第226話

 ケイトラントの横を通り過ぎたアキラは、門を出て結界の外まで歩いていく。そして何の変哲もない木の陰へと座り込んだ。そんな場所で一人、見張りをするつもりなのだろうか。村に背を向ける今の彼女は、誰からの干渉も拒んでいるように見えた。

 ナディア達の為の食糧などは先程までと同様に馬車内に出してくれていた為、アキラが傍に居ないからと言って彼女らが困るわけではない。しかし、食事を用意してそれを伝えても、何か飲むかと問い掛けても。アキラは振り返る様子も無く「必要ない」と返してくるだけで、取り付く島も無かった。

 すっかりと日が暮れてもアキラが食事をする気配は一向に無く、普段の就寝時間が迫る。

「……いいわ、私が見ているから。みんなは寝て。ラターシャは私のベッドを使って、二人と一緒に居て」

「でも、ナディア」

 心配そうに眉を下げるラターシャに、ナディアは大丈夫と伝えるように淡い笑みを返す。アキラの相手としてナディアやリコットが呼ばれない限り、普段、二人用のテントでアキラとベッドを並べて寝るのはラターシャだ。けれどナディアは今夜、ラターシャを二人用テントの中で一人にしたくない。三人用のテントに行ってほしい。アキラを見張るべきと思うのも勿論だろうが、その口実としても彼女の判断は『自分が起きている』だったのだろう。

「朝になったら、交替しようね、ナディ姉」

 微かに眉を下げながらそう返すリコットが示していたのは、提案に対する『同意』だ。ナディアはゆっくりと頷く。

「明かりも無いし、この状況でアキラちゃんを見張れるのはナディ姉だけだよ、今夜は任せよ」

 事実、アキラは今、村の外の木の陰に居る。夜でなくとも紛れてしまいそうな場所だ。陽が落ちてからはもう彼女が本当にそこに居るのかどうかも、ナディア以外には分からなかった。そのアキラを見張るという意味では、ナディアがその役を担うことはどうしても確定する。

 つまり後の判断は他にも一人付くかどうかだが、やはりナディアが案じているのは昼間に泣いていたラターシャのことだった。同族であるエルフが、今の保護者であるアキラに、目の前で殺された。そして明日もまた、エルフらが殺されるかもしれない。ナディアはそんなラターシャの心を出来るだけ慎重に扱いたかった。同意の言葉が出せないでいるラターシャの肩を、宥めるように優しく撫でる。

「何かあれば必ず起こすわ。だから夜の間だけ、私に任せて休んでいて」

「……分かった、でもナディアも、無理しないでね?」

「ええ」

 明日、日中にナディアは交替して眠ることになる。その時ラターシャの傍に、リコットとルーイの二人が付いていてほしいのがナディアの望みなのだ。リコットもルーイもそのことに気付いていたから、今をナディアだけに任せることを受け入れたのだろう。

 三人をテントに見送ったナディアは、テント傍にアキラが出していたベンチに腰掛ける。ヴァンシュ山の気温は幸いあまり低くない。夜を迎え、テントの外に出ていても、上着を一つ追加で羽織る程度で問題なさそうだ。ナディアは念の為ストールを膝に掛け、上着の前を手繰り寄せる。今、下手に風邪など引くわけにはいかない。

 そんな彼女の慎重さが、ケイトラントには『寒そう』にでも見えたのか、一瞬だけちらりとナディアへ視線を向けていた。しかし、気付いたナディアが顔を上げる頃にはもう何も無かったかのように前を向く。

 門の脇に立つケイトラントと、門付近に張られたテント前に居るナディアとの距離はそう遠くない。だがアキラは更にその奥に居る為、夜目の利くナディアであっても『居ること』が分かる程度であり、表情や顔色を窺うのは不可能だ。あれから全く飲まず食わずの状態で、体調に問題は出ていないのか。反動はどうだろう。ラターシャから聞いた限り、負担になるほどの大きな魔法は使っていなかったように感じているものの、今回は誰かが直接触れて確かめるようなことが出来ていない。

 ナディアはじっとアキラの影に目を凝らす。その影が自らの力で座っていて、ふら付いたり、力を失くして何処かに凭れかかったりしていないことを、気を抜かずに監視し続ける。その彼女の様子をまた横目に、ケイトラントは小さく息を吐いた。

「おいアキラ。水くらいは取っておけ」

 暗がりに向かってそう言うと、ケイトラントは足元に置いてあった水筒の一つを拾い上げて投げる。それはアキラの太腿の数センチ手前、彼女にぶつかることなく地面に着地するが、勢いに負けて倒れ、結局アキラの太腿を攻撃していた。丈夫な革製の水筒らしく、それくらいの衝撃では壊れていないようだ。

「……ありがとう」

 小さな声がアキラから漏れる。軽く肩を竦めた彼女が水筒を拾い上げ、傾ける様子が見えた。ナディアらが危惧するほど、機嫌が悪いわけではないのだろうか。何にせよアキラが動き、水を取ったことが確認できて、ナディアは少なからずホッとしていた。

 その後、エルフらがスラン村に対して何かを仕掛けてくる気配は無いまま、静か過ぎる夜は過ぎて行った。

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