第268話

 ナディアの腕の中で、ルーイがもぞもぞと動き、ぽそりと呟く。

「ちょっとしか見えなかった」

 咄嗟にルーイを守る為にナディアが覆い被さった為、そのナディアの腕の隙間からほんの少ししか、私の『実演』が見えなかったらしい。もしこの文句を言ったのが私なら「それどころじゃない」と怒られそうだが、ルーイにはむしろ申し訳なさそうに眉を下げた。

「ごめんね、ルーイ。驚いて、つい」

「ううん」

 素直に謝るナディアに、ルーイも何処か可笑しそうだ。愛の差だなぁ。一歩離れたところで、リコットとラターシャは、二人が無事であることにホッとした顔をしていた。全員を怖がらせてしまったようだ。うん、ごめんなさい。改めて反省しています。

 さておき、そのような不安と驚きによって、この『本物』の方の意味にはまだ誰も気付いていない。もう一度、収納空間から同じものを取り出して、みんなに見せ付けるようにして軽く掲げたら。狙った通りに、みんなの視線が集まった。さっきのこともあって、警戒する意味だろうけどね。

「『魔法札』って呼ぼうと思ってるんだけどね、これは私以外の人間にも私の魔法を使わせるものなんだ」

「……え?」

 明言したところでみんなが静止し、私を凝視した。数秒後、目の色が変わる。お、気付いたね。

「解除するのが私達でも炎が出るの?」

「他の魔法も籠められるの?」

 リコットとラターシャが同時に喋ったけど何とか聞き取れた。それぞれに頷いて応える。どちらもイエスです。

「だから君達に、この解除を覚えてほしいんだ。私の魔法を、私が居ない時にも自由に使えるように」

 呆然としながら練習用の札を女の子達が見つめていた。私は彼女らが衝撃を飲み込むのを少し待つ。

「どんな魔法もこれに入るの?」

 ルーイが私を振り返って聞いてくる。無性に愛らしくって膝を上下に揺らした。当然そこに乗るルーイも上下に揺れることになり、「わあ」と笑ってるのも可愛い。

「いい質問だねー、ルーイ。理論上は出来ると思うけど、現実的にはまだ出来ない。この中に入れられるのは、私が『魔法陣化』できているものだけだよ」

 説明しながら、新しい紙切れを収納空間から取り出す。これは練習用でも本物の魔法札でもない、八つ折りの紙です。

「それは?」

 注意深く観察するような目で、ナディアが私の手元を見つめた。もうずっと目が警戒状態だ。私が悪いんだけどね。

「さっき使った炎の魔法札の中身だよ」

「えっ、あ、危なくないの?」

「大丈夫、単体では全く効果が無いよ。『封印解除』を発動条件にしてあるから」

 怯えた声を咄嗟に出したのはリコットだったけれど、無言でナディアがルーイの肩に手を置いていた。さっきみたいなことはもうしませんって。

 そして説明通り、この紙はみんなに渡している封印用の札の中に入れて、『解除されることで』初めて発動する。つまり封印すらされていないこの紙は、まるで発動条件を満たしていないのだ。攻撃魔法をぶつけられても、暴発することは絶対に無い。

 ガロに渡した布製魔法陣みたいなものだね。あれも単体では動かない。作動中の魔法陣の上に乗せることで発動するから、それまでは振っても叩いても安全だ。

 みんなが納得しつつもまだ緊張しているのを横目に、私は紙切れを広げた。直後、リコットが漏らした「うわ」って声にちょっと笑う。

「え~、キモ……」

「やめてよ頑張って作ったんだから!」

 すごく繊細な模様に感心してくれるかと思ったら! リコットはすぐにキモイって言う!

 でも、言いたくなる気持ちも分かる。紙切れは広げて三十センチ四方くらいだけど、細かくて複雑な模様がぎっちり、所狭しと描かれているのだから。

「魔法を『書き解く』作業って、とんでもなく難しいね。シンプルな攻撃魔法でこれだよ」

 眉を下げて、私は首を振る。いや本当に苦労しました。今まで見てきた魔法陣――特に、ウェンカイン王国からの依頼で破壊を余儀なくされたもの達の複雑さを見て、ある程度は予想してたけど、想像以上。

「人間の魔力回路ってもんの複雑さがよく分かる。魔力を練るっていうのは、実際はこういう模様を体内で描いてるってこと。意識はしてないけどね」

 そこまで説明するとようやくリコットを含めたみんなが感心したような声を漏らし、私が描いた魔法陣を見つめていた。ちなみにこの魔法陣の模様だけ知っていれば、誰にでも同じことが出来るかというと、そうでもない。属性付きの魔法陣は、その属性に適性がある魔力が籠められなければ発動は不可能だ。誰にでも作れるのは無属性のものだけ。魔力が足りればだけどね。

「当初の目的はね、特殊魔法を、君らに使わせてあげたかったんだ。特に回復や解毒、結界魔法だね」

 私の守護石がある限り、彼女ら自身には滅多なことは無い。だけどみんながいつか他の、此処に居ない誰かを守りたい時、それじゃ足りない。

 魔法札を作ろうと思った切っ掛けのそんな思いを包み隠さず伝えたら、ナディアがゆっくりと眉を顰めた。

「使わせてあげたかった、って。過去形なのね」

「……出来ないの?」

 ナディアの指摘と、重ねられたルーイの言葉。私は少しだけ返答を迷う。

「出来るよ。……理論上は。でもまだ、出来ていない」

 私が使える魔法なんだから、もっと簡単に紐解いて、みんなに使わせてあげられると思っていた。とんでもなかった。まだ全く紐解けていない。攻撃魔法も、炎のものしか、解けていない。

「でも必ず、魔法陣化させて、みんなにその魔法札をプレゼントするつもりだ。だから特殊魔法については、ごめん、もう少し待っていて」

 みんなは、私の言葉に何て返したらいいか分からない顔をした。私の魔法をみんなにも使わせてあげたいって思ってるのは私の勝手な考えだから、謝られても、待っててって言われても。そりゃ困惑するよね。

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