第225話

 ラターシャを連れてアキラが馬車の影へと転移すると、咄嗟に二人だと分からなかったリコットが驚いた様子で立ち上がる。結局、最初に二人へと近付いたのはナディアだった。おそらくは匂いでアキラ達だと気付いて、警戒を解いたのだろう。

「お帰りなさい、向こうは……アキラ?」

 スラン村の状況を聞こうと思っていたのだろうが、ナディアはアキラを見上げると言葉を途中で止めて怪訝な顔をした。未だアキラを覆っている剣呑な気配に気付いたようだ。何より、今のアキラにはいつものような穏やかな笑みが無い。

「ラターシャ、どうしたの? 大丈夫?」

 続いて駆け寄ってきたリコットも、アキラをちらりと見た後、少し表情を曇らせる。そして目を真っ赤にしたままのラターシャを心配そうに見つめた。

「毒を受けた人は助かったけど、色々あった。少しスラン村に滞在する必要がある。全員で行こう。まとめて転移するから、準備をお願い」

 淡々とそう告げるアキラの声、そして彼女の見せる顔に、三姉妹は少し表情を強張らせる。やはり明らかにいつものアキラではない。だが、彼女の指示が急ぎのものであることも分かるから、問い質すべきはおそらく今ではないのだろう。

「サラとロゼも?」

 ただしリコットはそれだけアキラに問い掛けた。以前、アキラは転移魔法がサラ達に与えてしまう精神的な負担を心配していた。きっとリコットは今のアキラに、それを思い出してほしかった、または、覚えているかを確認したかったのだ。

「……うん、緊急だから」

「分かった。すぐに準備するね」

 あの時と同じ言葉でアキラが応える。つまり彼女は覚えていて、ちゃんと理解してくれている。だからもうリコットは迷わなかった。リコットがそうしてはっきりと返して動き始めたら、ルーイとナディアも迷いを消すようにして動き出す。必要なのはテーブルの上に出していたお茶と軽食の片付け、それから火の始末だけ。テントなど大きなものは続々とアキラの収納空間へ回収され、馬車もその中へと仕舞い込まれた。残ったのは女の子達と、サラとロゼだけだ。

「何も心配いらないよ~、大丈夫だからね」

 サラとロゼの間で、リコットが二頭の鼻先を抱くようにして宥めている。他三人も、馬に寄り添っていた。自分達も怖かったから、初めて転移を経験する二頭を一層、思い遣ろうとするのかもしれない。彼女らを見つめたアキラが一瞬だけ、いつもの柔らかな目を見せた。

 転移の前後、案の定サラとロゼは微かに動揺して足踏みをしていたが、女の子達が声を掛けるとそう長く掛からずに落ち着きを取り戻し、その様子にアキラも小さく安堵の息を落とす。

 そして、サラ達以上に驚愕して目を丸めたままの、ケイトラントやモニカ達を振り返った。

「お前は一体、……なんだ?」

 ケイトラントが動揺から思わず投げた問いは、アキラを知る者達からすれば酷く正確で賢い問いであると思えた。それに対する回答が、おそらく全ての疑問に答えることになるのだから。

「この件が片付いたら、色々話すよ」

 しかしアキラはすぐに答えることを選ばなかった。ただ、返った言葉は嘘ではないだろう。ケイトラントとモニカはその言葉に頷き、ゆっくりと動揺を飲み込んだ。

 ただ、その落ち着かせたはずの動揺はアキラの収納空間からどんどん出てくる巨大な物――馬車、テントが二つ、かまど、テーブルや椅子を見て再び引き起こされるのだが、『後で色々話す』を承諾した彼女らはそれ以上を問えない。再び飲み込むしかなかった。

 何より、モニカらもこの騒動には疲れが出ている。いつまでもアキラ達の傍に付くことはせず、モニカは一度、屋敷の方へと下がった。ケイトラントは引き続き門番をするようで、門へと向かうべく傍を離れて行く。

「アキラ。事情を話してくれる?」

「……うん」

 普段と違い、ぴりぴりとした雰囲気を漂わせるアキラが、ナディアも怖くないわけではない。しかし他の女の子達の手前、自分が気丈でなければならないと彼女は思っている。そんな彼女からの問いに、聞き取るのが難しいほど小さな声でアキラは応答した。

 改めて、今回起こったことを説明するアキラは、誰にも視線を向けず、一度も笑顔を浮かべなかった。いつもの彼女の、わざとらしいくらい抑揚のある話し方でもない。

「だから、明日の同じ時間までスラン村に待機。事が済めば、また同じ場所に戻ろう」

 数秒間の沈黙を落とした後、ナディアはただ「分かったわ」と返した。それ以外に、彼女達からは何の言葉も無い。アキラは一瞥もせず、そのまま彼女らに背を向ける。

「好きに過ごしていて。私も念の為、外の警戒をするから」

 つまりアキラはテントの傍で共に過ごす気が無い、ということのようだ。門はケイトラントが見ているが、アキラもそこに居て警戒してくれるなら、住民らにとってそれ以上に心強いことは無いだろう。

 だが、離れる『本当の目的』はそうだろうか。掛けられる言葉が見付けられない三姉妹はそのまま無言で背を見つめていたが、ラターシャが震える声で「アキラちゃん」と呼んだ。アキラは、静かに足を止め、彼女を振り返る。

「お願い、エルフを殺さないで」

 その声はまた感情に濡れて、震えていた。彼女を見つめながらアキラは僅かに眉を顰める。

「……ラタはエルフ族を愛しているの? 愛されなかったのに?」

 ラターシャが語ったエルフの里での経験は全て真実であることをアキラは知っている。エルフらの『感情』や『思考』について語った場合にはタグが出ないこともあったものの、『経験』は全て事実だ。彼女が受けた扱いの中に、ラターシャに対する愛が存在していたとは到底思えない。彼女を愛していたのは彼女の母だけだ。それでも、ラターシャはエルフを守ろうとしている。アキラにはそれが少しも理解できなかった。

「分からない、だけど、エルフが死ぬのは、すごく辛い」

 そう答えるラターシャはまた涙を零す。どうやら彼女にも、何故そう願ってしまうのかは説明が出来ないようだ。……彼女がアキラに嘘を吐くわけもない。どうしようもなく彼女の悲しみは真実で、それを見たアキラは一層、表情を険しくした。

「……そう」

 返った言葉はそれだけ。

 願いに応じるとも応じないとも言わないまま、アキラは彼女らの傍を離れて行った。

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