返事もしない。何をしていても必ず手を止めてルーイを振り返り、優しく微笑む。そして返す言葉も何処か甘ったるい。
おそらくリコットは、普段からナディアやアキラにたっぷり甘やかされている彼女を見た上で、バランスを取って構い過ぎないようにしているだけだ。構い過ぎればルーイが気疲れしてしまうと考え、敢えて視線を向けないこと。それが彼女の愛情であることを、ルーイはちゃんと理解している。
「昨日お姉ちゃんが見てた雑誌、私も見ていい?」
「いいよ、ほら」
取り出してそれを手渡すリコットの方が余程嬉しそうだ。ルーイからのお願いを聞けることが、彼女は嬉しいのだろう。
「私も見たい時は言うから、好きなだけ見てて」
「ありがとう!」
分かっているから、ルーイは適度に彼女達に甘えている。
「……ふう」
「そんな、ひと仕事終えたみたいな……」
リコットから借りた雑誌を持ってルーイが座った時、つい声が漏れてしまったのを聞き取って、ラターシャが笑う。幸い、他の誰にも聞こえていない。リコットとナディアは今、サラとロゼのお世話中だ。
ルーイへの対応がフラットなのはラターシャのみであり、またルーイも、ラターシャに対してだけ、過度な『子供らしい』振る舞いはほとんどしなかった。
「ちょっと声が漏れただけ。そんなんじゃない」
「ふふ」
口を尖らせるルーイに、ラターシャは重ねて笑う。他のみんなと、ラターシャとの対応に、天と地と言うほどの差があるわけではない。それでもルーイがほんの少し違う『子供の顔』で他の三人と接していることを、ラターシャも気付いていた。
それは単に親の前では大の大人も子供になってしまうようなものであり、不自然と言うには及ばない。ラターシャももし母が生きていたなら、母の前では同じだろうと思っている。だから当然ルーイのそれを言い咎める気になど少しもならなかった。
ただ二人にとって、こうして気安く言い合える関係というのも掛け替えが無く、必要なものなのだ。
「これ、ラターシャに似合いそう」
リコットから借りてきた雑誌を見ながら、ルーイが何かを指差した。ラターシャも少し身を乗り出して、雑誌を覗き込む。示されている箇所には、淡いグリーンのシフォンスカートが描かれていた。この雑誌には、写真は使用されていない。全てが手書きのイラストだ。だから着用見本が無く少し分かり辛いけれど、記載されているサイズを見る限り、膝下くらいの長さだろうか。
「うーん……可愛すぎない?」
「そんなことないよー、ラターシャは普段がシンプル過ぎるの」
「えー、そうかなぁ」
エルフは閉じられた世界で生きる為、ファッションに関する考えや認識も他の種族らとはややズレている。
最初の街に入る時にはアキラに「薄着すぎて目立つよ」と、上着などを貸してもらっていたくらいだ。今でこそアキラが好きに着飾る為に街で目立つような装いではなくなっているものの、やはり今までの文化は彼女から抜け切らず、どうしてもラターシャは着飾らないし、着込まない。
それを、少し勿体ないことだとルーイは思う。ラターシャは磨くほどに輝くことは間違いなく、誰もが目を惹くような、美しい容姿をしているのに。むしろ、だからこそ無頓着なのだろうかと、言葉にはせずルーイは首を傾けていた。
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