第219話_スラン村

 ジオレンに向かって、馬車旅は順調に進んでいた。

 レッドオラムを出発して三日目にはラターシャとルーイと一緒にお菓子作りもしたし、その時にナディアと考案したホットワインも振舞った。みんなにも大変好評で、以降は毎晩のように飲んでいる。アルコールは飛ばしているものの、身体が温まるから眠り易いみたい。

 なお、最後まで試行錯誤していた一つも、何とか及第点に仕上げることが出来た。手を掛けたという愛着もあってか、私とナディアのお気に入りはその最後の一つだ。ナディアが提案してくれたサリの葉を入れたものはリコットが気に入っていて、私が最初に思い付いた甘いレシピはルーイとラターシャのお気に入り。こうして過ごす中でみんなの好みが少しずつ分かっていくのは、楽しくて仕方がない。

 このまま穏やかに馬車旅が続くと思っていた。

 城からの討伐依頼はいずれまた来るかもしれないけど、それも少し慣れてきたから、多少のことならもう動じないぜ。いきなり魔王討伐とか言われたら嫌だけど。

 そうして今日も心地良い陽気の中で昼休憩を終えて、再び馬車を走らせていた、その時。軽い耳鳴りがして、城からだと思った直後、頭に響いたのは少し急いた様子の女性の声。

『領主様、聞こえますでしょうか』

 王様の声じゃない。モニカからだった。

『うん、聞こえるよ。どうかした?』

 城からの呼び掛けには大抵ちょっと間を空けてから答えるんだけど、モニカには即座に応えてあげる。微かに安堵したような吐息が混ざったのに、続けられた声は尚も焦りに包まれていた。

『先程、住民の一人が何者かに矢を射られました』

「――あ?」

 地の底を這うみたいな低い声が思わず口から零れ出る。

「アキラちゃん?」

 私の声を聞き取ったらしいラターシャが、背中に声を掛けてくる。彼女に聞こえたなら、多分ナディアにも聞こえているだろう。ほろ馬車の中でも二人は手前側に座っているから。しかし私は彼女らに応えることなく、すぐさまサラとロゼに声を掛けて馬車を止めた。

『どういうこと?』

 改めて、モニカに事情を問う。

『犯人が不明の為、今はケイトラントさんが周囲を警戒してくれています。しかし問題はそれが毒矢であったことです。レナが診ておりますが、解毒剤が無く。進行を遅らせることは何とか出来ているものの、このままでは』

 モニカほどの人が声を震わせ、焦りを隠せずにいる理由がよく分かった。

 矢を射られたとしても、解決済みであるならこうはならない。犯人が何者か分からない上、被害者は毒に侵され、治療も上手くいっていない。

『今からお伝えする薬草を、手に入れて頂くことは可能でしょうか? それがあれば、解毒が可能かもしれないとレナが申して――』

『いや、今すぐ行く。私の魔法で解毒できる。三分、何とか死なせないで保たせて』

 私の言葉にやや驚いた様子はありつつも、モニカは『畏まりました』と応える。そして患者が今はレナの屋敷に居ることだけを聞き出して、通信を切った。同時に、馭者台から素早く降りる。サラとロゼを馬車から外しながら、軽く女の子達を振り返った。

「スラン村から。急ぎだ。毒に侵されて危ない人が居る。解毒してくる」

 賢い女の子達は一瞬で事態を理解してくれた。ラターシャとリコットが馬車から飛び下りて、サラ達の移動や固定を引き受けてくれる。私はテント等、野営時に必要なものを一通り出し、周囲に結界を張った。すぐに帰ってこられない場合もあるかもしれない、食材や飲み物も、少し多めに馬車の中へと出しておいた。

「アキラちゃん、私も行く!」

 みんなに声を掛けて転移しようとしたら、そう言ってラターシャが駆け寄って来る。一瞬迷ったものの、押し問答をする時間が無い。手を伸ばして、ぐっと私の身体へとラターシャを引き寄せた。

「転移したら最速で飛ぶから、舌を噛まないように」

 早口で告げればラターシャは緊張した顔を見せつつも頷いて、私にしがみ付く。他の子らと違ってこの子は何度か私と一緒に飛んでいる。以前よりスピードは出すから怖い気持ちはあるだろうけれど、未経験よりはマシだろう。

「こっちは大丈夫だから!」

「いってらっしゃい、気を付けてね!」

 リコットとルーイが少し重なりながらもそう言ってくれた。ありがとう。微かに緩んだ気持ちを引き締め、転移する。

 転移先は、以前と同じく村から少し離れた位置だ。宣言通り、ラターシャを抱いた状態で最速で村の方へと飛ぶ。今回は門前で止まることなく、一気にレナの屋敷前まで。事情を理解しているらしいケイトラントは門の前で私を見上げただけで、その場を動かなかった。彼女の最優先は、外部の敵からこの村を守ることのようだ。

「モニカ、レナ!」

「領主様」

 ラターシャを下ろし、屋敷前で待っていてくれた従者さんに連れられて患者の傍へと駆け寄る。良かった、まだ息がある。これならもう大丈夫だ。

解毒キュア!」

 魔法を唱えた瞬間、患者の身体が薄っすらと光に包まれた。そして次第に、浅い呼吸が落ち着いて、紫色だった唇が徐々に色を取り戻す。

 次は矢を射られたという腕の傷だ。実際に矢が刺さった人などお目に掛かったことは無い。こんなに深い傷になるんだな。その傷の回復が一番の目的だが、念の為、患者の全身に回復魔法を掛ける。すると体内の細胞が毒の影響で既に幾らか壊されていたのか、腕の傷以外にも何かを修復した手応えを感じた。

「……安定したようです、解毒されていると思います」

 患者の状態を確認したレナがそう言えば、傍に付いていた者達が一斉に、安堵によってへたり込む。私も、少し力が抜けた。

 患者の名はアイニ。この村では比較的、若い女性で、おそらく二十代前半だ。体力のある子が被害にあったから今回は無事に済んだのだろう。高齢の方だったら、間に合わなかったかもしれない。

「領主様、ありがとうございます、何とお礼を申し上げれば良いか……」

 レナが、私に向かって深く頭を下げた。声が震えている。自らに圧し掛かった命の重さ。医者という職であったとしても堪らなく恐ろしかったことだろう。

「ううん。レナの処置で進行を遅らせてくれたから助けられたんだ。ありがとう」

 私の言葉に、レナは何度も首を振るが、言葉は無い。見れば唇を噛み締めていた。安堵に泣いてしまいそうなのかもしれないな。今はあまり、刺激しないようにしてあげよう。

「それで一体、何があったの?」

 話を切り替えて、モニカを振り返る。彼女の顔にもやや疲れが見えたが、自らを落ち着けるように一つ息を吐き、分かる範囲で状況を説明してくれた。

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