第221話_エルフの里

 アキラの背を見つめながら、ラターシャは何度も小走りになる。アキラは歩いていて、走っていない。しかしその速度があまりに早く、ただ早歩きになるだけでは、ラターシャには付いていけなかった。

「アキラちゃん、何処、に」

「エルフの里」

「だけど、里には許可が無いと」

「壊せばいい」

 彼女の言葉に、ラターシャの表情は青ざめていく。

 いつかナディアが言っていた。アキラは、ラターシャに酷い仕打ちをしたエルフを憎んでいる。だからエルフを探し出して殺すつもりがあるのではないかと。そしてエルフの里を守る特殊な術を、彼女ならばおそらく壊してしまえる。入り口を見付けさせるべきじゃないと。

 この山にある里は、彼女の生まれ育った里ではない。だが、ナディアの予想が的中してしまったかのようにラターシャは感じていた。この先にあるエルフの里が、消えてなくなる。アキラの身体から立ち昇る怒りと殺気が大きくて強くて、その未来しかもうラターシャには見えない。どれだけ名を呼んでも止まってくれない、振り返ってくれない背中。絶望と恐怖でラターシャの身体は打ち震えていた。それでもただただ懸命に、離れぬようにと足を前に進め続けた。

「……あった。これが入り口」

 突然アキラの足が止まり、目を凝らさなければ分からないような微かな空間の歪みを見つめる。その場所へ辿り着くまでアキラの足は一度も止まらず、歩くべき場所を迷う様子は無かった。きっとタグは最初からアキラが望む通りに、入り口を指し示していたのだろう。ラターシャは何かを言おうと、唇を震わせる。けれど、声が出なかった。

 そんなラターシャに気付く様子も無く、その歪みへとアキラが手を伸ばし、入り口の結界を破壊した。それは想像以上に呆気なく。アキラの力が予想を遥かに超えて圧倒的である証だった。

 歪みは結界の消失と共に大きな口を開け、里への侵入を許す。たった三段しかない階段を下りれば、端も見えぬほどに広いエルフの里が広がっていた。

「何が……っ、まさか、人族!?」

「侵入者だ!!」

 エルフ達の視線は一斉に二人へと向けられた。先を歩くアキラの耳は間違いなくエルフのそれではないし、ラターシャも今は耳を帽子で隠し、エルフではあり得ない色の肌を持っている。一見では同族であると分からないだろう。何より、入り口を破壊している。誰の目から見ても二人は招かれざる客だ。

「私の領民にこの矢を射たエルフを出せ」

 それは叫びとは言えない静かな要求だった。けれど騒ぎの中でもよく通る、強い声だった。

 だがエルフらがその声を聞いて行動を迷う素振りは無い。彼らは警告の言葉も何も無く弓を構えると、二人に向かって一斉に矢を放つ。

 他種族である時点でもう問答無用に殺す気だったのか、脅す為の威嚇射撃だったのかは分からない。そんな判別より先に全てが空中で弾かれ、悉く地面へ落ちた。どうやらアキラが既に二人の周囲には結界を展開していたようだ。向かってくる矢に思わず身構えたラターシャは、小さく息を吐いて肩の力を抜く。しかし当然、緊張が解けるわけではない。多くのエルフは矢の届かない光景に困惑しながらも、未だ二人へ向かって弓を構えたままなのだから。

 そんな好戦的なエルフらをアキラの目が冷たく見据え、そして周囲に幾つも雷魔法を落とした。

「此処を全部、消し飛ばしても良いんだよ」

 魔法はまだエルフらを直接攻撃していない、あくまでも威嚇だ。けれど本気で放てば彼女の言った結果を齎すだろうと誰の目からも明らかだった。エルフらが怖気おじけ付く。弓の構えはやや下がり、逃げるように距離を取った者も居た。

 不意に、アキラが再び足を進める。まるで、何かを見付け、何かを目指すような迷いの無い足取り。それを追うラターシャには分かってしまった。タグが犯人の場所へとアキラを導いている。ラターシャの身体の震えは酷くなっていく。

 里の奥へと入り込んでいく二人へと何度も矢は射られているが、ただの一つも届くことは無い。後ろをやや遅れて歩くラターシャのところまで結界を伸ばしている状況を見る限り、アキラは全く周りが見えなくなっているわけではないはずだ。それでもラターシャにはただただ恐ろしくて、彼女を呼び止める声が出せなかった。

 最早、そんな声が出せていたところで。きっとこの時のアキラは止まらなかっただろう。もしもそうして呼ぶラターシャの存在を煩わしいと感じれば、その時点で彼女をスラン村へ転移させてしまった可能性もある。傍に付いている為には、彼女は黙っていることしかこの時、許されていなかった。

「なるほどな、お前か。――束縛シャックル

 広場のような開けた場所の片隅で、隠れるようにエルフらに紛れていたがアキラの魔法によって首輪を掛けられ、引き摺り出される。どうやらあの束縛魔法は対象に掛けた金属の拘束具をアキラの自由に動かす、または何処かへと固定することが出来るようだ。引き摺り出された後、少年はアキラの足元の地面に縫い止められていた。

 見た目は十代前半。エルフは長命だが、生まれた瞬間から緩やかに年を取るわけではない。子供の時分は人族などと同じ速度で見た目も成熟していき、二十代から三十代の何処かで、身体の老いる速度が緩やかになる。何処で止まるかは個人差だが、何にせよ現在の見た目が子供である者は、人族と同じ年頃と見て間違いない。

 村人が聞いた、微かに高い声。『少年』であるなら納得だ。

「私の領民に、この毒矢を射たのはお前だね。何故やった?」

 地面に這い蹲ったまま身動きの取れない彼を見下ろし、冷たい声でアキラが問う。

 何故か、エルフらの攻撃が止んでいた。どう見ても少年は今、危機に陥っている。アキラの足と少年の頭部までの距離は三十センチほどしかない。しかし同族の危機を前に、誰もアキラを制止しようと動いていないように見えた。取り囲みながらも、弓はアキラを狙って構えられていない。結界に弾かれて落ちる角度によっては少年に当たってしまうと思うからなのだろうか。

「な、何も知らない、僕はやってない!」

「嘘だな。理由を言え」

 子供ははっきりと否定し、その声が恐怖に震えている。しかしアキラは容赦なくそう言い放つと同時に、彼の頭部を蹴り飛ばした。唐突な暴力にラターシャは後方で息を呑む。

 前動作が一切無かった為、彼女の感情の大きさにしては随分と加減をしたのだろう。しかし固いブーツの爪先で、かつ首を固定された状態で攻撃された彼の額に与えられた衝撃は強かった。一撃で血が滲んでいた。

「カルリトス!」

 そこへ突如、悲鳴のような女性の声が入り込む。幾人かの制止が入っていたが、それを振り切った女性は髪や服を乱しながらアキラと子供の間に身体を滑り込ませてきた。おそらくアキラは、驚きも、怯みもしていなかったのだろうが、女性を避けるように数歩下がる。

「何故こんな、惨いことを! この子は何も知らないと言っているでしょう!」

 女性は少年の傷を確認すると、血走った眼でアキラを強く睨み付けた。

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