第246話

 優しく微笑んでくれているラターシャを見つめ返すと、どうしてか彼女は、ふふっと、くすぐったい声で笑った。

「アキラちゃんも泣いたりするんだね」

「えぇ、どういう意味……」

 涙を零してはいなかったが、目に涙が溜まっていた。ぐすっと鼻をすすったら余計に笑われる。血も涙もない人間と思われていたってことだろうか。やや心外だ――とも思うが、散々暴れ回った後なので何も言うまい。

「それと、私の里のエルフ達のことだけど」

「うぁい」

 ハンカチで鼻を拭いてたので変な声が出てしまった。改めて「はい」って言い直したのに、結局、笑われてしまいました。

 さておき。そういえばラターシャの里が謝罪したいって言ってたのに、ムカついて私が勝手に断ったんだよな。怒っているだろうかと眉を下げれば、またラターシャが小さく笑った。

「私ももう謝罪は要らないから、あれはいいよ」

 思考がバレている。いや、そう言ってもらえてホッとする気持ちもあるものの。私、そんなに顔に出ているでしょうか。まあいいか。

「だけどもう、アキラちゃんもあんまり気にしないで?」

 続けられたのは、何処か、宥めるみたいな声だった。

「悲しい思い出は沢山あるけど、お母さんのことは大好きだったし、お母さんと過ごした日々を幸福だったって言いたい。あの里の暮らしを否定したら、全部、不幸だったことになっちゃう気がして」

 この言葉を聞いてようやく、私みたいな悪党にも彼女の『優しい選択』が理解できる気がした。

 ラターシャの中に憎む気持ちが全く無いわけじゃなくて。お母さんを愛しているからこそ、お母さんと過ごした里もお母さんの同族も、この子は憎みたくなかったんだ。

 死にそうな目に遭ってもそれが選べるラターシャを、本当にすごいって思う。生来の優しさもあるだろう。だけど私は、お母さんがそれだけラターシャを愛してあげたんだろうなって思った。他のエルフが彼女をどう思っても関係ないくらい、沢山の愛情で包んでいたんだ。……きっと素敵な人だったことだろう。お会いしてみたかったし、身勝手に抱いたこの感謝を伝えられたらいいのにと思う。

「それにアキラちゃんがあんまり私のせいで怒ってると、申し訳なくなっちゃうよ」

「……そっか」

 腹が立っているのはあくまでも私の感情であり、ラターシャのものじゃない。毎回私がそうして怒りを振りかざしていたら、彼女は心苦しく思ってしまうらしい。この子の保護者を名乗るのなら、ラターシャのお母さんほど立派になれなくても、せめて気持ちには応えなければ。私はゆっくりと頷いた。

「許すことはきっと出来ないけど、そうだね、重要なのはこの先、ラターシャが幸せでいることだ。過去のことに拘り過ぎないようにするよ」

「うん、ありがとう」

 お礼を言われるのは少し、変な気もするけどね。

「アキラちゃん」

 名前を呼ばれて、顔を上げようとしたら。ラターシャはまた私の手を取って、それから、私と額を合わせてきた。瞬きをする度に彼女の長い睫毛が揺れて、見蕩れてしまいそうになるほどに綺麗だった。

「ずっと傍に居てね、、アキラちゃんで居てね」

「……勿論だよ」

 何処か照れ臭そうに笑うラターシャが愛らしくて、私も微笑みを返す。

 この子は絶対に幸せにならなくちゃいけないし、幸せにしなくちゃいけない。

 自分勝手に振舞うことしかほぼ頭に無かった私だけど、心を改めます。愛らしい女の子達の為に。……多分。ちょっと。少しくらいは。出来る範囲で。

 その後、私達は仲良く一つのベッドで手を繋いで眠る――ということも全く無く。いつも通り別々のベッドに入って、おやすみを言い合って眠った。

 そうして迎えた翌朝。みんなより少し先に起きて朝食の準備をしていれば、朝の支度を終えた順に女の子達が起きてくる。最近はサラとロゼのお世話を誰かがやってくれるので、朝食の準備に集中できて気楽だ。今日はラターシャとルーイがやってくれるらしい。その為に二人が私達から少し離れると、ナディアが私の傍にスッと素早く寄って来た。あらまあ何かしら愛らしい。近付かれるだけで嬉しい私とは対照的に、ナディアの表情は険しく、声は低かった。

「手を出していないでしょうね」

「えぇ~出さないよ~」

 私が昨夜ラターシャに性的な意味で手を出したかもしれないと疑っていたらしい。何故だ。今までに何度も二人用テントでラターシャと二人きりで夜を過ごしているが、疑ったことなんか一度も無かったのに。

「ならいいけれど……」

 納得したのかどうか分からないが、来た時と同じ速さでまたスッと離れて行く。もう行っちゃうの。もうちょっと隣に居てくれても良いじゃない。折角来たならゆっくりして行きなよ。どれを口にしても冷たい視線が返りそうなので飲み込んだ。

 完全に私へと背を向けてしまったナディアを視線で追っていると、リコットが笑いながら「二人の雰囲気ちょっと変わったよ」と言う。あー。そういうことですか。

 うーん。まあ、私もほんの少し心を入れ替えた……もとい、入れ替えようと決めたり、お互い話しながら泣きそうになったりもしたので、多少の変化はあるかもしれない。あと、やや照れ臭さもある。それが滲み出ていたら、確かに、疑惑を抱くナディアの気持ちも全く分からないとは言えないな。

 でもまあ疑惑でしかなく事実ではないので、気にしないでおこう。

「はい、どうぞ。本日のミックスサンドでーす」

「わーい。アキラちゃんが作った朝食を食べられるの幸せ~」

 全員がテーブルに着く頃に出来上がったお皿を運べば、リコットが歌うように機嫌良く応えた。その言葉が嬉しくて反射的ににっこりしたんだけど、もしかしてスラン村の滞在中に少しサボったことを突いているのか? 昨日も朝食は半分みんなが作ってくれたもんね……ごめんなさい。

 朝なのでサンドイッチとスープだけですが、サンドイッチは具だくさんの三種類。全員分を一つの大きなお皿に乗っけて、好きなやつを好きなだけ食べるシステムだ。最終的にはこの半分が私の胃に収納されるんだけどね。

 そしてこのシステム、食べるものが偏りそうなものだけど、意外と満遍なく食べてくれます。どうやら私が作るサンドイッチに毎回興味があるみたいで、全種類、最低一つは食べておきたいという気持ちからそうなっているらしい。可愛いね。嬉しいね。

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