第239話_夜更け
いつの間に眠りに就いたかは知らないが。次に起きたら、隣のベッドにナディアが眠っていた。
今は何時だろう。私がベッドに入ったのは、確か十六時を少し過ぎた頃。寝付くまではもう少し掛かって、ぐるぐる考えていた気がする。それがどれくらいの時間だったかはさっぱり分からない。何にせよ、外はもうすっかりと暗くなっているようだ。
ナディアも寝ているのなら夕食も就寝時間も過ぎてしまったのだろうか。いや、でも彼女は昨夜、村の外で座り込む私を心配して、夜中も起きてくれていたみたいだし、寝不足だからみんなより先に寝ているのかも。ああ、それも謝らなきゃいけないな。
天井を見上げながら、何度か瞬きを繰り返す。緑の秘宝から与えられた記憶や知識による影響はもう無くなっていた。視界がぶれることも無い。しかしそれでもアウトプット出来るほど消化できるのはもう少し先だろう。とりあえず最優先で必要な知識は、スラン村で利用できる魔道具の設計と開発か。
順に書き出していった方が頭の中が整理されるかもしれないな。目が覚めたのだから、ちょっと起きて作業でもしようか。そんなことを考えてゆっくり身体を起こしたら、微かな布擦れの音に反応したみたいにナディアが身じろいだ。流石は音に敏感な猫系獣人さん。消音しなきゃ――と魔法を発動しようとしたのだけど。
「お腹でも、空いたの」
もう起きていらした。あんなちょっとの動きで起きちゃうとは驚きだ。声はまだ眠そうだけど、意識ははっきりとしているようだ。
「起こしてごめん。いや、ちょっと書き物でもしようかと」
今更、静かにしても意味は無いのに、私は慎重に音を立てずに動いてベッドから足を下ろし、靴を履く。私の言葉を聞いたナディアは溜息みたいに長い息を吐いて、またちょっと寝返りを打った。
「急ぎじゃないんでしょう。朝まで寝ていて。相手をするのが面倒だから」
「えぇ、そんな……」
「私は眠いのよ」
「ですよね、ごめんなさい」
それにしても冷たい言いようである。いや全く文句を言える立場ではない。
身体を起こしたことで棚の上に置いてある時計が見えた。今は午前三時の少し前。思っていたよりしっかりと深夜帯だ。朝の方が余程近い。明るい照明魔法があれば書き物は出来るだろうけれど、周りへの影響を考えると向かない時間ではある。止めておいた方が良さそうだ。
「分かった。でも喉が渇いたから、ちょっと何か飲んでくる。すぐ戻るよ」
結局立ち上がってしまう私に、目蓋の隙間から覗く金色が睨んできた気がするけれど。小さな息を落としてそのまま目を閉じたので、許してくれたのだと思う。私は寝巻の上にカーディガンだけ羽織ってテントの外へ出た。
最初はテント前に出してあるテーブルで優雅に深夜のハーブティータイムをするつもりだったが。門の方で仄かに灯る明かりを見て、気が変わった。マグカップにハーブティーを淹れると、それを片手にのんびりと歩き、少し暗い明かりの傍で門番をしているケイトラントの元へと向かう。のそのそ歩いてくる私に、ケイトラントはわざわざ向き直ってくれた。
「随分と早起きだな」
「早寝したからね~」
ケイトラントもハーブティーを飲むかって聞いたんだけど。眠くなるからいいって言われちゃった。毒が利かない竜人族はカフェインの効きも悪いらしく、門番の時間はコーヒーでも何でも、温かい飲み物を避けているらしい。冷たいものなら足元に三つ水筒が置いてあった。昨日私にも投げてくれた革製の。
「毎日の門番、つらくない?」
「体力には自信がある。全く問題ない。それに結界を張ってもらったことで昼が安心して眠れる。随分と気が楽だ」
「そりゃ良かった」
結界があるから、もう何か危険なものが村に入り込んでくることは無い。ただ害意が無ければ迷い人は入れてしまうし、そもそも相手に関わらず見付かること自体を避けたいスラン村だから、見張りだけは続けているようだ。夜にはケイトラントが、昼には住民らの誰かが。
でも結界が出来てからは『ケイトラントでなければならない』ほどの危険が無いので、当番を終えた後の彼女は安心して眠れているとのこと。むしろそれまでの日々が可哀想なんだけど……よく頑張ってたねぇ。
話を聞いてしみじみと頷いていたが、わざわざ門番中のケイトラントの傍に来たのはこんな雑談の為ではない。やや忘れそうになっていたことを誤魔化して、小さく咳払いをした。
「今回はごめんね、むしろ騒がしちゃって」
改まってそう言うと、ケイトラントは少し意外そうな顔をした。エルフらに謝った時にラターシャが私を見つめた顔に似ている。私ってそんなに謝りそうにないかな。日頃の行いが悪いので、やはりこれも文句を言える立場ではない。短い沈黙の後、ケイトラントは首を横に振った。
「確かに多少、気を揉む態度はあったが」
「ごめんなさい……」
思わず肩を縮めたら、ケイトラントが喉の奥でくつりと笑う。
「この村を存続する為に、必要なことをしてもらった。村としてはそれだけだ。謝るなら、ずっとお前を心配していたあの女性らにすべきだな」
「御尤もです」
みんなには本当、誠心誠意で謝らなければ。許してくれるかどうか正直、怪しい。幾らか殴られる覚悟も必要だ。
「――ほら」
不意にケイトラントが、そう言って私の背後に視線を向けた。振り返れば、ナディアがテント出てこっちに歩いて来る。
「げ」
「また謝らなきゃいけないんじゃないか?」
「うぅ……」
あんなに眠そうにしていたのに、私が戻らないから気を揉んで出てきてしまったらしい。もしくはテントから離れたのが察知されてしまったか。ケイトラントは随分と可笑しそうにしているが、全く笑い事ではない。
「ナディ、どうしたの。すぐ戻るよ?」
傍にやってきたナディアに殊更優しい声で囁いたものの、ナディアは何も答えない。眉を寄せ、長い溜息。そしてそのまま私の傍に待機するように立ってしまう。これは、もう、言葉だけではテントに戻ってもらえなさそうだ。弱っていると、またケイトラントが笑った。
「アキラ、その良妻をもっと休ませてやれ」
「妻ではありません」
被せ気味に訂正を口にするナディアだけど、声に全く覇気が無い。完全に寝起き状態だ。そもそも寝起きの悪い彼女だから、今は相当無理をしてくれているのだろう。
「うーん、そうだね。そうするよ」
妻ではないんだけど、という訂正を忘れていたが、まあ、ナディアがもう言ったから良いや。改めてナディアに向き直り、ストールに包まれた肩を撫でる。
「ナディ、ごめんね。一緒にテント戻ろう」
彼女を促して、門を離れる。軽く肩口に振り返って、ケイトラントに「おやすみ」と言えば、軽く手を上げて応えてくれた。なんだか嬉しいな。呑気な感想を抱く私の横で、眠そうなナディアが不機嫌な溜息を落とした。
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