第240話

 テントに戻った私はナディアをベッドに促すと、まだ残っていたハーブティーを傾ける。割とすぐにナディアが迎えに来ちゃったのであんまり飲んでいなかったのだ。そう思うと、遅いから来たわけじゃなく、私がテントから離れたから来ちゃったんだな。折角眠っていたのに申し訳ない。しかもナディアは今もベッドに腰掛けたままで揺れている。全然、横になろうとしない。明らかに再び私が抜け出すことを警戒されている。早く飲み、早く寝ましょう……。

 急いで飲み終えたカップを棚に避けて、私の方が先にベッドに横になる。すると徐にナディアがベッドに寄ってきた。

「うん?」

「もう少し端に寄って」

「え、あ、うん。一緒に寝るの?」

 問い掛けるがナディアは質問に無視を決め込み、無言でベッドへと潜り込んでくる。そういうとこも猫っぽくて可愛いなぁ。

「腕」

「はい」

 一声で腕枕を要求されました。逆らいません。素早くナディアの方へ腕を伸ばせば、上に乗せられる頭の重み。うーん、愛しい。座りの良い場所を探して身体を落ち着けたナディアが、満足そうに小さく息を吐く。しかしこれはただの拘束ですね。私はナディアを起こさずにこの腕を抜く方法を知らない。服の裾までも緩く掴まれている。二重の拘束で厳戒態勢だ。全く信頼が無いね。

「おやすみ、ナディ」

 眠る意志を示すようにそう言ったら、返ったのは溜息でした。ごめんなさい。本当にもう寝ましょうね。寝かし付けるつもりで肩を少し撫でたものの、私が眠ることがナディアの一番の安眠に繋がると気付いたので目を閉じる。温かいナディアの気配で、私は思いのほかすぐに眠り落ちた。

 それでも朝になって先に目覚めたのはやっぱり私だった。ナディアは疲れていたし、私は夜の時点でもうすっかり回復していたからね。

 しかしこの子の寝顔、綺麗だなぁ。可愛いなぁ。指先でちょんと柔らかな頬を突くと、くすぐったかったのか、ナディアが私の手を取る。おお、手を繋いで寝ちゃうのかな? と思ったらそのまま身体の下に引き入れられてしまった。あれ。待って。右腕が腕枕で取られているのでこれで両手が取られました。しかも左手、胸の下に入れられてしまったので手の甲が柔らかいです。

「ナディ、そんなに誘惑されたら、触っちゃうよ」

 囁き掛けてみるが、ナディアは珍しくぐっすりだ。途轍もなく愛らしい。これを起こしたら多分、死罪ですね。私は湧き上がる欲を抑え、可愛いナディアの安眠を妨害しないようにと大人しく過ごした。

 その後、彼女が自然と目を覚ましたのはいつもの起床時間。ぼんやりと瞬きを繰り返した後、眉を寄せたナディアは、自らの胸の下に入り込む私の手へと視線を落とす。

「私が突っ込んだわけじゃないよ……」

 恐る恐る告げてみる。信じてもらえないかもしれない、と思ったが、更に顔を顰めたナディアに、怒りの気配は無かった。

「分かってるわ。ごめんなさい」

「いや、全然」

 どうやら引き込んだ一連の流れを覚えているようだ。すぐに身体を浮かせてくれた。正直に言うと名残り惜しいんだけど、「もうちょっと」って言ったら殴られそうなので手を引っ込めた。

「アキラ、具合は?」

「もう大丈夫だよ。朝ごはん食べたら、またみんなで平原に戻ろう」

 少し間を空けてから、ナディアは静かに「そう」と言った。信用されているのかは微妙なところだ。とりあえず起きましょう。テントの外では三人ももう起きて活動している気配がするのでね、あまりに遅いと心配させそうだ。朝は少しのんびり屋さんになっちゃうナディアより先に身支度を整えてテントから出る。三人には、さっきのナディアと同じ質問をされました。みんな優しいね。本当にもう大丈夫だよ。

 既にちょっと進めてくれていた朝食準備を代わり、全員分の朝食を作った。そしてナディアも揃い、全員でテーブルを囲んだところで。私は少しだけ椅子を下げて、テーブルまでの距離を空ける。両手は膝に付き、座ったままで頭を下げた。

「昨日は本当にごめんなさい」

 唐突な話題に、みんながちょっと静止している。最初に口を開いたのはナディアだった。

「具体的に、何に対して?」

 厳しい人だ。でも問われるべきことだと思った。頭を上げないで私は答える。

「みんなを怖がらせました。無視しました。沢山、心配を掛けました」

 再び沈黙が落ちる。みんながどんな顔をして聞いているのかも気になるが、私は頭を下げ続ける。

「いやー、怒ってるわけじゃないんだけどさ~」

「私は怒っているけれど」

「まあまあまあ。ナディ姉」

 リコットの声に反応してつい頭を上げそうになったけどナディアの低い声が続いたので、慌てて留まった。それを見たからか、リコットはナディアを宥めるみたいに言う。でも怒られて当然のことをしたのだから、怒っているナディアは少しも悪くない。また少し黙った後、リコットは続けた。

「私が聞きたいのは一個だけだよ。アキラちゃん、どうして昨日はあんなに塞ぎ込んじゃったの」

 塞ぎ込んだ、という表現にすら彼女の柔らかさが宿っている。

 正直、あの態度について説明を求められるとはあまり思っていなくて、少し言葉に迷って小さく唸った。

「許したくなかったんだ」

 あの時のことを思い出そうとしたら声がやや感情的になってしまって、飲み込む為にひと呼吸を置いた。

「ラタが許すって言ってもこの子を傷付けたエルフを私は憎んでいたいし、この村のみんながもういいって言っても、彼女らをおびやかしたエルフ族は何かの形で償わせたかった」

 生まれてきただけだったラターシャも、この山でひっそりと生きていたスラン村の人々も、エルフ達から悪意を向けられる理由なんて一つも無かった。だから、誰に何と言われても私は許したくなかった。

「その感情を、少しでも和らげられてしまうのが、嫌だったんだ」

 優しいみんなに宥められたからって怒りが消えたりはしなかっただろうけど、ほんの少しの棘も、抜かれてしまいたくなかった。怒っていたかった。

 でもそれも結局は私の都合でしかなく、私の感情でしかない。

「それこそみんなだって、そんなことで私から負担を掛けられる謂れなんて無い。理由があったって、許してくれとは言えないよ」

 だから私はみんなに謝らなきゃいけないし、求められる形で償いをしなきゃいけないと思ってる。

 説明を終えて私が口を閉ざしたら、再び重い沈黙が落ちた。徐々にスラン村の人達も目覚めて活動を始めているようだが、私達の傍へはやってこない。村の奥の方にある畑などに向かっている気配は感じていた。

 柔らかな風が吹き、近くの木々がざわめいて。その音が一旦落ち着いたところで、リコットが小さく「うん」と言った。

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