第227話

 翌日。朝を迎えても、昼を過ぎても。結局アキラは一度も食事をせず、女の子らの傍へ戻らなかった。朝方に見張りを交替したナディアも十三時になる少し前には起きて、昼食を取り始める。

「何時だったっけ?」

「多分、十四時の少し前。だからあと三十分くらいかな……」

 エルフらに対してアキラは翌日の『同じ時間』に再び里を訪れると言った。昨日、アキラがモニカに呼ばれスラン村へと向かったのが十三時半頃。その後ラターシャは時計を見る機会が無かったものの、騒動の後で再びナディア達を馬車の傍へ迎えに行ったのは十四時頃だった為、アキラとラターシャがエルフの里を訪れたのは『少し前』で間違いない。

 今は十三時を過ぎたばかり。アキラが全く同じ時間に向かおうと思っているならそろそろ動く頃だ。女の子達はそわそわと落ち着きなくアキラの様子を窺う。昨日からの様子を見る限り、時間になれば此方に声を掛けること無く行ってしまう気がして不安になっていた。

 五分後。不意にアキラが立ち上がると、思わずラターシャが小さく腰を上げる。隣に座っていたルーイが、彼女の背に手を当てた。止める意図よりは落ち着かせたい意図が強いのかもしれない。アキラはそのまま門を潜り抜け、女の子達の傍へと歩み寄る。

「アキラ、食事は?」

 程近くまで来たところでナディアが声を掛けたが、アキラは無表情で彼女を一瞥しただけ。まるで無視するように二人用のテントへと入ってしまった。女の子達の中に沈黙が落ちる。彼女らに対してアキラがこのような対応をしたのは初めてのことだ。戸惑いが強くて、追うことも、無視を咎めることも出来そうにない。

 その間、テントの中からは少しの水音が響く。顔や身体を拭いているのだろう。着替えも済ませたようで、テントから出てきたアキラの装いは少しだけ変わっていた。

「出てくる。日暮れ前には戻る」

 普段のような愛想を一切含まずそう告げると、彼女らに視線も向けないままでアキラは歩き出す。

「アキラちゃん、私も……」

一緒に行くわ」

 ラターシャに被せるように、ナディアが言った。物言いは強かったが、声は微かに震えていた。ラターシャの声も同様だ。彼女らにとっても、今のアキラは恐ろしい。そんな二人の声に応じてアキラは立ち止まったものの、振り返る様子は無かった。

「来るなら誰か一人にして」

 やや不機嫌にそれだけ返し、アキラは門の方へと歩いて行く。待つつもりは無いようだ。判断を迷う内に見失ってしまうだろう。ナディアは微かに眉を寄せて、唇を噛み締めた後、ラターシャへ向き直った。

「ラターシャ、行って」

「……私でいいの?」

「多分、あなたじゃないと駄目だから。……誰より、辛いかもしれないけど」

 本当はもうこれ以上、エルフがアキラに敵意を向けられる場面をラターシャには見せるべきではないかもしれない。けれどナディアは、今のアキラに『一人』を付き添わせるなら、ラターシャしかないと思った。短く視線を落とした後で改めてナディアを見つめ返したラターシャは、強い瞳をしていた。

「ううん。ありがとう、行ってくる」

 彼女がこの時に抱いたのは覚悟だろうか。託された責任だろうか。アキラの背を追う足取りにはもう戸惑いは無く、怯えも見えなかった。

「まあ、本来で言うなら、こっちの人間が行くべきとは思うんだがな」

 会話が聞こえていたらしいケイトラントはそう言うと肩を竦め、彼女らの傍へと歩み寄ってくる。

 その指摘は尤もだ。今回の問題はスラン村の住民がエルフに攻撃されたことであり、今後の話もこの村が安全である対策に関すること。ならば何か交渉をするにあたって同行すべきはスラン村からの代表であるのが筋だろう。

「仰る通りです。すみません」

 素直にそうナディアが頭を下げれば、ケイトラントは小さく首を振る。

「いや、おそらくお前達だから、『一人』を譲歩しただけだ。私やモニカさんなら断られている。文句はあいつに言うさ」

 やや気落ちしている様子の彼女らに対する気遣いなのか、ケイトラントは少し笑っていた。

「しかし意外だったな。私はお前が行くと思ったが。アキラを除けばお前がリーダーだろう」

「……ただの年長者です」

 まさか傍からそのように見えているとは思わず、ナディアは少し項垂れた。

「余計に意外だ。あの子はまだ子供なんだろう。どうして任せた?」

 ラターシャは、日本人であるアキラだけでなく、この世界に住むナディア達から見ても『子供』に見えない大人びた容姿をしている。ナディアやリコットと同年代と見ていてもおかしくはないのに、妙にケイトラントが『子供』と言い切ったことがナディアには少し不思議なことだった。年齢に関することをアキラから聞いたのか、または、竜人族の特殊な能力か。

 けれど今問うべきことには思えない。疑問を振り払うように首を振ってから、ナディアは少し視線を落とす。

「私達三人は立場上、アキラに『人を殺すな』とは言えません。……アキラが人を殺せる性質だからこそ、私達は、救われたので」

 ナディアが行かなかった理由の一つはそれだった。組織の人間をアキラが殺してくれたことで三姉妹は救われた。アキラが誰も殺さず、三人をただ奪って逃げていたなら。彼女らはきっと一生、追手の恐怖を抱き続けることになった。または正当な手段で救おうとしていたら、逃げようとする男らに足手まといとして処分された可能性も高い。

 一切の容赦なく、圧倒的に、あの夜だけの短い時間でアキラが全てを壊してくれたから、三姉妹は五体満足で今を生きている。

「ラターシャだけなんです。アキラにそれを言えるのは」

 あの子はただ行き倒れていたところを拾われ、世話をしてもらったことで救われた。あの子が救われる過程の中にまだ誰かの『死』は無い。そしてエルフに虐げられた被害者だからこそ、彼女の言葉には意味がある。

「何より、ケイトラントさんの言葉はアキラに効いていると思います」

 子供の前で殺しをするなと、ケイトラントは言った。そのことをアキラは自らの口で語らなかったものの、三姉妹はラターシャからの説明でその時のことを知った。細かい表情の変化をその目で見たわけではなくとも。日頃からラターシャとルーイに対して過保護なほどの愛情を注ぐアキラを見ていれば、その言葉は必ずアキラに響いたと信じられる。

「なるほど。あいつには勿体ない良妻だな」

「やめて下さい。私はアキラの妻ではありません」

「ふふ」

 不満を込めたナディアの否定はやや食い気味だった。しかし思わず笑うリコットを普段なら睨むナディアが、今は疲れた様子で溜息を一つ落とすだけ。まだ彼女は寝不足の状態なのだ。この『良妻』を、アキラはもう少し休ませてやるべきだろう。

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