第262話

「ま~考えても仕方ないことは、いっか!」

 両手を軽く叩いて、重苦しく緊張していた空気を振り払う。だってさっきナディアも言っていたけど、今日はリコットの誕生日なんだから。深刻な話はこれくらいで充分だ。

「リコの誕生日なのに、私が超貴重なお宝を手に入れちゃったねぇ。城にはこれ内緒にしちゃお~っと!」

 明るく言ったらみんなが苦笑した。でもこれは私達が見付けたものだもんね。伝える義務は全く無いと思う。

 そもそも城が現時点でこれを押さえていないってことは、把握も出来ていないだろうし、黙っていたってバレやしない。救世主がどうしてこんなものを、城にも内緒であんなに厳重に残していたかはまるで分からないが。今すぐに解明すべきとも思えなかった。

「ねえアキラちゃん、それでこの本はどんな話?」

 リコットが文庫本を指差して私を見上げてくる。ラターシャはその横で、広げていた日本のお金や他の小物を片付けてくれていた。ルーイも化粧品を丁寧に巾着袋に入れて、二人が鞄を元の形にしてくれる。お片付け偉いねぇ。撫でようねぇ。私は右手でラターシャを、左手でルーイをもちもち撫でながら答える。

「うーん、恋愛小説ではあるけど、ロマンチックと言うよりは生々しいし、私は悲しい話だと思ったなぁ」

「もう読んだの?」

「いやいや。これ有名な本でね、こっちに来る前に読んだことがあるんだよ」

 笑いながら首を振って、そう答えた。確かに私は普通より読むのは早いけれど、流石にあんな水に囲まれた場所で読むような暴挙はしないし、読み切れるほど時間も無かったよ。

「へー。読んで」

「えっ、私に音読しろってこと!?」

 呑気に笑っていた私だけど、リコットの無茶振りにギョッとした。

「だって私ら読めないじゃん」

「そうだけどさ」

 だからって音読させるか。この子まだ酔っているのでは。眉を下げ、助けを求めるつもりで他三人を見たら、……助けてくれそうな顔は、誰もしていなかった。

「あなたの世界のことだから文字が読めたとしても分からないことが出てくるでしょうし、読み聞かせてくれた方が良いわね」

 尤もらしい理由を付け加えちゃうナディアも含め、みんなが期待の目をしていたのだ。項垂れる。こんなに可愛い視線を向けられて、私が断れた試しは無い。

「分かったよ。とりあえずみんな、新しい飲み物はどうですか?」

 お酒やお茶を片手に、ご清聴して頂きましょうかね。

 淡々と読むだけなので朗読ではなくてあくまでも音読なんだけど。この単純な作業が難しい。何故なら、ナディアの指摘通り、みんなには分からない言葉があまりに多い。

「汽車って?」

「自動車?」

「芸者?」

 次から次へと説明必須の単語が出てくるので、全然進みません。結局、まだ触りの部分しか読んでないってところで、夕飯の時間と相成りました。

「今日は此処までだよ~」

 最初は「どうしてこんなことを」という気持ちがあったが、小さい子供に読み聞かせてるみたいで段々と楽しくなっちゃった。聞いてくれるみんな、きらきらの目で私を見つめているんだもん。しかしこの本、実はあまり子供に読み聞かせる話でもない。年齢指定は無いものの、爛れた大人の関係が見え隠れする。けど今のところ「おや?」という顔をする程度で誰も突っ込まないので、今後も続けましょう。

 さておき、私は夕飯準備に取り掛からなければならない。みんなはその間を好きに過ごしてもらうことにして、いそいそとかまどに向かう。

 今夜のメインは私の料理の中でも特にリコットが気に入ってくれているビーフシチュー。

 既に調理済みで今は寝かせているだけだから、これはすぐに出せる。そのお供としてパンとライスを両方出して、好きな方をみんなが選べるように。後はビュッフェテーブルに追加の副菜として、サラダを二種類と、揚げ物を四種類。当然この中で、最も時間が掛かるのが揚げ物だ。

 ある程度の下準備は整っているので、油を温めて揚げるのみではあるけれど。みんなが待ち草臥れてしまわないよう、可能な限り手早く仕上げていく。

 そうして揚げ物が仕上がる少し前に、ビーフシチューにも火を入れて温め開始。鍋からくつくつと小さく音を立て始めた頃。不意にナディアがリコットに何かを囁いたら、リコットは座ったままで器用にぴょんと跳ねた。

「ビーフシチュー!?」

「ふふ、正解。ナディ、教えるのが少し早いんじゃないかな?」

 猫系獣人の鼻ならちょっと煮立つだけでも匂いで分かっていただろうし、そもそもナディアは今日の献立を全て知っていた。ネタばらしをしちゃうなんて酷いじゃないですか。温め直しの瞬間まで、ずっと消臭魔法で慎重に隠していたんですよ私は。眉を下げて訴えるけれど、ナディアはつんと澄ました顔をしていた。

「私が喜ばせたような錯覚を得たくて」

 あまりにもナディアが満足そうに言うから、また私は声を上げて笑った。リコットの喜ぶ顔を間近に見れただけでそんなに嬉しいなら、それはもう、しょうがないよね。

「わー、本当だ、いい匂い!」

 大喜びのリコットが近くまで駆け寄って来ちゃう。ちょっとお酒も入ってるので危なっかしいな。火元に近付き過ぎないようと、さり気なく間に立つ。

「そろそろ出来上がるから、楽しみに待ってて。みんなも、テーブルを空けておいてね」

「はーい」

 私の言葉に忙しなくリコットもテーブルに戻るけれど、主役だから座ってなさいとナディアに言われ、カクテルだけを手に大人しく座ってそわそわしている。可愛いな。

 温まったビーフシチューを運ぼうとした時も待ち切れない様子で立ったり座ったりしてみんなに宥められていたし、やっぱりまだ結構リコットは酔ってるね。さっきの騒動で一時的に冷静になっていただけだろう。追加で飲ませたお酒も相まって、すぐに元の酔っぱらい状態に近付いたようだ。

「はい召し上がれ~。この後ケーキだからね、余裕は残すんだよ~」

 私の言葉の途中で早速食べ始めちゃったリコットに、みんなが頬を緩める。この調子で本当に胃に余裕が残せるかな。まあ食休みを挟んでもいいけどね、まだ十九時だからね。

「ケーキはどれくらい?」

 ナディアが冷静に事前確認をしてくれる。私はジェスチャーを交えながら、大きさを伝えた。

「少食なみんなの為に、これくらいの、一口か二口で食べられるミニケーキだよ、三つあるけどね」

「私達は少食ではないけれど……ありがとう」

 そうだね、私が大食漢なだけですね。何にせよ小さめでも楽しめるような工夫をしてあります。

 しかし、ビーフシチューは明日も食べられるからそこそこに。と言い含めたのに、全員がお代わりをしてくれた。女の子達が自分の料理を気に入ってくれるのは、やっぱり嬉しいよね。

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