第213話_役目の後
幸せな夜をカンナと過ごした翌朝。相変わらず、私は名残惜しい気持ちで帰りを渋っていた。
「放したくないなぁ。カンナは次にいつ会えるか、分からないからなぁ」
一刻も早く侍女として引き抜くルートを講じた方が良いのかな。しかし屋敷を持つにはちょっとまだ道のりが長い。
そして何も無いのに勝手に会いに来るっていうのも、流石にね、ズルである気がする。彼女との時間は私が求め、城が用意してくれた『報酬』だ。働かずに得るのはそもそもの契約を覆すことになる。
カンナもその辺りは分かっているんだろう。私の言葉に何とも答えられず、沈黙していた。カンナは偉いね、賢いね。撫でよう撫でよう。
「私は」
ぐりぐりと私の腕の中で頭を撫でられながら、カンナが徐に口を開く。少しだけ腕を緩め、彼女の顔を覗いた。
「頂いた守護石を見つめていますと、心が安らぎます。アキラ様がお傍にいらっしゃるような心地がして」
「そっか。それは嬉しいなぁ」
会えない時間にもカンナが私を思い出してくれている瞬間があるってことが、単純に幸せだ。
「どうかご自愛くださいませ。あまりご無理をなさいませんように」
少し不安そうにカンナは眉を下げた。先日見た不調だった私が、どうにもまだ気になっているらしい。優しいな。
「ありがとう。そうだね、カンナにも心配させたくない」
何度もカンナの髪を撫で、頬に口付けて、ようやく離れる。本当にいつも、中々離れられないんだよなぁ。
「じゃあ、また。カンナも身体には気を付けてね」
「はい」
この日もカンナは私の不気味な転移魔法にも怯む様子なく、最後まで目を逸らさずに見送ってくれた。
* * *
アキラが立ち去った後。役目を終えたことを報告したカンナは、再び国王の執務室へと呼び出されていた。
「君ばかりに負担を掛けて申し訳ない、カンナ。体調に問題は無いか?」
「問題ございません。お気遣いありがとうございます」
カンナはいつも通りに抑揚なく回答し、恭しく一礼をした。王様はそんな彼女の様子を観察するように注意深く見つめ、喉の奥で小さく咳払いを一つ。
「それでアキラ様に……君との婚姻が話題に上がった件を、お話し出来たか?」
カンナが出したあの話題は、偶々思い付いて『うっかり』漏らしてしまった情報ではなく、王様からの指示だった。不足なく完璧にそれを遂行した彼女は当然、頭を下げたままで「はい」と答える。
「反応は?」
「後ろ向きな御答えです。『政治の道具にされそう』と仰いました」
「……そのように取られてしまうのか」
頭を抱えるようにして王様は項垂れ、視線を机の上に落とした。大きな溜息を零す彼に、カンナは特に何も言葉を掛けない。頭を少し下げたまま、次の指示または問いを待っている。そんな空気の中で最初に口を開いたのは、王様ではなかった。
「ですから『お控えになった方が良い』と申し上げましたでしょう、お父様」
不遜に思えるほど呆れた声で彼に言葉を投げたのは、傍で控えていた第一王女のクラウディアだ。アキラとの晩餐会では常に穏やかな笑みを浮かべていた彼女だが、今、その口元に笑みは無い。
「あまりおかしな画策をなさいますと、アキラ様の逆鱗に触れますよ」
「画策ではない。ただ、カンナを気に入っておられるのだから、もし婚姻をお望みなら、ご協力を」
「その方が我が国に留め置けますから、さぞ都合が宜しいのでしょうね?」
「クラウディア」
彼女は第一王子ベルクよりも立場が低く、当然、王様に並び立つことも無い。しかし実態ではベルク以上に王様に対して強い態度を示せる人だった。厳しい声でその名を呼んだ王様にも、彼女は一切怯む様子を見せず溜息を零す。
「お父様の真意など問題ではありません。私共にとって利がある限り、アキラ様に陰謀のように取られてしまう可能性がある、と申し上げているのです」
言葉を詰まらせたのは、王様の方だった。二人の会話に、従者らはハラハラとしていた。此処にベルクが居たならクラウディアを宥める言葉も入ったかもしれないが、従者らの立場ではそれを出来るはずもない。
「カンナが居る以上、しばらくは我が国にご協力して下さいます。今は下手に動かない方が宜しいでしょう」
「しかし、依頼の度に必ず彼女を捧げることになる。もはや彼女以外を捧げても、アキラ様はご満足なさらないだろう。代わりが居ないというのは、まるで安定した話ではない」
王様の最大の懸念はそこだった。
アキラは『無理強い』を最初から禁じている。『心』を留め置く手段など王様らは持たない。万が一、何かを切っ掛けとしてカンナがアキラを拒む思いを抱いてしまったら。もう、城としてはアキラを満足させられる選択肢を持っていないも同然なのだ。
「存じております」
王様の強い訴えに、クラウディアは淡々と頷いた。
「しかしアキラ様も、カンナただ一人を選んでいる件には、思うところがあるご様子。この件、私に任せて頂けませんか?」
そう提案するクラウディアを見定めるように王様は彼女を見つめ返すけれど、この場で既に返す言葉を失くしていた時点で、彼は頷くことしか出来なかった。
「……分かった、次の機会にはお前と引き合わせよう。だが時期は未定だ。柔軟に準備をしておくように」
「はい。ありがとうございます」
そこでようやく、カンナも解放された。何かあればすぐに相談するようにとだけ申し付けられ、執務室を後にする。しかし彼女が廊下を一つ抜けるより先に、背後で軽い足音が聞こえ、カンナを呼び止める声があった。
「ごめんなさい、少しだけいいかしら」
呼び止めたのはクラウディアの従者であり、すぐにクラウディアが追い付いて来る。
当然、彼女を無下にして立ち去る選択肢は侍女という立場のカンナは持たない。「はい」とはっきり答え、彼女へと向き直った。
「アキラ様が今どのようにお過ごしなのか、あなたは何か聞いている? 保護をした女性らとの関係とか」
「――いいえ、特に何も」
カンナは迷わず首を振る。そしてアキラからはこの国の文化について幾つか質問があり、知る限りで説明をしているものの、彼女側の生活については何も知らないと答えた。これは明らかに事実と異なる回答だが、カンナの表情には一切の動揺が無い。結果、クラウディアが疑う様子も無かった。
「そう。分かったわ、ありがとう」
「ご期待に沿えず、申し訳ございません」
「いいのよ。あなたは既に充分の仕事をしてくれているわ」
慈愛溢れる柔らかな笑みで、クラウディアはそう告げる。
「アキラ様からまた何か聞いたことがあれば、知らせて頂戴。無理に聞き出さなくてもいいから」
「畏まりました」
丁寧に頭を下げたカンナは、クラウディアがその場を立ち去るまで、動かずに留まっていた。
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