第211話_違う石鹸
侍女が開いてくれた扉を潜れば、ソファの傍に立っていたカンナは目が合った瞬間に此方へと一歩、踏み出した。
あれ? 普段なら先にその場でお辞儀と挨拶をして、侍女が出て行くのを待ってから動いていたような。ふと抱いた違和感は正しかったようで、カンナは直ぐにその場に踏み留まって、私に一礼をした。慌てちゃったのかな、珍しいなぁ。
堪えるように留まっていたカンナが、案内役の侍女さんが立ち去るとまた何処か慌てた様子で足早に私の傍にやってくる。そんな振る舞いも珍しい。まさか胸に飛び込んでくるか? と、期待が膨らんで腕を広げそうになったのだけど、そんなことは全く無かった。カンナは半歩手前で立ち止まり、私を心配そうな顔で見上げる。
「アキラ様、お加減はもう、宜しいのでしょうか」
「あー」
そうでした。別れ際、カンナにだけはちょっと顔色が悪いのを見付かっていたんだった。
ずっと心配してくれてたのかな。だからさっき、少し慌てていたのか。申し訳の無いことをした。
「もう元気だよ。本当にちょっと疲れてただけなんだ」
抱き寄せて額を合わせると、熱も無いことが分かったようでホッとした顔を見せる。可愛い。無表情の中にも瞳が色を宿し、眉の角度がほんの少しだけ動いて感情を伝えてくれていた。
「心配してくれてありがと。また、お風呂に入れてくれる?」
「はい」
数ミリ下がる目尻。これが彼女の微笑みだ。もう知っているから、表情が豊かな子が微笑んでくれるのと私にとっては何も変わらない。愛らしくて思わず強く抱き締めて口付けた。お風呂に入れてって言ったのは自分なのに結局こうして引き止めてしまっている。呆れた顔をしないカンナをそろそろ感心するよ。ラターシャやナディアなら腹や頭を殴られますね。
「――ふあ~、きもちい。今日は違う香りだ。これも良いねぇ」
うだうだしながらも何とか欲を飲み込んでお風呂へ。今は洗髪中。石鹸の香りが前回とは違う。前よりも少し甘いものに変わっていた。
「それぞれの季節に適したものがございますので」
手を止めないままでカンナが答えてくれる。今の時期は少し乾燥するからと保湿成分を多く含む石鹸にしたそうだ。身体用の石鹸も同様に変えてくれていて、髪用のものとも香りが違った。どちらも良い香りで、だけど喧嘩をしない組み合わせ。何を使うかはカンナが選んでくれたらしい。至れり尽くせりで嬉しいねぇ。そして身体は今日もちょっと恥ずかしそうな顔をして洗ってくれている。可愛い。いつ頃、慣れてくれるかな。ずっと照れてくれても私は楽しいから良いけどね。
楽しい入浴時間を終えたら黄金ガウンをスルーして、カンナの美味しいお茶を堪能する。幸せな時間だなぁ。流石は城が用意してくれる『報酬』だよね。
「カンナは最近、何か面白いことあった?」
雑過ぎる話題振りをしてみる。もうちょっと女性を楽しませる為に気を遣った話術があるだろうって誰かが見ていたら言いそうだけど、カンナがどんな反応するのか気になるので色んな振りをしてみたいわけです。案の定、カンナはやや困った顔をして数秒黙った。
「侍女の仕事は日々変化があるものではございませんので……」
真面目に考え込みながらそう呟くのが可愛い。でも、不意に何か思い付いたようにぱちりと目を瞬き、視線を上げて私を見た。
「少し前、父が国王陛下に呼ばれ首都に参りましたので、約二年振りに顔を合わせました」
二年振りとはまた。それは一大イベントじゃないか。さっきまで忘れてた件については触れない方がいいやつかな。
「へえ~……え、あれ? 『私』のせい?」
はっとして聞き返したら、カンナも微かにはっとした表情になった。それから少し、動揺するみたいな、焦りを帯びた色を瞳に宿す。
「あの、いえ、アキラ様に非があるような意味では勿論ございません、ただ、その、……私がアキラ様のお相手をしている件ではあったようです」
ええぇ、何それ、ごめん。私は内心、頭を抱えた。
貴族令嬢だもんな。こんな仕事していることをお父さんが知ったら、何か物申してくる可能性は大いに――と一瞬思ったものの、あれ、違うな。今カンナはお父さんから来たのではなくて、王様から『呼ばれた』と言った。えー。何が何だか分からん。とりあえずカンナやご家族に変な被害が無いことを祈るしかない。
「王様から何か嫌なこと、言われたのかな」
「そのようなことは全くありません」
恐る恐る尋ねてみると、カンナは一秒と間を空けずに首を振る。タグも『本当』だと出ているから、少なくともカンナやお父さんが、王様に言われたことに対して『嫌なこと』という感想は抱かなかったと思って良さそうだ。
しかし安堵に胸を撫で下ろした直後、ちっとも大丈夫じゃなさそうな話題であったことを知る。
「私に関して進めている縁談を全て止めるように、申し付けられたようです」
「……ほお、なるほど?」
間違いなく私がカンナを気に入っちゃってんのが原因じゃねえの。
いやさあ、確かにさ。今このタイミングでカンナの結婚が決まったら私は落胆しますよ。多分しばらく落ち込んで城からの依頼も受けたくなくなるよ。だけどさぁ、だからってさぁ。
「カンナは、それで良かったの?」
「はい」
でもカンナは清々しいほど迷い無く、肯定した。逆に心配になるくらい躊躇いが無い。
彼女が結婚してしまえば当然こんな風に私と会うことはもう出来ない。お茶くらいは淹れてくれるだろうが、身体の関係を持つことが許されるはずがない。だからカンナに触れたい私にとってはどうしても『良いこと』なんだけど、私は自分の欲の為にカンナの将来を狭めてしまいたいわけでもないし、お父さんとの不和を生みたいとも思っていないから、『心配』になる。
私が出来るだけ誠実に言葉を選んでそれを伝えると、カンナはちょっと目を丸めた後で、どうしてだろう、瞳の奥に少し、嬉しそうな色を見せた。
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