第232話

「契約に使う魔力って、エルフの魔力じゃなきゃいけないの?」

 だがアキラは、一度その問いを横に避ける。ほとんど間を空けずにヒルトラウトは答えたものの、やや戸惑った様子で声が揺れていた。

「いえ、誰の魔力であるかは問題ではありません、が……」

「なら私の魔力を使えばいい。魔法石は扱える?」

 事も無げにそう言ったアキラが、徐に収納空間から小さな巾着袋を取り出してそれをテーブルの上に倒した。袋の中から音を立てて転がり出てくる魔法石に、当然、エルフらが一斉に息を呑む。

「こ、この魔法石は……」

「私の魔力で作ったもの。今出したのは二十個。まだあるよ。どうかな、契約に使える?」

「あの、少々、お待ちください。ユレフ、すぐに契約の書を此方へ」

「は、はい」

 結論を急ぐアキラに対し、ヒルトラウトは何度も目を瞬きながら動揺を表している。だがアキラを待たせることは出来ないと思うのか、急いた様子で近くのエルフに指示を出していた。声を掛けられたのは先程アキラ達を此処まで案内した男性エルフだ。彼もまだ状況が飲み込めない顔のまま、慌てて退室して行った。

 ユレフの背を見送ったヒルトラウトは一度短く息を吐いてから、改めてアキラへと向き直る。

「魔法石を扱うこと自体は、可能です。……ただ、このような貴重な品を使わせて頂いて良いのでしょうか。これは我々が果たすべき責任であり――」

「いや、うーん、まあ、そうなんだけどね」

 応えるアキラの声からは、威圧感が抜けていた。アキラは一度ラターシャへと視線を向け、小さな息を零した後でまたヒルトラウトに顔を向ける。

「私は正直ね、全員殺しちゃうのが一番手っ取り早いと思っていたんだ。言い出したものの、やっぱり取引は面倒くさいし、怒髪天を衝くって気分だったし」

 語られる言葉はあまりに恐ろしい。けれど恐怖で表情を歪めた者は誰も居なかった。これが過去形で述べられているのは明らかであり、紡ぐアキラの口元には淡い笑みが浮かんでいる。

「だけど、……この子が泣くんだよなぁ」

 再びラターシャへと目を向けたアキラの瞳に、いつもの優しい色が宿る。浮かべている笑みもまた、いつものアキラのものだった。咄嗟にラターシャは俯く。涙が出そうになったのを堪える為であったのに、アキラが頭を撫でれば容易く決壊し、彼女の目からは数滴の涙が零れ落ちた。

「エルフを殺さないでほしいって泣くからさ。今日は初めから、交渉について出来るだけ譲歩はするつもりだった。これはその一つ。契約に必要な魔力はこっちが補うよ」

 そう決めていたはずのアキラがこの瞬間まで表情も威圧を緩めなかったのは、昨日の怒りが冷めていなかったこともあるかもしれないが、それはそれとして、今回起こってしまったことに対してきちんとエルフらに筋を通してもらいたかったのだろう。且つ、アキラも領主として、スラン村の絶対的な安全だけは確保しなければならない立場にあった。

「あと、知恵や技術も、今回一度きりで良い。未来永劫、何度も提供を求める意志は無いよ」

 勿論、一度の面会で伝えきれない場合には数回に分ける必要は出てくるだろうが、一連の知識共有の機会を終えれば、二度目は求めないという意味だ。丁寧なアキラの説明を聞き終えたヒルトラウトは、呆けた様子で数回、唇を開閉した。

「……宜しいのですか」

 未だ払拭できない恐怖に震えるような声に、アキラは柔らかな笑みのままで頷く。

「あの親子を殺めたことは後悔していないし、詫びる気も無い。君らの言うように、管理責任もあるとは思ってる。でも、あの親子の行動に君らがとばっちりを受けているとも思う」

 閉ざされた里に生きる特殊な種族であっても。エルフらの思想は一つではない。

 ならば昨日の騒動を理由にこの里を滅ぼすと言うのは、例えるならば一人の犯罪者の為に、その国の民が全て殺されるようなものだ。

「この里の全員が、あの子みたいにいたずらに人族へ毒矢を射て殺してやろうとまで、思ってるわけじゃないんでしょ?」

 ヒルトラウトはアキラの問いに対して噛み締めるように、「はい」と答えた。おそらく『本当』のタグが出たのだろう、アキラが静かに頷く。

 先程受けた説明では、カルリトスとその父は、この里でも扱いに困るほど過激な思想の持ち主だった。何度も手を焼いてきたと言っていたし、その思想でもって同族とも争い、殺めるに至っている。そんなごく一部のエルフがしでかした事件に対して、里全員の命で償わせるというのは、アキラからしても酷な話と感じたらしい。

「脅しとは言え、里の中で魔法を連発して暴れたことについては、……悪かったよ」

 静かなアキラの謝罪に、エルフらは戸惑っていた。隣のラターシャまで目を見張っているものだから、アキラは苦笑を零す。

「あの場に、妊婦とか病気の人は居なかった? 脅かしたせいで身体的に弱った人が居るなら、流石に回復魔法を使うくらいの意志はあるよ」

 エルフらからはまだ戸惑いの色が消えない。昨日は全てを無感動に破壊してしまいそうだった人が、今は弱者を労わる言葉を紡ぐ。少し前までは半ば絶望と恐怖に染まっていた者達だ。温度差に慣れるまで、まだまだ時間が必要だろう。こんな彼女に慣れているラターシャですら、何度も確かめるようにアキラの横顔を見上げている。

「い、いえ、不安そうにしている者は多いですが、不調を訴えた者は特に、ございません」

 そう答えながら、ヒルトラウトは確認を取るように後ろのエルフらを窺う。他の者達も彼女の言葉に同意していた。アキラが直接手を下した二名以外の被害は本当に無いようだ。

「それなら良かった」

 のんびりとアキラがそう言ったところで、契約の書を取りに行っていたユレフが戻った。

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