第222話

 純血のエルフからすれば人族など敵でしかないのだろうし、まして女性は、察するに少年の母親なのだろう。息子を傷付けた者に怒りや憎しみを向けることは当然だ。

 だがその必死な母親の形相も、怒りも、訴えも。微塵もアキラに響く様子は無い。何処までも情を含まない冷たい目で、少年と女性を見下ろしている。そして面倒くさそうに、目を細めて短い溜息を吐いた。

「発言の真偽が分かるスキルを私は持ってる。今のコイツの発言は嘘だった。矢を射たのは間違いなくコイツなんだよ」

 再び、アキラが距離を詰めるように歩み寄る。母親と思われる女性は少年を守るように抱き締め睨み付けているが、アキラを前にそんなものは無意味だ。女性の首と両手首へ束縛の金属を出現させたアキラは、抵抗を意に介すことなく少年から引き剥がして数メートル離れた場所へと追いやった。

 女性は悲鳴を上げる。そして少年の名を繰り返し呼んだ後、人族であるアキラへの罵詈雑言を吐き、自分の方へ注意を引こうと必死になっていた。――だがその音は突然、ぷつりと途切れる。一瞬ひやりとしてラターシャは女性を見るけれど、女性は無事だった。その口元は尚も動き、顔を真っ赤にして何かを叫んでいるように見える。音だけが、聞こえない。消音魔法が使われているのだ。煩わしいと感じたアキラが、彼女から一時的に音を奪ったのだろう。

 女性が音を奪われただけで、里は静寂に変わった。つまり彼女以外に声を発している者が居ない。周囲のエルフらは一定の距離を取ったままで、ただアキラ達の様子を見ている。ラターシャはそんな周囲の違和感に視線を巡らせるものの、アキラがそれを気にする様子は無かった。地面に縫い付けられていた少年の上体が、不意に浮き上がる。アキラの束縛魔法によって引き上げられているようだ。強引に体勢を変えられた少年は唸り声を上げ、苦しそうに表情を歪めた。

「聞くのは、これが最後だ」

 アキラの声と思えぬほどに冷たかった。ラターシャはまた、身体を震わせる。周囲のエルフらも同様に恐怖を抱いたのだろうか。呼吸すら止めたかのように一帯が静まり返る。少年の震える呼吸ばかりが、広場に響いていた。

「正直に話せば、手足一本ずつ落とすだけで許してあげる。このまま嘘を通すならもう殺す」

 こんな年若い者が選択できるとは思えない、あまりにも残酷な二択だった。

 少年は視線をおろおろと泳がせ、アキラを見て、後ろのラターシャを見て、そして周囲の大人のエルフらを見た。当然、音の無い母親も。しかし誰の助けも入らない。アキラはそんな彼の答えを急かすように、乱暴に少年の前髪を鷲掴んだ。顔を上げさせ、自分を見るように強いたのだ。

「ぼっ、僕じゃない、本当に、僕じゃ」

「……じゃあ死ね」

 つまらなそうに、アキラはそう言った。少年の首から、束縛魔法の金属が消える。そしてアキラは自分から遠ざけるようにして少年を突き放した。

 解放された少年の身体が地面へ落ちようとする寸前。閃光弾を利用したかと思うほどの強い光が周囲を多い、空気が爆ぜるような轟音が響く。アキラの雷が、少年を貫いた。

 地面に落ちたのは、ほぼ炭のような人型の塊。それは誰の目から見ても明らかな、死だった。

 ラターシャの足から力が抜ける。彼女はその場に座り込んでしまった。訳も分からず、目からは涙が零れ落ちていく。

 この時、彼女らから最も近い位置に居たエルフは当然、あの少年の母親。目から大粒の涙を流し、半狂乱になって髪を振り乱して叫んでいる――のだと見えるが、音は無い。しかしアキラはその彼女には目もくれず、遠巻きに此方を窺ったままのエルフらへと視線を巡らせた。

「この落とし前を、どう付ける。エルフ」

 まだ終わりではないことを、アキラが告げていた。彼女の声から怒りがまるで消えていない。周囲の緊張が高まっていく。

「犯人一匹を焼く程度じゃ気が済まない。このヴァンシュ山は私の領地。近くにある村の人達は私の領民だ。矢を向けたお前らをこのままにはしない」

 アキラの言葉に応える者が居ないまま、広場には沈黙が落ちる。微かに苛立った様子でアキラが眉を寄せれば、直後また威嚇するような雷が幾つも周囲に落とされた。その音と光に怯えて更に後退する者、その場でへたり込んで、弓を落としてしまう者。最早エルフらから、戦意が感じられない。だが、誰も応えない。アキラの表情が険しさを増す。

「全員を焼かないと分からないの?」

「――お待ち下さい」

 アキラが苛立ちを含めたやや荒い声を上げた時。再び、場に女性の声が入り込む。先程の母親よりも落ち着いた、高齢女性の声だった。

 声が響いた方向へと視線を向ければ、ゆっくりと広場へ歩いて来る影。

「私が、このエルフの里の長。ヒルトラウトと申します」

 現れた女性は声の通り、高齢に見えた。エルフでそのような見た目をしているのであればおそらく千年近く生きているのだろう。そんな彼女の傍を、二人の男性が守るように寄り添っている。一人は大きな体躯を持ち、他のエルフよりも大きな弓を携えている。もう一人は長いローブを羽織った細身の男性。手には長い杖を持っており、魔術師であるように見えた。

「あなたは、様ですね」

 ヒルトラウトはアキラと対峙した直後、そう言った。その言葉を受けたアキラに動揺は見られないものの、目を細めて軽く首を傾けている。何故分かる、と問い掛けているような仕草だ。

「在り方がまるでこの世界の人族ではありません。そして……お連れ様には、人とエルフの気配が混じっている。ハーフエルフですね」

 向けられた視線に、思わずラターシャは地面に座り込んだままで肩を震わせた。するとアキラの気配が再び尖り、周囲に幾つもの雷を落とす。響き渡った破裂音に、そこに居合わせる全ての者が身を強張らせた。

「彼女へ無礼な発言をするなら、私への無礼だと受け取る」

 アキラから立ち昇る殺気に、冷静な表情を見せていたヒルトラウトも怯えた様子で一歩下がった。そして彼女と、彼女の両脇に立つ二人のエルフが、その場に跪く。

「無礼を働こうなど、とんでもございません」

 三人が深々と頭を下げた瞬間、周囲に居たエルフらも一斉にその場に跪いた。

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