第260話

 私が飛んで戻ると女の子達はようやく少し後退して、水際を離れる。

「ただいま~」

 呑気に笑いながら着地したら、女の子達は一斉に力を抜いて息を吐いた。ロープも手放してくれる。

「河に落ちた時はびっくりしたよ~、大丈夫だったの?」

「いやぁ、死ぬかと思った!」

 ダハハと豪快に笑いながらロープを腰から解くと、「笑い事じゃないわ」って疲れた様子でナディアが言った。

「ああ、そうだ。みんな、手を見せて。もう、ロープは触らなくて良いって言ったでしょ?」

 心配を掛けた癖に注意するような口調の私に、みんなはちょっと思うところがあるような不満な顔を見せた。だけど自分達が言い付けを守らなかったという認識もあるらしく、大人しく手の平を見せてくれる。誰も怪我は無かったが、ちょっとだけ赤かったのでやっぱり回復魔法は掛けておいた。

「それで遺物は見れたの?」

 赤みの消えた手の平を不思議そうに眺めた後、ナディアが改めて聞いてくる。私は頷いたけど、ちょっとだけ河の方へ目を向けてみんなから視線を逸らした。

 そして水へと引き摺り込まれてしまった理由や遺物の詳細、中から出てきた救世主の至宝について簡単に説明する。

「これが魔道具。それからこれが、至宝だってさ」

 魔道具は大きくて怖いかもしれないのでちょっと離れた場所に出し、至宝が入った石はテーブルの上に布を敷いてから、その上に乗っけた。女の子達じゃ蓋になっている上部分も動かせないだろうから、それだけ私の収納空間に戻す。

「元の世界から持ち込んだ荷物みたい」

 興味津々に覗き込んでくる女の子達にそう説明しながら、私は鞄を収納空間から引っ張り出した。

「……それ、アキラちゃんの持ってきた鞄?」

「そう。ちょっと金具とかの感じが似てるでしょ。こっちの世界じゃあんまり見ない」

 私の手の中でくるりと回して見せて、すぐにまた収納空間へと突っ込んだ。みんなは視線で追うだけで、もっと詳しく見せてほしいとは誰も言わなかった。

「じゃ、その『至宝』と『遺物』、好きに見てて。私はお風呂に入ってくるよ。びしょ濡れだし」

 このままじゃ風邪を引いてしまうよ。多分。風邪とか引いたことほとんど無いけど。

 そう言って私が一歩離れたら、女の子達は驚いた顔をしていた。おそらく、私がお風呂に入ることに対しての驚きではない。

「見てもいいの?」

 私は笑って頷く。いや、その許可を出せるのは本当なら持ち主なんだろうけど、みんなが敢えてそう私に問うのは、そういう意味ではないんだろう。私が頷いたのも、そういう意味じゃないから。

「もう大体、私は見たからさ」

 だから、今、一緒に見たくない。

 言わなかったその言葉を、きっと賢い女の子達は汲み取ってくれたんだと思う。それ以上、私を引き止めようとはしなかった。そのまま彼女達から離れ、テント傍に木風呂や諸々を出し、お風呂場を作った。

 のんびりと入浴した後は、一度テントの中へと入って髪を整えたり乾かしたり。それが済んだらもう戻れるんだけど。すぐにテントから出ないで、私はベッドに腰掛けて少しの間ぼーっとして過ごす。数分後、ナディアがテントまで様子を見に来てくれた。

 私は彼女に笑みを向け、まるで今ちょうど髪を整え終えたかのように、手に持っていた鏡と櫛を棚に避ける。それを横目にしながら、ナディアは私の前に立ち、私の両頬に手を添えた。

「ん~なに、ナディ」

 手の温もりが嬉しくてすり寄り、手の平に口付けていたら、逆側の手で耳を引っ張られました。違いましたか……。

「私じゃ、微熱くらいだと分からないわ。反動は?」

「ああ、大丈夫、出てないよ」

 これは本当。あの魔道具に籠められた魔力は確かに大きかったけれど、魔法石生成の一個半くらい。この倍くらいを一息で出すとなると反動が出るかもしれないが、これくらいならもう大丈夫。

「なら、……戻れる?」

 気遣わしげな声。金色の瞳が私を見つめてくる。優しい手が頬を撫でてくれた。

「勿論だよ、すぐに戻――」

 戻ろうって、言おうとしたのに。ナディアに引き寄せられて思わず口を閉ざす。あの。座っている状態でナディアに抱き寄せられると、頭が彼女の豊満な胸の下に入りますが。後頭部が柔らけぇ。良いんですかこれは。良いですね私は。思考がピンク色に染まっていく中で、「アキラ」と何処か深刻そうな声が落ちてくる。あれ。真面目な話をするの? この幸せな位置で?

「本当なら、このまま気が済むまで一人で休んでいてほしいのよ」

 静かな声は、ナディアが私に向けるにしては珍しくも、申し訳なさそうな色を含む。

「だけど今日は……リコットの誕生日なの、だから」

 深く抱き込んでくれると、後頭部が更に柔らかいんですが。ナディアにそのつもりが無いのは分かるので、これは一旦、置いておこう。

「今日一日だけで良いから、お願い、いつものあなたで居て。私になら、後でどれだけ当たってくれても構わないわ」

「ふ」

 あーもう、堪らなく愛おしい。この子は本当にあの子達が大切で、いつでも優しくて甘い。

「私がナディに当たるわけないでしょ」

 片腕を腰に回して、とんとんと軽く叩く。私が求めたことを察して、ナディアが腕を緩めた。後頭部で柔らかいそれを押し上げないように慎重に頭を抜いて、顔を上げる。

「大丈夫だよ、一緒に戻ろう」

 私がいつも通りに笑ったら、少しだけナディアはほっとした様子で目尻を下げた。

「アキラちゃん、大丈夫?」

 テントを出たらすぐにリコットが駆け寄ってきて、私の顔をぺたぺた触る。検温かな。可愛い女の子に手を伸ばされると無条件に嬉しいのでニコニコしてしまう。

「うん。さっき水に引き摺り込まれたのが結構びっくりしたからか、少し疲れが出ちゃったみたい。でもちょっと座ってたら楽になったよ、もう平気」

 そう伝えてもみんなは心配そうに私を見つめている。言葉を重ねても多分あんまり安心してくれないだろうな。一旦その辺は諦めて、視線をテーブルに落とした。

「中、見た? 何か面白いものあった?」

「面白いものって、言うか……」

 みんなの表情が曇る。テーブルの上には、私が見付けた写真とか、口紅も置いてあった。口紅は多分、元の世界から持ち込んだものだろうけど、こっちの世界にも似たような形状で口紅はあるし、まあ、大体分かっちゃったかな。

「この人は、アキラちゃんと同じ世界から来たんだよね?」

「うん、そうだと思う」

 改めて、写真へと手を伸ばす。私の時代の写真よりも解像度が低くて細かな表情まではよく分からない。だけど何処か緊張した顔の少年も、ぎこちなく身体を寄せ合う男女も、そこには確かな感情や温度が感じられて。『物語の先』のことと思うには、私にとって、身近すぎるものだ。

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