第223話

 ラターシャはその光景があまりにも異様に見えて、呆然としていた。

「御前にお伺いするのが遅れて申し訳ございません。事実確認をして参りました。そちらの子……カルリトスはまだ幼く、里を出る許可を出してはおりません。しかしそれを破り、人の里に危害を加えたとのこと。我が里の法で以っても、明らかな処罰対象でございます」

 本来、エルフが里を出るには長の許可が必要で、無闇に人の地を侵さないことになっていた。エルフらはどの国にも属していない為、人の地で問題を起こしてしまえば個人だけが裁かれるのではなく、種族間の争いに発展する可能性がある。よって自由な出入りを許すことはあらゆる側面で危険なのだ。

 そしてエルフの里というのはただ見た目の上で隠されている場ではなく、入り口のみが外に出ており、実際の里は亜空間に存在していた。空間内だけで食糧や資材が賄えない場合に、時折、必要に応じてそれを補う為に外へと出ているのだ。買い出しの為に耳を隠して人里に下りることも稀にある。だが、そうして外に出られるのは一部の信頼できる『大人』に限られた。

 つまりカルリトスほど幼い子に、許可が出ることはあり得ないことだった。彼が外に出たというだけで、里からすれば既にエルフの法を犯しているのだ。

「あの子ではありません! あの子は何も知らないと言いました! それなのに――」

 突然、音を奪われていた母親の声が響いて、ラターシャが肩を跳ねさせる。いつの間に消音魔法が解かれていたのだろう。アキラは軽く女性を一瞥した。だが応えたのは、ヒルトラウトの方だった。

「黙りなさい。結界には明らかにカルリトスが出入りした記録が残っていました」

 淡々と長がそう告げると、少年の母親は、目を見開く。結界はアキラが破壊して侵入しているが、完全に消滅させたわけではない。記録を取る機能があり、その内容の確認はまだ可能だったようだ。

「ここ数日、他の記録は一切ありません。また、同時期に。持ち出し厳禁であった毒も盗まれています。外でそれが使用されてしまった結果を見ても、カルリトスが関わっていることは間違いないでしょう」

 厳しい口調で、まるで責めるようにそう続けられると、女性はそのまま絶句してしまった。彼女がもう口を開かないのを見守った後、ヒルトラウトは改めてアキラに向き直る。

「持ち出された毒の解毒薬が、此方にございます。どうぞ受け取って下さい。誠に申し訳ございませんでした」

 平伏すような低い姿勢でもって、ヒルトラウトの傍に控えていた大きな身体の男性がアキラへと小瓶を差し出した。アキラは細めたままの目でその男性を見つめてから、ゆっくりとした動作で受け取る。

「もう解毒はしてあるけど。念の為、貰っておくよ」

 不機嫌そうな声ではあったが、応えたアキラの声はやや冷静さを取り戻している様子があった。それに僅かでも安堵を感じた者は居ただろう。しかしアキラの求めが変わるわけではない。彼女は『落とし前』について具体的な要求を口にする。

「改めて言うよ。この山は私の領地だ。問題を起こした以上、ちょろちょろされるのは不愉快。出て行って」

 その言葉にエルフらはざわついた。確かにこの里は亜空間に存在しており、入口がヴァンシュ山に存在しているだけだ。だからもし入り口を遠くへ移動させることが出来るならアキラの要求はそれほど残酷なものではない。だが、そうではなかった。ヒルトラウトは顔を青ざめさせ、声を震わせる。

「里への入り口の位置を移動させる術を、今の我々は持っておりません。つまりこの山を去るということは、この里に生きるエルフ全てが住処を失くすということ。……どうか、ご容赦頂けませんでしょうか」

 アキラを前にしてこれを願えただけでも、ヒルトラウトは類稀な精神の持ち主と言える。アキラはひと呼吸で容易く彼らを焼き殺してしまえるのだと、今その目で見たばかりなのだから。

 当然、アキラからは再び、里全体を覆うような威圧感が生じる。怒りの気配だろうか。それとも彼女がこの里を焼き尽くそうと広げた魔力の気配だろうか。エルフらは呼吸を止めてその恐怖にただ怯え、震えることしか出来ない。

「それなら安全を保証しろ。それからお前らの入り口が此処にあるメリットを差し出せ」

 まるでアキラの怒りに呼応するように、パリパリと乾いた音が周囲に散る。ラターシャは音の出処を探るように視線を巡らせるも、何も見えなかった。それは目に見えるものではなく、アキラの魔力による威圧に影響を受けた木々、建物などが軋んだ音だった。

「それは……」

「明日、同じ時間にまた来る。それまでに私を納得させられるものを用意しておいて」

 食い下がろうとしたのか、何かを言い掛けていたヒルトラウトの言葉を遮ってそう言うと、アキラはきびすを返す。そしてまだ座り込んだままだったラターシャの横で短く立ち止まった。

「立てる? 行くよ」

「あ、う、うん」

 ラターシャは慌てて立ち上がる。少しふら付きはしたが、問題なさそうだ。歩き始めたアキラの後ろにきちんと付いて歩くラターシャを、アキラは一度だけ振り返って確認していた。

 だが、二人が広場を出ようとしたその瞬間。妙な唸り声が響く。咄嗟にそれが何の音か、何処からの音かが分からなかったラターシャは、振り返るのが遅れた。

「おやめなさいエウリア!!」

 直後、響いたヒルトラウトの叫び声。ラターシャが振り返る頃には、殺された少年の母親、エウリアが両手で刃物を持ち、アキラへ向かって駆け出していた。ひくりとラターシャの喉が震える。そして即座に視線を外した。憎しみと殺意に塗れたエウリアの目が恐ろしかったわけではない。彼女の頭上が光ったのが見えてしまったからだ。

 前を歩くアキラは歩調を緩めることも、振り返ることも無く。

 無感動にそのまま、先程と全く同じ雷魔法で、エウリアを焼き落とした。

 その躯が地面に沈むより早く、ラターシャは前を向いて歩調を早める。どしゃりと崩れた音を、震えながら聞いた。

 他のエルフらは、顔を上げなかった。アキラとラターシャが里を出るまで、彼らは動かずに跪いたまま、ただ震えていた。

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