第228話

 アキラとラターシャが再びエルフの里の入り口へと辿り着くと、そこには一人の男性エルフが立っていた。見た目は三十代だが、老いが既に止まっている者ならば実年齢は分からない。

「お待ちしておりました」

 緊張と怯えを多分に含んだ面持ちで彼はそう言い、アキラ達に頭を下げる。

 結界はどうやら修復されたらしい。昨日二人が立ち去る際には明らかな空間の穴と化していたのだが、今はまた目を凝らさなければ見えない微かな揺らぎに戻っている。

 男性がその揺らぎへと小さな木札をかざせば、正規の方法で空間が開く。訪問の度に破壊されては堪らないので、こうして招き入れる形を取ったようだ。

「長が奥でお待ちです。どうぞ此方へ」

 案内役は終始びくびくしているものの、酷く丁寧に恭しく二人を里の奥へと導いていく。今日は二人の歩く周囲に他のエルフの姿が見えない。昨日の騒動を受け、自発的に、または長の命令によって避難しているのだろうか。

 ラターシャは軽く里の中を見回した。周りに人が居ないこと、そしてアキラがまだ攻撃の意志を見せていないことで、昨日より幾らか落ち着いた心地で周囲を確認することが出来ていた。彼女が過ごした里と、様相は大きく変わらない。やはりエルフは里を分けても同じ文化で過ごしている。懐かしさと物珍しさが同居する複雑な思いで、里の中を眺めていた。

 その時、ふと視線を感じて前を向く。アキラが軽くラターシャを振り返っていたようだ。しかし目は合わず、彼女の反応に応じて逸らされた後だった。

 二人が案内に従って奥へと進んでいくと、幹回りが数十メートルはあるだろう巨大な木が見えてきた。ラターシャが生まれ育った里も、中央にはこのような大木があり、木そのものを建物として改造し、幾らか増設もして里運営の中枢として使われていた。この里でも同じであるようだ。男性エルフはアキラ達をその建物の二階にある、会議室のような広い部屋へと案内した。

 部屋には既にヒルトラウトと共に、昨日彼女に付き添っていた男性エルフ二名、他にも数名のエルフが待機しており、アキラが入り込むと同時に全員が立ち上がる。

「救世主様。お詫びすべき立場にありながら御足労を願いまして申し訳ございません」

 長であるヒルトラウトがそう言って頭を下げるも、アキラは何も答えない。少しの沈黙が落ちてから、ヒルトラウトが「どうぞお掛け下さい」と促した。アキラは視線と仕草だけでラターシャを促して先に着席させ、その隣へと腰を下ろす。

「私を納得させられるメリットは用意できた?」

 何度聞いてもラターシャはこの声がアキラのものであると信じられない。感情少なく、または何処か不機嫌な冷たい声。王様達に相対しているアキラについては何も知らないラターシャだが、実際、アキラは此処まで徹底した冷たい態度は、城に対しても最初の一度を除いて一切取っていない。珍しい態度であることは間違いなかった。

 そんなアキラしか見ていない此処のエルフらには、まるで関係の無いことだが。

「……分かりません。ですが、交渉をさせて頂きたいと思っております」

「そう。どうぞ」

 短く素っ気なく相槌を打ったアキラは、エルフらに発言を促した。

 エルフの里の長へ不遜な態度を取る人族など、本来ならば反感を買うだけ。だが、アキラの振る舞いに対し、怒りに近いような感情を見せる者は部屋の中には無かった。昨日の騒動から彼女を恐れている可能性も大いにあるが、おそらくアキラが『救世主』であることも理由の一つだろう。ラターシャが彼女を救世主と知った時に思わず「救世主」と呼んだことからも分かるように、エルフの里にも救世主信仰は存在する。

「まず、当然のことではございますが……今回、救世主様がカルリトスとその母エウリアに罰を下された件について、我々から抗議の意志はございません」

 アキラが立ち去った後、エルフらは改めて調査をしたそうだ。その結果、カルリトスが毒を盗み出したこともはっきりと証拠が残っており、アキラに殺されたあの二人はどうあっても罰せられるべき立場にあったと言う。

 エルフは規律にも厳しい種族であり、盗み出した毒を外で使ったカルリトスなど特に、里の中で判断したとしても極刑もしくは生涯幽閉が妥当とのことだ。

「親の方は、管理責任?」

 このアキラの発言は珍しく的を外れていた。

 少年の母エウリアの犯した最大の罪は、救世主であるアキラに対して刃を向けたこと。そんなことは傍で聞いていたラターシャにも分かったのに、アキラのように頭の良い人が気付いていない。どうやら彼女にとって最後のあの瞬間はあまりに取るに足りないことであり、強く印象に残っていないらしい。ヒルトラウトが微かな戸惑いを挟み、「救世主様へ刃を向けました」と言った後、少し間を空けてから「ああ」と気の抜けた声を出した。

「しかし、もし彼女がそのような愚行に出ていなくとも、彼女を無罪にすることは難しかったでしょう。我々が彼女の息子カルリトスの思想及び行動に手を焼かされたのは、今回だけではありません。そういう意味で、母である彼女、および里の管理責任については重く受け止めております」

 曰く、カルリトスは元よりエルフ以外の種族を蔑視していた。彼の父でありエウリアの夫である男がそのような極端な思想を持っており、数年前にこの里でハーフエルフが生まれた際、周りの制止を振り切ってその子と母を殺めたことがあったのだ。

「お連れ様がいらっしゃる場でこのような話、申し訳ございません」

 気遣わしげにヒルトラウトがラターシャへと視線を向ける。ラターシャは俯いた状態で小さく首を振っていたが、手は膝の上で硬く握り込まれていた。

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