第235話

 秘宝の保管場所は、地下深くにあった。アキラに緊張を少し解いてもらったラターシャだったが、それだけで気楽に構えられるわけでもない。不安そうにアキラの袖を掴んで歩いている。その様子を何処か愛おしそうに眺めているアキラの表情に、エルフらはまだ慣れない。

 地下は床も壁も天井も、全て石材で整えられていた。地上の建築物のほとんどが木造であったことから、がらりと印象の変わる内装だ。むしろ資材が制限されている亜空間において、この場所に石材を使いたいが為に他での使用は控えているのかもしれない。

 突き当たり、広い空間へ辿り着く。天井は四メートルを越えそうなほど高い。そしてその中央にある立派な台座の上に祀られるようにして、真ん丸で薄緑色の石が置かれていた。アキラの世界で言えば大理石に似た模様をしている。小さな光にも輝くほどに磨かれた表面。優れた研磨技術を感じさせるけれど、これが作られたのがいつであるのか、エルフらも知らないと言う。

「我が里で守っているこの秘宝を、『知恵を宿す浅緑せんりょくの宝玉』と言います」

「へ~、長い名前だね」

「ちょっと、アキラちゃん!」

 エルフの大事な秘宝の名に対してあんまりな感想だ。慌ててラターシャが服を引っ張ったが、アキラは反省する様子など微塵もなく楽しそうに笑っている。もうすっかり通常運転であるアキラに安堵の気持ちもあるものの、ラターシャの中にあるエルフの教えと血が、秘宝に対する無礼に黙っていられない。

「いえ……同意いたします。実際、話題となる場合には我々も『緑の秘宝』と呼びますので」

「あはは! ほら、ラターシャ。略称もあるってさ」

「だからって言わなくても良かったでしょ!」

 服を持ったまま、それをアキラの身体に押し付けるように脇腹を攻撃する。アキラは笑いながら「イテ」と言って受け止めているが、エルフらからすればむしろ救世主に対するラターシャのそんな行為の方が恐ろしいだろう。一瞬、目を見張っていた。視線に気付いたラターシャは慌ててアキラの服を整え、手を放す。

 閑話休題。この緑の秘宝が、知恵を与えてくれる手段となるらしい。

「これには契約者の持つ知恵が無限に溜め込まれます。常に長から長へと契約を繋いでおりますので、代々の長が持つ知恵のほぼ全てが保存されているのです」

 現在の契約者は勿論、ヒルトラウト。契約者である彼女が『許可』した知識が全て、次に触れた者に注ぎ込まれる仕組みであるそうだ。

 契約者として登録できる者は必ず一名のみ。伝統としては契約者の存命中に次へと引き継ぐものだが、万が一その前に亡くなってしまっても、次に触れた者が契約者として自動で登録される。不慮の事故で知識を失ってしまうことは避けられるものの、逆に言えば盗人に契約者を殺されて悪用される恐れもあった。それ故、この秘宝と契約者はエルフにとって厳重に守らなければならないものなのだ。

 そんな彼らにとって、今こうしてアキラの前に秘宝と契約者を同時に晒しているのが、どれほどの覚悟であるのか。アキラは気付いた上で何も言わず、笑みを浮かべていた。

「あの……それだけ膨大な知識量でも、注がれる側に、危険は無いんですか?」

 不意にラターシャが尋ねる。今回、アキラはこの中にある知恵の『全て』を開示してもらうことになる。エルフ一族が溜め込んできた全てだ。不安は尤もなことだろう。しかしヒルトラウトは穏やかに頷いた。

「危険はありません。ただ直後の数分間、ぼんやりとして動けないことや、数日の間、やや混乱することはございます」

 流石にその程度の負担は掛かるらしい。ヒルトラウトも契約者となった際に同じ経験をしていて、当時の彼女も、しばらくその場にしゃがみ込んでいたと言う。そして彼女の前の契約者も、同じ経験をしたと語っていたそうだ。本当のタグが出ているのか、アキラは簡単に頷いた。

「傍においで、ラタ。私がぼーっとしてる間は、君が支えていてね」

 むしろラターシャを安心させようとするように、アキラは言った。一瞬きょとんとしたラターシャは柔らかく微笑むと、「うん」と嬉しそうに言ってアキラの傍に立つ。

 だが実際のところ、アキラがこの場で動けなくなるのは、昨日の敵対を思えば危険なことだ。エルフらにはもうアキラに対し反抗の意志は無いだろうし、救世主信仰がある以上、命を奪おうと考えるとは思えない。それでも里の安全と天秤に掛けた時、決断することが無いとも言えないだろう。

 それを加味するとラターシャがアキラに寄り添っているかどうかでアキラの生存率は大きく変わる。ラターシャには、アキラが作った強力な守護石を持たせているのだから。全てを永遠に防ぐことが出来なくとも、アキラが転移で離脱する程度の時間は稼げるはずだ。きっとアキラはそんなことも分かっていて言うのだろう。

「宜しいでしょうか?」

「うん、いつでも」

 アキラが応じれば、ヒルトラウトがまず秘宝に触れ、『全ての知恵』に対する許可を下す。同時に秘宝が淡く輝き、周囲に白いもやが漂った。

「とんっでもない魔力だな。流石は秘宝」

 アキラはそう言って淡く笑う。おそらく彼女がこの世界へ来てから今までに見た何よりも大きな魔力がそこにあるのだろう。

 しかし彼女は臆することなく、ヒルトラウトに言われるままに秘宝へと手を伸ばした。光は強さを増し、周囲の靄も輝く。そしてそれらがアキラに取り込まれていくように集まった。

 全てが消えた時、アキラは目を閉じていた。目蓋はゆっくりと持ち上げられるけれど、目は何も捉えておらず、宙をぼんやりと見つめている。

「……アキラちゃん?」

 周囲のエルフらは微動だにせず状況を見守っていた。まるで、アキラを刺激しないように緊張しているかのようだ。数秒後、ラターシャからの呼び掛けに反応したようにアキラがゆっくりと瞬きを繰り返し、彼女を振り返った。

「うん、平気だよ」

 きちんとラターシャを捉えている目と穏やかな笑みにラターシャはホッとするけれど、ヒルトラウトは酷く驚いていた。

「私が触れた時は、もっと長くぼうっとしたものですが……救世主様には当てはまらないようですね」

「いや、まだ少しぼんやりはするよ。帰ったらすぐに寝たいね」

 どうやら正直な思いらしい。何度か目を瞬き、頭を振っていた。

 何にせよこれでエルフらとアキラの取引は終了。長居は互いにとって不利益にしかならない。アキラはすぐに退散する意志を告げた。

 当然それに異を唱えるわけもなく、ヒルトラウトと数名のエルフらが入り口まで二人を案内する。

「アキラちゃん」

「ん?」

 簡単な別れの言葉のみで里を立ち去った二人は、真っ直ぐにスラン村を目指して森を歩いていた。先導するように前を進むアキラの背に、ラターシャは里から少し離れたところで、声を掛ける。

「エルフを殺さないでくれて、ありがとう」

 アキラは少しだけ首を動かして顔を横に向けるけれど。ラターシャを振り返ることは無いまま、何も応えようとはしなかった。

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