第245話_レッドオラム南平原

 その日の夜。就寝時間を迎えると、みんなは順にテントへと入っていく。

 周囲の確認と片付けを済ませて最後に私がテントへと下がったら、先に入って寝支度を整えていたラターシャが少し緊張した顔を見せた。

「こんなに改まって話をするの、初めてだっけ」

「……そうかも」

 私の言葉に、緊張が顔に出ているって自覚したラターシャが照れ臭そうに笑う。

 きちんと話をするなら、向かい合った方が良いだろう。ベッドに腰掛けている彼女の正面に椅子を出して座る。目が合うとやっぱり妙な気恥ずかしさと緊張が漂った。私も、こんな風に改まって話をするのは得意ではないんだ。

「散々みんなに怒られて、それを復唱するだけみたいで、情けないんだけどさ」

 私がラターシャに謝らなければならない内容は、もうほとんどケイトラントとナディアに叱られてしまっている。自分で気付いて真っ先に謝罪できなかったことは、情けないという言葉以外で言い表せない。それでも、きちんと直接ラターシャに、私の口で、私の言葉で、謝らなければならない。

「エルフの里に、ラタを連れて行くべきじゃなかった。あんなに残酷なことを見せたかったわけじゃない。私はラタに、取り返しの付かない傷を付けたと思ってる」

 自分の行いが残酷なものだということは、最初から理解していた。

 どうあっても人殺しは犯罪だ。ウェンカイン王国の法を知らなくても、それくらいは分かる。組織の人間を殺した私を王様達は罰していないけれど、アーモスはそのことを理由に私を罪人にしたがった。ということは、人殺しを罪とする真っ当な法がこの国にもちゃんとあるのだ。

 例えそうでなくとも。

 人殺しに「罪が無い」と本気で言い張れるほど、私も狂ってはいない。

 罪だと知っている。立ち位置を変えれば私は間違いなく悪だ。少なくとも、カルリトスの母から見れば私は、愛する息子を殺した悪魔でしかない。分かっていて、殺した。

 ナディア達が属していた麻薬組織の人間もそうだ。彼らにも守るべき家族があったかもしれない。情状酌量の余地がある者も居たかもしれない。だけどナディア達を傷付けた過去が許せなかったし、ナディア達の未来にとって都合が悪いと思ったから、殺した。

 私は善人ではないし、善人にはなれない。それでも。優しくて無垢なラターシャに、残酷な場面を見せ付けたいなんて少しも思っていなかった。

「二度と君の前で『殺し』はしないって、言いたいけど、……正直、難しいとも、思う」

 私の生きていた日本と違ってこの世界はかなり過酷だ。外を旅すれば魔物だけでなく盗賊の危険もある。街中でも、武器の携帯が違法じゃないって時点で日本じゃ考えられないくらい治安が悪い。

 危険な目に遭ったとしても相手を殺さないようにある程度の加減は出来るだろう。だけどどうしようもない場面に出くわさない保証が無い。私自身と女の子達を守る為に必要なら、再び彼女らの目の前で人を殺すことは、あると思う。

「でも今回は避けようのないケースじゃなかった。本当に、私が考えなしだった。すごく怖かったと思う。……私のことも」

 人が殺される瞬間を見たってだけじゃなく、それを齎したのが『私』だってこと。ラターシャが存分に甘えられるような保護者になろうって思って傍に居たのに。私のしたことは、ラターシャに拠り所を失くさせるような、最低な行為だった。

「何を言っても怖かったのは無くならないって分かってるけど、……これしか出来ない。ごめん」

 それだけ言うと私はラターシャに向かって深く頭を下げた。

 これすらも、正直、卑怯なことだと思う。ラターシャは優しいから、今朝も怒っていないって言っていた。私がこうして謝ればきっと許すと言うだろう。だけど今回の件はそんな風に流していいような経験じゃなかったはずだ。目の前で同族が、しかも自分よりも幼い子とその母が焼き落とされる光景を見せられるなんて。唇を噛み締め、どう償えば良いかを熟考していたら、ふっと小さな息が漏れる音が聞こえた。

「アキラちゃんって面白いね」

「へ?」

 さっきの音が、ラターシャが笑った音だって気付いたのは思わず顔を上げてから。彼女は言葉通り、可笑しそうに目尻を下げて私を見つめていた。

「アキラちゃんと一緒に行くのは『教育に悪い』って、最初から言ってたのに」

「いやいやいや! そうだけどそういう意味じゃなかったよ!?」

 確かに私は悪党でこの国の味方ではないし善行はしないし、女の子が大好きで連日連夜、遊び歩くけど。だからって盗みや詐欺をするような犯罪者として育成したいわけじゃないし、まして人を傷付けたり殺したりすることを教えたいとは微塵も思わない。そのようなことを一生懸命に説明する間、ラターシャが、どんどん笑いを深めて行く。

「もしかして、揶揄からかっていらっしゃる……」

「ふふ、ちょっとだけ」

 これも教育の結果ですか? 口を一文字にして沈黙すると、またラターシャが、堪らない様子で笑った。

「あのね、アキラちゃん」

「うん」

 お陰で空気がやや緩んだけれど。少し改まった様子で彼女が私の名前を呼んだから、聞く体勢を取るべく、半端に浮かせていた両手を膝の上へと落ち着けた。

「確かに目の前で人が傷付いて、死んじゃうのは怖かった。それは被害者がエルフだからじゃなくて、単純に」

 私は少し視線を落としながら一つ頷く。当然のことだと思った。けれどその後に続けられた言葉は、私にとってはまるで予想外のものだった。

「でも私が一番怖かったのは、……どんなに呼んでも、アキラちゃんが振り返ってくれなかったことだよ」

 驚いて視線を上げたら、ラターシャが俯いていて、目は合わない。もう彼女の口元からは笑みが消えていた。

「私のことも、分からなくなっちゃったみたいに」

 あの時のことを思い出したのか、ラターシャは声を震わせ、目に涙を浮かべてしまう。瞬間、思わず彼女の両手を取った。「ごめん」と呟いた声は、みっともなく掠れていた。

「お願いだから、どんなに怒ってても、感情的になっても。私のこと……私達のこと、忘れないでよ」

「忘れたりしない」

 私はあの時、ラターシャを半ば置き去りにするようにして歩いた。何度も名前を呼んでくれたのに、ほとんど応じなかった。ずっと傍に居るって約束したのに。そんな態度を取られたら誰だって辛くて、怖くて、悲しくなるに決まってる。小さな手を傷付けないように、だけどしっかりと力を込めて握り締める。

「……忘れたりしない。もう無視もしない。ちゃんとみんなの言葉を聞く。本当にごめん」

 声が震えていた。謝るべきも改めるべきも、私は最初から間違えていたんだ。今の言葉を自分の中に刻み込むように噛み締めたら、ラターシャが緊張を解くような優しい声で「うん」と言った。

「もういいよ、それだけ約束してくれるなら」

 本当はきっとこの子の方が、私なんかよりもずっと大人なんだろう。

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