第230話

 だが、どれだけ理由があろうとも見過ごせない事態が、今回は引き起こされてしまった。

「彼らには里の中の規律としても罪があり、かつ、外の世界で罪を犯したことは事実です。外の規律――つまり救世主様のご領地内であったなら、救世主様の采配で罰せられたことについて我々が何かを言える立場にはないということです」

 そしてそれを、ヒルトラウトだけではなくこの里のエルフらが納得していると言う。むしろそれだけの条件が揃ってしまった事件だったと言うべきだろうか。

「かつて我々が外部との接触を断つ決断をした際、人里離れた場所であれば『入り口』を置くことを許してくれたのはウェンカイン王国ただ一つ。国の規律を守る限りは、出入りも目を瞑ると仰いました。もう、千余年あまり昔のことで、現王がご存じかは分かりませんが」

 ウェンカイン王国はあらゆる種族が住まう国だ。他種族に対して少し『甘い』のだろう。または当時、最もエルフ達と親しくしていた『人族』だったのかもしれない。その証拠にヒルトラウトの語り口からは、ウェンカイン王国に対する嫌悪はあまり感じられなかった。エルフの秘宝とやらを盗もうとした人族は、別の国の者だった可能性もある。

「そのように恩義ある国の民を、未遂とは言え、殺めようとしました。入り口を排除したいとのお考えも、至極真っ当なものです。ですから、我々が何かを差し出し、許しを請う。この立場に我々一同、納得しております。前提が長くなってしまいましたが――」

 要するにこの里は、アキラの要求に一切の不満は無く、その姿勢でもって、これから交渉をしたいらしい。

「まず利点の一つとして、我々の里の入り口付近、この山であれば中腹辺りまで魔物を退けることが出来ます。そして、その影響範囲の植物はよく育ちます」

「へえ」

 アキラは少し目を丸めた後で、ラターシャに視線を送った。すると何故かラターシャは頻りに目を瞬いて視線を泳がせ、身を縮める。

「いや、ええっと、私の居た里の方は、ちょっと違った、から……」

 二人が出会った森は、豊かで深い森ではあったものの、魔物が居ない範囲特に植物が良く育っていたような記憶が、アキラの中に無かった。だから今、ラターシャを窺ったのだ。しかしそれだけでラターシャが酷く動揺してしまうのは予想外だったようで、アキラが首を傾ける。それを見て、ヒルトラウトが説明を追加した。

「エルフの結界というのは、秘宝を元に生成されます。魔物避けの効力は共通なのですが、追加の効果は里ごとに異なりますので、他の里にその効果はございません」

「あー、なるほど。……確かに私の村にとって、此処の効力は助かるものではあるね」

 事実、モニカらは村周辺で自生している山菜や果実を収穫し、食糧を確保していると話していた。これもエルフの里が無ければもう少し困難だったことだろう。勿論それらの収穫も魔物が少ないからこそ出来ることだ。あの村で真っ当に戦えるのはケイトラントだけ。収穫の度に彼女が村人を護衛しながらというのは、毎回、命懸けになってしまう。

「エルフ同様、うちの村は事情があって外部との接触を断ってる。私や一部の人間だけが外に出ているんだ。だから――」

 厳密にはまだアキラはあの村の住民ではないし、アキラ以外は山から出ていないのでやや嘘だけれど。とにかく、他との交易が必要ないくらい植物が豊富であることがあの村にとっては有益なのだと説明する意図で、アキラはそう告げた。その瞬間、どうしてか彼らは酷く驚いた様子で互いに視線を交わしていた。

「……何?」

「い、いえ、失礼いたしました。そのような状況であれば、今から提案させて頂く件は実現が容易かもしれません。我が里の者からの反対意見も、抑えられるでしょう」

 どうやら何か、一部の者が反対を示しているものを、交渉材料として出すつもりだったらしい。彼らには二十四時間しか与えられなかった。その短い時間で纏め切れなかった意見が、今アキラが話したスラン村の状況ならば問題ないかもしれないと、そう言っているようだ。

「我が里がこの地に入り口を置くことを許して頂けるならば、我々は被害に遭われた村に対し、エルフ一族の持つ知恵や技術を、全て提供いたします」

「えっ」

 戸惑いの声を、思わずと言った様子で漏らしたのはラターシャだった。

 エルフ一族は千年を悠に超える年月、他種族との交流を断ってきた。その中で極稀に友好的な想いを持ち、絆を交わした末に子を成してしまう者はあったものの、『里として』交流をするというのは一度も無い。この提案がエルフにとって天地が返るほどの決断なのだということは、アキラでも察しが付く。

「ただ、恐れながら……我々エルフからの知恵であることを、秘匿して頂きたいと」

「なるほど」

 交流先も同じく開かれていない村であれば都合が良い、と言うのはそういうことだ。広く『人と』交流するつもりではない為、大っぴらにしてほしくないのだろう。

「我々は閉じられた世界でも生きていくことの出来る知恵や技術を多く持ちます。そして、固有の魔術や、おそらく人の世では廃れ、語られることの無くなったこの世界の歴史も」

 アキラは少し考えるように視線をテーブルに落として黙っている。『情報』はアキラにとって特に貴重なものだ。タグという便利なものがあっても、この世界で生まれ育っていないアキラはその側面で必ず後れを取る。しかしエルフらの知識を得て、むしろ上回ることすら出来るなら。

 勿論、アキラだけではない。既に数年間、この国の中で孤立しているモニカ達にとっても有益だろう。再びウェンカイン王国内に戻る時。モニカほど思慮深く聡明な人であれば上手く利用できる可能性が高い。

 魔物避けや植物の成長補助に加えて、特殊な知恵と技術。

「……確かに大きな利だ」

 素直なアキラの感想を聞き、エルフ側が微かに安堵を見せた。けれどアキラが完全に厳しい表情を緩めたわけではなかった。一番の問題が、残っている。

「だけど……どれだけのメリットがあっても、安全の保証がされなければ受け入れられない。分かっているよね?」

 試すような視線をヒルトラウトへと向けたアキラに対し、彼女は表情を引き締め、慎重に頷きを返した。

「そちらについては、『血の契約』を発動すれば、絶対的に保証できると思っております。ただ、幾つか課題もございまして……順を追って、説明いたします」

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