第224話

 スラン村へ戻った二人を最初に出迎えたのは、門番をしていたケイトラントだった。

「……何があった。無事か?」

 酷く優しい声に聞こえた。彼女はアキラの後ろを付いて歩くラターシャが泣いていることに気付いて、その言葉を選んだのだろう。一分と待たずに、モニカも傍へとやってくる。彼女も門の傍で待機していたようだ。従者らも居た。

「私達は何とも。犯人とは会ってきたよ。十代前半くらいの子供だった。動機は分からなかったけど、もう殺した」

 モニカらがアキラのその言葉に目を見張る横で、ケイトラントは眉を寄せてじっとアキラを見つめていた。アキラは、誰の視線にも応えずに明後日の方向を見ていた。

「それで問題は今後の――」

「アキラ」

 言葉半ばで名を呼ぶと、ケイトラントはアキラの肩を掴んで僅かに引いた。アキラはそこでようやくケイトラントを見上げる。ラターシャは驚いてアキラの掴まれた肩を見るけれど、服の歪みは微かなもので、痛みを与えるような強い力ではないことが分かる。それでも、大きな手で掴まれ、強い腕で引き寄せられたアキラは一歩、ケイトラントに近付く形になり、容易に引くことは出来ないだろう。

 アキラの目は何処か無垢なものだった。怯えるでも、驚くでも、怒るでもなく。大きな目は、ケイトラントをただ見ていた。その目を真っ直ぐに見つめ返しながら、ケイトラントが苦しそうに眉を寄せる。

「お前には、感謝している」

 彼女はそこで、続けるべき言葉を選んだのだろうか。一瞬、間が空いた。その間にアキラも、一つ瞬きをした。

「今までのこともそうだが……アイニさんの命を助けてくれたことも、今回もまたこの村を守る為に動いてくれたことも」

 アキラには彼女の言葉がどんな風に聞こえているのだろう。ただ黙って、色の変わらない目がケイトラントを見ている。

「例え相手が子供であろうとも、住民を傷付けた以上は私も同じことをしただろう。それを責めるつもりは毛頭ない。だが――」

 微かに、アキラの肩を掴んでいたケイトラントの手に力が込められる。アキラの上着の生地がほんの少しだけ歪んだ。

の前で、殺しをするな」

 その言葉に、今度はアキラが目を見張る。そして同時にアキラを覆っていた張り詰めた空気が消え去った。未だすすり泣くラターシャを振り返ったアキラは、みんなのよく知るいつもの優しい目をしていて、泣いているラターシャを見ると悲しそうに眉を下げた。

「……ごめん、ラタ」

 その声を聞いたラターシャの目から、また大粒の涙が零れる。彼女はそのままアキラへと歩み寄って、その身体にぎゅっとしがみ付いた。アキラは少し迷った様子を見せてから、その背に優しく腕を回す。ラターシャは自分が今どうして泣いているのか分からない。これが何の涙なのかも、分からなかった。恐怖だったかもしれないし、安堵だったかもしれない。ない交ぜになる感情の中で、ラターシャはいつまでも泣き続けた。

「――これ、解毒薬。レナに確認してもらってから、念の為、アイニに飲ませておいて」

「承知いたしました。ありがとうございます」

 ラターシャの涙が少し落ち着いた後、先程と比べれば少し柔らかな口調でそう言うと、アキラはエルフの里で受け取った小瓶をモニカへ手渡す。犯人側から渡されたものであることから信用はならないが、レナには薬の効力鑑定のスキルがある。彼女が問題無いと言えば、アキラが言う以上にこの村の者は信じることが出来るだろう。

「それから、問題は今後のこと。エルフの里が近くにある以上、相手側がどう言っても同じことが起きない保証は無い」

 だからヴァンシュ山から出て行くようにとエルフには要求したものの、相手は渋っている。あの場では埒が明かないと判断し、交渉を明日に伸ばしたことを、アキラは丁寧に説明した。

「明日の交渉が終わるまで、私も里に滞在するよ。向こうが自棄を起こして大勢で攻めてきたとしても結界はびくともしないけど、山に火を放たれたら堪らないからね」

 アキラはまるで物の例えのように言うが、アキラという規格外の人を相手取るならばそれくらいの行動を起こす可能性はゼロでは無い。そう考えたモニカ達はぞっとしていた。こんな山奥で、火と煙に巻かれれば逃げようが無いだろう。だが改めてアキラは、結界に居る限りは安全で、自分が居る限りはそんなバカげた自棄を起こされても対応できると断言した。

「でも一旦、他の女の子達を連れてくる為に離れるから、少しの間、此処をお願い、ケイトラント」

「ああ、心配するな。万が一の場合も、時間稼ぎくらい問題ない」

 彼女の回答に、僅かだけアキラが口元を緩めた。そして再び、モニカの方へと視線を向ける。

「入り口付近のこの辺りに、テントを張らせてもらっても良いかな。食事も自分達で用意できるから、村の方は何もしなくていいよ」

「はい。ですが何かご入り用なものがございましたら、いつでもお申し付けください」

「ありがとう」

 スラン村の門は一つだけであり、入って右手には建物があるが、左手と正面は広場のように少し開けていた。アキラ達が普段使っているテントと馬車を置いてもまだ余裕があるだろう。モニカから了承を得たアキラが、ラターシャを振り返り、彼女へと手を伸ばした。

「ラタ、戻ろう」

 そしてアキラはそのままその場で転移魔法を発動する。居合わせた全員は目を大きく見張って、黒い魔力の沼に二人が消える瞬間を見守った。

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