第264話

 落ち着かない様子で私とリコットに視線を向けたナディアは、彼女にしては珍しいほど弱り果てている。

「アキラ……」

 何処か心細そうにも聞こえる声で私を呼ぶのも愛らしくって仕方が無い。けどまあ、流石にもう可哀相だね。彼女の視線から逃れ、私はリコットを振り返った。

「リコ、酔ったが上手だねぇ。それでベッドは本当に引っ付けるの?」

「え」

 戸惑った声を漏らしたのはやっぱりナディアだ。リコットは私の身体で顔を隠すようにしてぎゅっと抱き付いてきた。

「振りじゃないですー、ちゃんとお酒は回ってたもん」

 不満そうに言ってぐりぐりと額を押し付けてくるのが可愛い。そして、くすぐったい。アハハと思わず声を出して笑ってしまったから、止めてくれない。ワハハ。

「はいはい、それでベッドは?」

「引っ付ける。アキラちゃん挟んで三人で寝る」

「リコが真ん中じゃないのかぁ」

 まあ、いいんだけどね、お誕生日のお姫様の言う通りに従いましょう。二人をテントの端に避難させて、ベッドを一旦、収納空間へと回収。そして二つを密着させる形で出し直す。ベッドの脚は引っ付いている部分をしっかりと固定しておいた。こうしておけば真ん中の私が何かの折に間へと沈んで落ちていくという可哀想なことは起こらないだろう。布団の切れ目にはなるので、どうしても真ん中から少しずれて寝ることにはなるけど。

 さてと。私が真ん中になるなら最初にベッドに上がらなければ。私が上がったら、すぐにリコットも上がってきた。しかしナディアは未だ戸惑い、ちょこんと端っこに座っている。そんなに怖がらなくっても別に襲わないのに。苦笑いしながら、私はベッドに横たわるのではなくて枕を背に足を伸ばして座る。

「リコ、三人で何かお話ししたかったんでしょ?」

 その言葉を聞いたナディアは一瞬止まった後、驚いた様子で私達を振り返る。ようやく、どうしてリコットが三人で『する』みたいな誘い方をしたのかも、色々と察してくれたようだ。

 私達三人だけの『内緒の話』は難しい。今は馬車旅中でいつもみんな一緒だし、偶然でもなければ三人だけで話せる機会ってのは得られなかった。それに子供達は二人共、勘が鋭いのだ。わざわざ三人で別行動を取ろうとしたら不安に思うかもしれない。変に勘繰ってしまうかもしれない。だから今回の件はやや無茶な形ではあったものの、絶対にあの子達が介入できないという意味では、上手だったと思う。

 まあ誤解は何らかの方向で解かないと、あの子達の中で私達は三人で『した』ことになっちゃうんだけどね。

 しかし。お話が中々始まらない。リコットは私の肩に顔を押し付けて、沈黙している。言い難い話なのかもしれないな。よしよし。私の袖をぎゅっと握っている手を撫でた。

 それが助けになってくれたかは分からないけれど、むにゃむにゃと口元を動かしたリコットは、私に半分隠れるような体勢のまま、口を開く。

「ナディ姉には、先に話しておこうと思って……でもまだ、二人には内緒にしてほしくて」

「リコット?」

 言葉半ばでナディアが彼女を呼び、少し私達の方へと移動してきた。近付いてきた気配に思わず縮こまるリコットに向かってナディアが手を伸ばし、その髪を撫でる。

「私があなたを叱るようなことなの? リコット、顔を見せて」

 声が優しい。怒るわけないでしょうって言ってるみたいだ。私には絶対言われないやつ。その優しい声と優しい手に、リコットはゆるゆると顔を上げる。彼女と目が合うとナディアは柔らかく目尻を下げて、その頬を慰めるみたいに撫でた。

 うーん。これ、二人で話してもらってもよいのでは?

 仲の良い姉妹が可愛いやり取りをしているのを、私は間に挟まれながら地蔵のようにじっと見守る。今の私はリコットがちょっと隠れる為のクッションでしかない。

「あのね」

「ええ」

「私、ちょっとだけ、みんなより魔法が使えるみたいで」

 その言葉だけではよく分からなかったらしいナディアが首を傾けた。あ、地蔵、役目ですね。喋ります。

「リコね、多分かなり魔法の素質があるんだ。教えてからぐんぐん魔力量も伸びてる」

「え、そうなの? すごいじゃない」

 一切の含みもなく、ナディアは素直にリコットを褒めた。私は肩口に、まだ隠れんぼ続行中のリコットを振り返る。

「もうレベル2もほとんど使えるんでしょ?」

 見せてはもらっていないものの、そうだろうとほぼ確信して問い掛けた。私の言い方が気に入らなかったのか、リコットはちょっと口を尖らせてむつりとした。可愛い。そして黙ったままでリコットはちらりと棚の方へ視線を向ける。ナディアが釣られてそちらに視線を向けるか向けないかという速さで、棚の上にあった時計はリコットの手に引き寄せられる。ナディアが驚いて何かを言おうと口を開くと、また逆向きの風操作で時計を同じ位置に戻していた。置く時にもほとんど音が鳴ってないから、力加減が物凄く正確だ。

「ハハハ、すっごい。私が思ってるよりも上達してた」

 思わず笑ってしまった。本当にびっくりした。一切の前情報が無かったナディアの驚きは当然その程度ではなくて、何度も目を瞬いて口を押さえている。こんなに驚いている顔を見たのは、組織を壊滅させた時以来かも。

「本当にすごいわ、リコット、……ええと、待って、これを私達に隠していたの?」

 続けられた言葉に、私の肩に隠れているリコットが微かに震えた。ナディアは責めるつもりじゃなくて、隠したがった理由が分からなくて困惑しているだけなのだろうに、まるで叱られると思ったみたいにリコットが縮こまっている。

 今夜のリコットは少し幼いな。やっぱりまだ多少なりと酔っているんだろう。もしかしたらこうして打ち明ける勇気を得る為にも、今日は酔いたかったのかも。肩口に押し当てられている頭を撫でた。私の袖を握るリコットの手の力が、強まった。

「すごくなくていい。私は、みんなと一緒が良かった」

 隠れたままで言うから、私の腕に声が少し吸収されていたが。強く言ったから、ナディアには間違いなく伝わっている。ナディアは一瞬、何かを言いかけ、けれどそのまま口を噤んだ。今の言葉だけで、私よりもリコットとの付き合いが長いナディアには彼女の気持ちが分かったみたいだ。

 短い沈黙を落とした後、ナディアがまた少しリコットの傍へ寄る。依然として私が挟まっているので、地蔵はね、わりと窮屈ですよ。どうでもいいですか、そうですか。

「……ごめんなさい、リコット」

 優しく掛けられた言葉に、リコットは驚いた様子で目を見開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る