第220話

 矢を射られたのは、村の外――つまりは結界外での出来事らしい。

 私がこの街に張った結界は『瘴気』と『害意』に反応する為、魔物は全く入り込めない上、悪意あるものが立ち入ることも、何者かが狙って射た矢が入り込むことも無い。意図せず放たれたものなどは意志が無いので偶然入り込むことを止められないが、が入り込むなんてまずあり得ない。

 そして竜種の騒動があって以来は村の取り決めとして山菜採りなどを三人以上で行くようにしていたそうだ。今回もその取り決めに従い、アイニを含めて三名が共に行動していた。しかしアイニと共に出ていた二人は、山菜を採っている最中のことだった為に矢を射られた瞬間を見ていない。

 彼女らからすれば、何の前触れもなく突然アイニが小さく悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。何事かと駆け寄ったら、アイニの腕に刺さる一本の矢。それを見た瞬間、二人は自らも危険に晒されていると察知し、思わず悲鳴を上げてその場に身を伏せた。幸い彼女らは村からあまり離れた場所に出ておらず、その声が村に届いたことでケイトラントがすぐさま駆け付ける。だが犯人は既に逃走した後だったのかケイトラントも影一つ見ていないらしい。

 当然、人命を優先したケイトラントはそれを探して追うことはせず、女性らを村へと帰しつつレナを呼びに走らせる。レナが到着するまでの短い時間で、毒矢を受けた際の基本的な応急処置はケイトラントが済ませていたとのこと。

「ケイトラントにも直接、話が聞きたい。呼んでもらえるかな?」

 私の結界が何に反応して何を防ぐことが出来るかを丁寧に説明し、それを伝えてくれるようにモニカの従者さんにお願いした。彼女はすぐに向かってくれて、五分足らずでケイトラントと共に戻ってくる。

「戦士としては当たり前に持っている知識だ。毒矢かどうかは分からなかったが、処置しておけば間違いないだろうと思った」

 処置の内容は、至ってシンプルで私も良く知っているものだった。まず毒が回るのを遅らせる為に、傷口より心臓に近い部分――今回は腕だったから、二の腕の上の方を布で強く縛り、心臓より低い位置に下げる。その後、傷口から血を絞り出しつつ、口で吸い出したようだ。

 本来、患部に直接口を付けて吸い出す方法は対応者にも毒が入る可能性があるから、避けた方が良いものだけど。

「ケイトラントには、毒が残ってないね」

「竜人族に普通の毒はまず効かん。竜人族を侵すほどの毒だったなら、人族はその場で死に至っていただろう」

 そういうことか。アイニにまだ息がある時点で自分には効かない毒だと判断して、吸い出す方法を選んだらしい。その後、慎重にレナの屋敷へと運び入れ、処置を続け、今に至る。

「また、共に居た二人は、『笑い声』を聞いたと、申しておりました」

「……へえ」

 倒れた彼女の姿に悲鳴を上げた瞬間のことだったそうだ。その声に紛れるように、くすくすと、やや高い音の笑い声が聞こえたと言う。ただ二人はかなり気が動転していた為、事実であるかは定かではないとモニカが付け足したが、――私のタグはそれを、真実だと告げている。

「問題の矢は?」

「はい、此方にございます」

 毒の成分鑑定の為にレナが傍に置いていたようだ。直接触れぬように布の上に乗せる形で、私に見せてくれた。

「エルフ……」

「え?」

 私の口から零れた言葉に、やや後方で静かに控えていたラターシャが戸惑いの声を漏らす。

「犯人はエルフだ」

「何故そんなことが分かる?」

 ケイトラントの疑問は至極真っ当だ。けれど沸々と湧き上がってくる怒りに私の思考は狭まっていた。

「書いてある」

 私のタグの能力を知らないこの村の人達には、こんな言葉はまるで説明として不十分だ。理解しているのはラターシャだけ。私は毒が外部に影響しないように矢の全体を結界で覆ってから、手に取ってラターシャを振り返る。

「ラタ、この矢、何か知ってる?」

 一瞬驚いた様子で目を見張った後、ラターシャは恐る恐る歩み寄ってきた。間近で矢を見つめて、何処か苦しげに眉を寄せる。

「エルフが普段から使う矢だと思う。矢柄の模様も私が知っているものによく似ているし、黒羽根を金糸で留めるのが伝統だった」

 矢柄とは矢の本体である棒の部分のことだ。薄い茶色に緑と赤で模様が描いてある。そして矢羽根も、今ラターシャが説明した通りになっていた。エルフの伝統や文化は全ての里で共通だと言っていたから、此処の里も同じだろう。

 なお、私と出会った時からラターシャが持っている矢はもっと簡素なものだ。後で聞いたが、あれは十六を迎えた時に練習用に与えられる矢であるらしい。つまり今回の矢は一人前になったエルフが使うもの。

「毒については、ごめん、何も知らない。そんなものを狩りに使うわけもないし、エルフの中で毒を使うような争いなんて、聞いたことも無い」

 私が尋ねたからラターシャは躊躇わずに話してくれているけれど、エルフについて語る彼女と私の異様さに、周りに控える者達は一様に困惑していた。

「分かった。ありがとう」

 答えてくれた彼女に対して、自然とその言葉が出たが、いつものような優しい音に出来なかった自覚はあった。何か言いたげにしたラターシャの顔も、見なかった。

「この矢と、塗られた毒がエルフのものであることは間違いない」

 少なくとも私のタグは明確にそう告げている。ラターシャに敢えて問い掛けたのはこの矢が『何の為に』使われている矢なのかを確認したかったからだ。

 矢は狩りなどの為に普段から使うもの。でも毒は知らない、狩りでは使うはずがないとのこと。当然だ。食肉を狩る為に毒なんか入れるやつがあるか。

 それがほぼ確定したことが、私にとっての収穫だった。これが事故じゃなく敵意であり、悪意だとはっきりしている。

「もっと早くに手を打っておくべきだった。この山の頂上付近にエルフの里があるのを、私は知っていた」

 私の言葉にモニカ達は勿論のこと、ラターシャも驚いて目を見張る。

 この村の者達が今までエルフと出会っていないなら、完全に生活区域が離れている、もしくは里の外に出てこないのだと簡単に考えていた。こんな被害が出たのは、存在を知りながらも何も対応せず、軽く捉えていた私の責任でもある。

「矢を射られたのはどの辺り?」

 アイニの意識はまだ戻っていない。身体は回復させた為、揺り起こせば目覚めるだろうが、そこまでする必要は無いだろう。私はケイトラントに尋ねた。方角と距離だけが分かればいい。短くそれを聞き出して、その場にいるスラン村の住民に向き直る。

「どんな理由があっても、私の領民を傷付けたなら許す道理は無い。私が始末を付ける。戻るまで、みんなは結界内に留まっていて」

「アキラちゃ……」

 ラターシャが止めようとしたのも聞かないで、私はそのまま真っ直ぐ村を出た。後ろを、ラターシャが懸命に追い掛けてくる。本当ならラターシャは村に置いて行くべきだった。だけどもう、私はそんなもの見えなくなっていた。

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